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クラシック音楽の魅力にどうやって触れる?セロリをポリポリ食べるように…

京都・奈良EU協会
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NPO法人京都・奈良EU協会の《ランデヴDEなら》です。今回もヴァイオリニストと齊藤清さんと共に。今回も「音楽の聴き方」というThemaから掘り下げてゆきたい。

今回流している曲も齊藤清のヴァイオリンと今井恵理のピアノで:
・クライスラー『美しきロスマリン』
・グラズノフ『瞑想曲』
・ベートーヴェン『ロマンス第2番』

音楽史の面白い本を探していて見つけたのが岡田暁生著《西洋音楽史〜「クラシック」の黄昏》。氏の書く本にすごく惹き込まれて同じ著者の『音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉 』(ともに中公新書)を読む(今井)。
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2009/06/102009.html

齊藤も常々考えているこのことが『音楽の聴き方』に書かれていて、付箋を何十枚も付け
「イカゲソ本」化して読む。

科学技術の発達が芸術にも反映されている。人間の肉体性よりも精神性・理性・数学性が様々な現代作品になっていて、演奏にも影響を与えている。楽譜の解釈も原点回帰が行われたが100年掛けて作ってきた演奏のスタイルや雰囲気を否定した形になり、教条的過ぎて行き過ぎた一時的な流行ではないかなと思う(齊藤)。

クラシック音楽の衰退、現代音楽(十二音技法)が一般から離れていってマーケットが小さくなっていったは必然であるとともに、ポピュラー音楽の発達は1900年型のクラシック音楽の様々潮流の中で自らが招いたものではないか。その反省の中で、もっと生き生きとした、もっと創造性のある音楽が生み出させるべきではないかと思う。

「長い19世紀」と「短い20世紀」とは?

演奏する側にとってみたら、作られた当時の社会的背景とか、音楽家がどういうことを考えて作ったとか、その当時の楽器がどういったものだったとか、それをそのまま再現することがその音楽の魅力を最大限引き出すとは限らない(今井)。

バッハが使っていた楽器で弾いたら魅力が100%引き出させるか?バッハが今生きていて今の楽器を知ったら別の書き方をしたかもしれない。

より面白い作品の表現の仕方を探し続けると…?

グレン・グールドと古楽復興運動の時代。

バッハはいろんなアレンジ、Pops流のアレンジ、JAZZ風にもされるが、それがなぜ受け入れられるか?

なぜこのドラマが面白いか?脚本・原作がいいから。同じようにバッハの音楽は何がいいか?骨格が良く、どんな肉付きも付けられる。そういう音楽が時代を超えて生きてゆく。

津軽三味線で弾くバッハ?

生きたバッハの証言。熱血な青年像。

バッハのエッセンスは?ラーメンやお寿司の魅力と比べると?

多様化の時代。同質のコミュニティーの限界。

コンセルヴァトワール(音楽院)の政治性?文化的帝国主義。キリスト教の宣教師との比較。

1970年代のニューヨークの下町で起こったヒップホップとその背景。ベートーヴェンやモーツァルトの音楽も元々貴族社会へのプロテストだったのに権威化されていった。如何にフランス革命の時代のPassionを現代に蘇らせるか?

音楽を作った作曲家が抱いていた、表現したかった感情は今を生きている一人ひとりとなんら変わりはない。反発や愛情や慈しを音にのせたこと、その土壌は変わらない。理解し難いものではないがクラシックやPopsやJAZZとはスタイルが違うが、こめられているもの表現されているものは同じ。

時代を超えた本質的な根っこのところは人類(人間)は変わっていない…

クラシックに縁のない人が如何に発見するか?とっかかり?教育?アコースティックな響きの魅力に触れること。その発見が必要。Popsとの橋渡し的な機会?

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