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【なんのために?】日記はつけて、残しておく理由【意味あるの?】
2017年、思い出は燃えた。
私が日記をつけ始めたのは、2008年の春だった。
あまりに引っ込み思案な自分を変えるため動き出したのだ。その引っ込み思案っぷりと言ったら、この世のすべての人は自分より優れていて、だから誰よりも自分は劣っていて、周りが羨ましいな…自分は一生結婚できないんだろうな…などと十代にして(幼かったからこそ?)思っていたほどだ。これは引っ込み思案というより、絶望少年?
そんな自分を変えようと思い立ったのがその年。好きなグループのコミュニティに入会、そこで開かれたイベントに参加した。
初参加のときの容貌があまりにもダサかったことは覚えている。黒いTシャツに黒いジーンズ、適当な短髪。とはいえ当時はダサいなんて思っていなかったけれど今戻れるなら服を買ってやりたい。男女が集って歌って飲んで食べての宴なのだ。
そこから事あるごとに催しに参加させてもらい、友人もでき、楽しく過ごしながら少しずつ成長していったと思う。悲観的な男は何かを変えていった。日記をつけたり新たなつながり(音楽仲間、読書仲間・・・)を増やしていった。
色々な人との交流の中で話を聞いたり、つまらないことを楽しそうに書き記したり、悩み相談に乗ったり、時には助けられたりした。
そんな数々の思いを残してきた「日記」が、ある日消え去ることになる。連絡先も、交流の痕跡さえなくなってしまった。連絡先を知っているいくらかの友人はいきなり消えたことで心配してくれた。
日記が消えたこの悔しさは、なかなか消化できなかった。
この気持ちの消化(消火)方法は、また別の話。
なくなってしまったことで、振り返ることができなくなってしまった。たとえ容姿のダサく冴えない黒歴史青年が書いたものだとしても、いつ読み返すかわからず書いていたものでも、
「読めるけれど読まない」のと「読めない」のでは全く異なる。日記を書くことにいくらかの時間を費やしてきた。それが全て消えたことで人生をいくらか否定されたような気分にもなった。
ふと懐かしんで「あの頃はよかった」とか「あのときああしていれば…」なんて思いが浮かんで、昔に戻りたいと感じるのと似たような胸の痛みを、日記を失ったことで覚えた。
だから日記は、残しておかなくてはいけない。
どれだけのつらい思いをしたか
それを乗り越えるまでの軌跡
どんなに楽しいことがあったか
生の要素も負のそれも、振り返りたくなるときが、いつしか訪れる。
これが日記消滅の件で得た教訓。紙のノートに残しておけばよかったね。
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