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令和の人たらしが告白する「旅の出会いと別れ」

2023年9月。北京首都国際空港の入国審査場で多くの空港職員に拘束された斉藤由希さいとうゆうきは、ため息をついた。「俺ってほんとだめだな」とさすがに旅慣れた斉藤でも今回の出来事には、うなだれるしかなかった。

京都に住み、フリーランスのSEとして活躍する斉藤は、土日休みのサラリーマンと変わらない日常を過ごす。しかし元来の旅好きが高じて、ゴールデンウィークや年末年始にはよく、ひとり旅をする。

2023年のゴールデンウィークは、北京を拠点にし、万里の長城や故宮博物院などを観光する予定であった。そこまではどこにでもいる観光客と変わらない。数日前から準備をし、いざ当日たどり着いた北京首都国際空港の入国審査場にて、Lビザ(観光ビザ)の提出を求められた。

中国は、2003年から続いていた日本人に対する短期間のビザ免除制度を、コロナウイルスの発生によって撤廃した。しかし時が経ち、中国政府は、2023年1月に「ゼロコロナ政策」を終了させ、2023年3月から「観光を含む各種ビザを取得した人」にのみ、入国を許可していたのだ。

そのことを調べ忘れていた斉藤は、おおいに焦った。

「あの時は本当にこれからどうなるか心配でした。まず、別室に連れて行かれ、いきなり中国語でまくしたてられました。もちろん、すぐに中国語は話せない旨を伝えると英語でのやりとりが始まりました」

長年、世界中をひとり旅し続ける斉藤由希さん

ある程度、経緯いきさつを説明すると空港職員の男性が言った。
「現在、我が国への入国にはビザが必要だ。君はそれを無視して来たんだよ。これから、どうなるかわかるよね?」

ゆっくりとした口調の低い声だった。その物言いに何か悪い結末を予知した斉藤の心拍数は、急激に上がっていた。

「あの時はさすがにビビりましたね。中国ってのもあるのですが、本当にこれからどこに連れて行かれるんだろうと心配になりました」

最終的には、その場で翌日の関西国際空港行きのチケットを買わされ、朝まで空港職員の見張りのもと、空港の冷たい椅子の上で夜を明かした。

夜の北京首都国際空港。空港職員がずっと張り付いていた

翌日、午前中の便で大阪に帰ってくるなり、すぐにベトナム行きの航空券を取った。

「せっかくの大型連休。こんなことがきっかけで潰れるのは嫌でした。『旅にトラブルはつきもの』だと決めつけ、前向きに考えるようにしました。それにあとで振り返れば、いい思い出になりそうだなと(笑)」

並の観光客なら、ここは「国内」に変更しそうなところをあえて、また海外を選んだ斉藤。根っからの旅好きの片鱗が垣間見えた。

バイク、車が行き交うベトナム・ハノイの交差点で

これまで旅のトラブルは往々にしてあったと話す。飛行機に乗り遅れはもちろん、違う日付の航空券を購入してたりも。しかし、トラブルの分だけ旅先での出会いもたくさんあった。

「20歳の頃、青春18きっぷの旅にハマっていました。夏休みにとりあえず、当時住んでいた京都から行けるところまで南下しようと電車に乗りました。そして初日は、山口県を経由し、1日で島根県の益田駅まで移動できましたね。でも当時はお金がなかったので野宿の予定でした」

よくある学生の野宿旅。寝袋を用意しようとしていたとき、思わぬ出会いがあった。

「駅前の端っこで寝支度をしていたら、『兄ちゃん、そこで寝るの?』と50代くらいのおじさんに声をかけられました。ひとり旅の最中である旨を話すと『大変だねぇ』と同情され、コンビニでビールを買ってもらいました。そして、その成り行きでベンチに座って語り合うことになったんです」

話好きなおじさんと社交的な斉藤の性格のおかげで、話は途切れることがなかった。

30分ほど経った頃、おじさんが言った。
「君おもしろいし、今日は俺の家に泊まりなよ。女房が娘連れて実家帰っているからヒマなんだよ」

唐突の提案であった。

「話していて信頼できそうだなと思ったんで結局、お言葉に甘えさせてもらったんです。おじさんの家で出されたビールと柿ピーの味は今でも忘れられません」

誰にでも明るく接する斉藤だからこそ、ありえそうな話だ。翌朝、駅舎まで送ってくれたおじさんの寂しそうな顔が今でも忘れらないという。

観光名所はうろ覚えだとしても、人との出会いは今でも鮮明に覚えている

次に「旅を好きになったきっかけ」を質問したところ、それまで笑顔だった斉藤の顔が突然、物憂ものうげに変わっていく。「あぁ〜」と5秒ほど天を見上げたあと、こちらに顔を戻し、「ちょっと話、長くなりますけど」と重い口を開いた。

「高2のとき、中3から付き合っていた彼女がイギリスに留学したんです」

当時、3年ほど付き合っていた彼女が渡英して、体の一部がなくなった感覚を初めて体験した斉藤は毎日、彼女のことを強く想っていた。

「毎日、彼女が夢に出てくるわけです。一緒にデートしたあの映画館や遊園地での出来事が走馬灯のように。で、もういても立ってもいられず、夏休みに彼女に会いにイギリスまで行くことを決めました」

久しぶりの彼女との再会を前にし、斉藤は数日前から、はち切れそうな喜びを抑えきれず、まともに睡眠が取れなかった。

「あの時は、まるで頭の中はお花畑状態。毎日、1時間ごとにカレンダーを眺め、渡英する日を指折り数えていましたから」

しかし、現実は斉藤を奈落の底に落とした。

「1ヶ月の滞在を予定してイギリスに旅立ちました。滞在期間中は彼女とずっと過ごすつもりでしたが、彼女と会えたのは始めのたった3日間だけ。4日目以降は、うまくはぐらかされたり、電話がつながらなかったり。1週間が過ぎた頃、彼女と共通の友人づてから、彼女が現地で新しい彼氏を作っていたことを聞きました。いわゆる二股ですね」

最終的に連絡が途絶え、数日は枕を濡らしていたという斉藤。しかし、ここで諦める男ではなかった。

「しょうがないから、ひとり旅しようと決めました。泣いてても何も解決しませんからね。とりあえず、電車に乗ってイギリス各地を周りました。当時、バンドをやっていたので、ビートルズで有名な『アビイ・ロード』を見たときは、めちゃくちゃ興奮しました」

何事もポジティブに考える性格のおかげで、傷心旅行のつもりが想像以上に楽しめたと語った。

ビートルズのアルバムジャケットで有名なアビイ・ロード

この一件から、もしかしたら偶然起こりえる体験こそが「旅の醍醐味」ではということに斉藤は気づき始めていた。

「日本を出るときは、まさかイギリス各地を旅するなんて、まったく想像していませんでした。だって彼女と会って、一緒に過ごすだけの予定でしたから。つくづく人生はおもしろいものです」

そこから「偶然」の神秘性に魅せられた斉藤は、今に至るまで一人で旅を続けてきた。男のひとり旅……少し寂しく感じる気もしたが斉藤は違った。持ち前のコミュニケーション能力を活かし、今まで旅先で数々の出会いを重ねてきた。

「コロナの緊急事態宣言一回目のとき、仕事のすべてがテレワークに移行したので、初めてのノマドワークを石垣島で始めてみたんです。昼は仕事して、夜は居酒屋か立ち飲み屋で飲んでいました」

そこで話し相手がたくさんできた。石垣島には新天地を求めるファミリーやリゾートバイトの若者など移住者が多くいたので、移民同士すぐに意気投合。朝まで飲み明かしたこともざらにあったという。

「ある夜、立ち飲み屋で一人の女性が隣にきました。初めは話さなかったのですが、店のマスターが粋な計らいで話すきっかけを作ってくれました。彼女はブライダル関係の仕事をしに九州から移住してきたばかりで、あまり友達がいなかったんです」

二人とも酒好きということもあって時間を忘れ、故郷のことや恋愛観などを酒のつまみにして飲み合った。

「僕と同じく酒が呑める子だったんで、酒が入るごとに本音トークをしたりや爆弾発言をしたりで、シンプルに楽しい時間を過ごせました。なんか幼馴染みと話しているようなというか……初対面だという感覚はなかったですね」

そして深酒ふかざけが進んだのち、「明後日、ドライブに行こう」とLINEを交換してその日は別れた。

「実はドライブする日、フェリーで黒島に渡る予定を入れていたんです。予定通り行くつもりでした。なぜならあの夜、二人ともかなり酔っていたので、『酒の席での口約束』と捉えていましたから。でも、もしかしたら覚えているかなと思って一応、前日にLINEしたんです」

彼女からは「とっておきの場所があるから行こう!」と返信がきた。

「なんか嬉しかったですね。翌日、約束通り彼女の車でいろんな場所を案内してもらいました。楽しい時間でしたね。ドライブ終わりに、この人とずっと過ごせたらなと少し思ったりしましたもん」

ドライブの途中で映した一枚

その後、何度かデートを重ねるうちに、いつしか二人は恋仲へ。南の島で出会った異国の男女。恋に落ちるのは必然だった。

徐々に仕事もサボり気味になり、ずっと会っていた。いちいち宿から通うのは面倒だったので、途中から彼女の家に転がり込み、昼は海へ、夜は交互に手料理を作り合い、朝焼けが部屋をふんわりと包む時間まで、過去のこと、将来のことをたくさん語り合った。二人は、ずっとこのまま語り合えると信じていた。

「しばらくするとテレワーク期間が終わり、クライアントの会社に通うことになったので京都に帰ってきました。そのあと2回ほど彼女に会いに石垣島へ行ったのですが、最終的には『一緒にいれないこと』を理由に振られちゃいましたね。寂しい思いをさせた僕が悪いです」

そう話すと、少し悲しみを含んだ顔から「それも必然」と言いたげな笑みがポロリとこぼれた。

「でもこんなんで、めげませんよ! 僕にとって旅は『人との出会い』そのものですから。足腰が健康なうちは何歳になっても旅を続けます」

そう言い切った斉藤は、屈託のない笑顔で次の旅先について話しはじめた。


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