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予感と讃歌(早く寝たいです)

 早く寝たい。寝たいから、意味のないものを綴る。

 秋学期の鬼門はたいてい11月である。10月はなんとかなるのである。だが、11月になると、全てが壊れてくる。

 現状、親友たち、それも非常に親しい友人たちとの相互扶助はうまくいっている。これは友情の乏しかったわたしにとって、大学で初めて掴んだ感覚だった。「迷惑をかけてもいい」と思える他人、しかしそれは粗雑に扱っているわけではないという奇妙な感覚は、心地が良い。

 われわれの連帯が傷の舐め合いであるとか、ホモ・ソーシャルであるとかいう批判は、聞き飽きた。そんなことは、われわれ自身がよくよく理解している。その上で、この、進歩を強いられない、競争とは無縁の共同体を、愛したい。そう願ったのである。これは最も純粋な愛の形をとっている。われわれの連帯の前では、他者たちがさまざまに展開する愛との比較は、必要ない。考える必要さえない。とてもうつくしい。

 はっきりと断言する。わたしは、友人たちが好きで好きでたまらないのだ!

 秋学期が始まる前に、突発で旅行をしたA、かっこいいのにどこか抜けているT、音楽の才に長けたEとH、自宅からの通学に苦しむK、色とりどりの服を身に纏い、風景を切り取るG、加速を続けるY、受験中毒のO、気の合うF、でんちゃっちゃのR。紙幅の都合上この程度にとどめておくが、このほかにも多彩な人間たちがいる。

 みんなのことが、とても好きなのだ。

 わたしはとても満たされている。怪物は愛を知った。そして、やわらかさを覚えた。

 わたしの大学生活はとても粗雑なものだったのに、よくもここまでついてきてくれたものだなあと思うと、涙が溢れてくる。ヒトは、信ずるに値する他者であって、信じなければならない他者なのである。そう、心の底から、深く確信している。

 そしてそれは、ある予感となって結実しつつある。まだその中身はわからないが、何かがある。書けないし、言葉にもならない、けど確かに存在する何か。

 その何かを書き記すために、わたしの手は動き続ける。動き続けなければならない。誰からの命令でもなく、わたし自身が命じて動いている。

 わたしはこの連帯にこそ永遠を見出す。そこには終わらない永遠がある。会うたびに仲は深まっていき、もはや語る言葉さえもいらない。すべてはお互いの了承するところであるからだ。

 自殺したいなんて、思わなくても済む。こうして、わたしは救われる。生きようと思える。少なくとも、死のうとは思わない。

 このように、すべてがうつくしくなるときがやってくるのであった。(1061字)

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