魅せる男の生き様。高倉健が与えてくれた旅のはじまり
男としてどう生きるべきか。
この問いについて、男なら一度は悩まれたこと、あるのではないでしょうか。
かくいう僕も、過去に起業したことをいい気に遊び呆けて、一度、自身の会社を倒産させたとき、「ここまでの男でいいのか」という強い念に苛まれました。
そして、預貯金が底を突きかけた頃、「このままでは本気でマズイ」と焦って、YouTuberやブログなど、文字通り、手当たり次第に挑戦しました。
YouTuberは登録者174人で大敗したのですが、ブログはなんとか今でも生き延びています。ブログでは、オンライン英会話などの商材を売って、順調に売り上げを伸ばし、2021年に2度目の起業を果たしました。
それからは順風満帆と思いきや、深刻な体の異変に気づきました。売り上げの増加に比例して、知らず知らずに精神が蝕まれていったのです。
過剰な仕事量が原因でした。365日、1日16時間、休みなく働いていたため、鬱ぎみになり、当時は睡眠薬を飲まないと一睡もできませんでした。
そんなとき気晴らしになったのは映画鑑賞です。たまには古い映画でも観ようと、手にしたのが北海道を舞台にした高倉健主演の映画『遙かなる山の呼び声』。観終わったあと、シンプルに「かっこいい……」となったわけです。ちなみにこの映画の影響で乗馬を始め、乗馬ライセンスを取得しました。
高倉健のだいたいの作品は、“男を魅せること”を主眼にしているのでは?と思うくらい男臭いし、汗臭い。ほぼすべての役柄は「人情一筋、寡黙、不器用、弱きを助け、強きをくじく」。誤解を恐れず言えば、まさに「任侠道の理想像」を演じています。
また、すごいのが役を演じている以外の私生活でも同じような性格。だからこそ、彼を慕う多くの役者・芸人・タレントが芸能界にもいるわけです。
ひとつ、おもしろい話があります。
長崎県平戸にある薄香地区は、2012年公開の彼の遺作『あなたへ』の舞台。僕が訪れたとき、住民の方が、撮影のときに健さんから送られた手紙や記念に撮った写真を見せてくれました。その際に聞かせていただいた逸話が感動的。
撮影のため、平戸に長期滞在していた健さんは、とあるおばあさんと馬が合い、仲良くなったとのこと。映画が上映されたあとも縁は切れず、毎年、健さんから千疋屋の高級フルーツと直筆の手紙が、おばあさんの家に届いていました。
そんな中、とある雨の日、おばあさんの家の戸を叩く音が。戸を開けると、なんと大スターであった高倉健がひとり、そこにいたというのです。
「近くに寄ったもんで……顔、見にきました」とそう言い残し、家に上がらず去ったそうです。
このようにプライベートでも、相手の記念日を忘れずに必ずプレゼントを渡したり、心配事で困っていたら何時だろうと直接、会いに行ったり。その相手は著名人だろうと一般人だろうと……渡世人だろうと関係なし。だれにでも分け隔てなく、今でいう“Give”をやってのける人でした。
見返りを求めず、ただ実直に。
口先ではなく、言葉少なく行動で。
こういう“ブレない男の姿”に僕は惚れたんだと思います。これが亡き後でも、著名人、一般人問わず、愛されている理由です。
一度、福岡にある「みそ汁若尾」という小料理屋の女将と話し込んだとき、「どんなにイケメンとて、健さんには敵わない。生き様が違う」と強い口調でおっしゃっていました。このように今でも、その人柄を慕ぶ一般の方が全国に大勢います。
ただし、おもしろいことに、当の本人は自著の中で「役者を始めてからの人生すべてを、“高倉健”という役になりきっている」とおっしゃっている。もしそうなら、なんて役者魂なんだ、とまたひとつ驚嘆しました。おそらく彼は自宅という小さな空間でしか、素に戻らないんだろうか。それはそれで、すごい苦悩だったかと……。
高倉映画で魅了された僕は、東京タワー横にある健さん馴染みの喫茶店に行って、少しなりきってみたり。しかし、性格からして健さんと僕はまったく違う人間です。そもそも「高倉健になりたい」と思うこと自体が、おこがましいのかも。
でも、それでいい。誰もなりきれないからこそ、健さんの魅力が成り立っているのであって、僕は少しでも近づければいいのです。
高倉作品を何本か観ているうちに、いつしか「いずれは北海道に行きたい」と淡い希望が芽生えました。というのは、北海道には高倉作品の映画ロケ地がたくさんあるから。しかし、仕事が忙しかったので、Google Mapsでロケ地に印をつけるだけの日々……。
しかし、Evernoteで終わらない仕事の山を見てるうちに、心の奥底から「この環境から離れたい」と強く願うようになってきました。
「もういいや、北へ向かおう」。北海道を周りながらでも、夜は宿で仕事できると考えた僕は早かった。決めたその場で、管理会社に連絡し、1ヶ月後に自宅マンションを解約する旨を伝えました。1ヶ月で荷物をほぼほぼ捨て、捨てられないものはトランクルームへ。
2021年7月の終わり、僕はこうして北海道へ旅立ち、数々の高倉健ゆかりの地へ足を運びました。
あらかた高倉健のロケ地を回ったあと、自由気ままな旅にハマっている自分がいました。「家もないし、どうせなら日本一周するか」と軽い気持ちで日本列島を南下。これが僕のホームレス日本一周旅の始まりです。
人生とは風さえあれば大きく向きを変える風見鶏のようなもので、風がなければ、ずっと同じ方角のまま。たまたま、“高倉健という風”があり、将来を示す羅針盤に出会えた僕ですが、またいずれ、いい風に乗るために今後も知らない世界へ旅を続けるでしょう。
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