見出し画像

意味のない街、意味のないわたし

 つくば市は意味のない街である。いや、わたしのような人間では意味の見出せない街である。いま、その街をようやく飛び出した。友人たちとのスキー旅行へと向かう道中で、あまりにも暇なので、なにかひとつ書いてやろうと思い、noteを開いたわけである。

 2年の終わりにもなって、適当なレポートを書き殴って、その場しのぎのやっつけ仕事で流す癖が抜けない。当然、学業からは拒絶を賜る日々である。いや、わたしが拒絶していると言ったほうが正しいか。

 こんな調子であるから、コース配属に失敗した。仮配属という救済にも失敗した。理由は至極明確である。わたしは、コース配属の締切前日にようやくその事実を思い出した。おまけに、配属届には教員のサインが必要なのだ。ダメ元でメールを送るも、敢えなく轟沈した。そのメールには、コース仮配属には「反対」しますという文言が綴ってあった。どうやら、わたしの存在は、教員に対してハラスメントとなっているらしい。嘆息というほかない。あまりにも、全てが情けない。

 この調子で、大学が卒業できるのだろうか。不安は日々募るばかりであるが、やるしかないのである。やっていき、の繰り返しである。

 こう思えるようになったのは、エビリファイという神さまのおかげである。少なくとも、病的な不安は消えた。その代わり、極めて正当かつ正常な不安が、心を覆うようになったのだが。

 思うに、というか、当たり前のことなのだが、精神科とその治療は、現実に抱えている問題を解決してくれるわけではない。その手助けをしてくれるだけなのだ。人生という道中に撒いた石は、自分の力で拾わなければならない。ただし、厚い霧が立ち込めている場合は、霧を晴らす必要があるだろう。晴らしてくれる存在が、精神科といえよう。石を拾うのは自分の力である。

 こんな当たり前のことにも、霧がかかった頭では気が付かない。うつ病とはなんとも恐ろしい病気である。心の風邪なんてものではない。もっと恐ろしいものである。

 就活が怖い。これも、エビリファイがもたらしてくれた感情である。霧が晴れたあとの世界には、大きすぎるレールが横たわっていて、それはもう、自分の意志では動かせそうにもないものであった。つまり、乗るしかないレールというわけである。それでも、怖いものは怖い。

 だんだん真人間になりつつある。真人間になればなるほど、どれほどわたしが遅れているかはっきりとしてくる。挫けそうになる。それでも、なんとかしていくしかない。そう、エビリファイがあるならね!(1047字)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?