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『エンドウォーカー・ワン』第44話

 村には春が訪れようとしていた。
 あの日交わした「約束」は果たされ、支援により少しずつではあるが農村としての機能を取り戻しつつある。

 だが、住人の表情にはみな何処か影があった。

「アルファ様が出ていかれて、この村は良くなった」
「馬鹿なことを言うな。彼女が守ってくれていたからこそエターブの援助を得られたのだろう」
「だが、キリエはアルファ様の身代わりになったまま帰らず、母親はすっかり元気をなくしてしまった」
「しかしだな……こうなることは覚悟の上で名乗りを上げたのだろう?」
「それは……あの方がいつか必ず連れ戻すと言ったからで」
「一向に戻る気配がないではないか! 我々はあの魔女に騙されたのだ!」

 集会所の一室で大の大人たちが責任の所在をめぐって言い争いをしている。
 それを遠くに聞き、通りを歩いていた少年は少しばかり耳障りだと思い、来た道を引き返そうとする。
 急に振り向いたせいだろうか。彼は背後から肩を叩こうとしていた者の存在に気が付かず、鼻から衝突してしまった。

「っとっと」

 それは少しお道化どけた声で優しく抱きこまれ、まるで太陽フレイヤIIのようなかぐわしい香りが彼を包み込む。

「相変わらず周りを見ないんだから」

 御伽噺おとぎばなしに出てくる吸血鬼のような灰色の女性は、慈愛の眼差しで少年を見つめる。

「……アルファねーちゃん?」
「久しぶり、フリオ」

 フリオの顔に一瞬だけぱあっと光が差すが、それも一瞬のこと。すぐに意気消沈し、視線をアルファから逸らして口をきつく結ぶ。

「フリオ?」
「キリエねーちゃんが連れ去られてから俺はようやく全てを知らされた。それまでは自分のことしか考えてなくて、どうしようもなく自分勝手な子どもだった……視野が狭くなっていたんだ」
「きみはまだまだ小さいから仕方ないよ。そもそもその事を知っていたのはごく僅かの人間だけだし、フリオが気にすることないんだよ」
「だからと言って!」

 フリオは乱暴気味にアルファの腕から逃れると、白い不並びな歯を食いしばったまま数歩後ずさった。
 自分がまだ幼いから、子どもだから仕方ない。
 村人たちは彼がミスする度にそう言い、誰しもが通る道さと苦笑いを浮かべる。
 人生経験が浅いからといって大目にみてくれている――その現状に甘えそうな自分がいて、堪らなく嫌だった。

「フリオ」

 叩けば安易に打ち砕かれそうな硝子細工の彼にとって、今もっとも避けるべき相手が道端で屈み、少年と目線を合わせて微笑んでいる。
 どこか憂いをはらんだ冬を迎える前の季節のような、そんな笑顔。

 アルファ――イリア・トリトニアがこの村に滞在していた頃。
 彼女は夏の暑い盛りを過ぎ、収穫期になると自ら率先して作業に従事していたのだが、たわわに実る麦を見つめてはどこかぼうっと呆けていることが多かった。
 そこにはきっと故郷イルデ州の風景が広がっていて、黄金色の少年少女が走り回っていて、農家から何度も注意されて。でも懲りないふたりはまた駆け回っていて――そんな失われた幼少期の原風景。
 そんな、顔を。していた。

「私もそんなに人生経験積んでないけどね。自分の選択にあまり後悔してほしくはないな」

 その言葉がどれだけ優しくて心を蝕むものなのかはイリア自身がよく知っている。
 だが、彼ほどの歳で過去を憂い共に沈んでいるようであれば大人の務めはひとつ。

「忘れてなんて無理なことは言わない。フリオ、あなたの今は数々の選択の上に立っている。どれだけ後悔を重ねても、過去の過ちはくつがえせないけれど、私がその足枷になっているのなら……きみには前を向いて歩いてほしいと思ってる」

 底抜けにお人好しの魔女に、少年は泣きそうになる。
 妬まれ、裏切られても尚人のことが好きで、笑みを讃えながら寄り添ってくる。
 人間不信になることなく愛を振るまくさまは決して頭足りずではない。
 彼女は心の底から人という存在を愛していた。

「……ねーちゃんがそう言っても、俺は自分のことを許せない。この罪は死ぬまで背負い続ける」

 フリオは湿り気が帯びてきた目を悟られないようにゴシゴシと荒く擦ると、背筋を正してイリアに向き直る。
 どう言い訳しようともかつての恩人を裏切った罪だけは消えない。消してはならない。
 年端もいかぬ彼はそこで初めて顔を上げた。

「フリオも、男の子なんだね」

 少年の髪をイリアが慈しむように撫で、音もなく足を伸ばすと「じやあ、行ってくるね」と灰の長髪を翻して背を向けた。

「どこへ?」

 遠ざかる背へ少年が問い掛ける。

「皆が平和に過ごせる世界をつくりに。きっと、それは私たちしか成し得ないことだから」

 イリアは顔だけ少年に向き直り、どこか寂しそうに微笑んだ。
 ここには帰ることができないかもしれない――そんな一抹の不安を感じながらその場を後にした。

「……別れの挨拶は済んだ?」
「はい」

 村外れでノーストリア情報部のレスティアがごく一般的な乗用車にもたれかかり、近寄ってきた人影に呼びかける。

「先がたベルハルト・トロイヤード――いえ、貴女がたがノインと呼ぶ男のカード使用履歴を探ってみましたが、トールバス本島で何件かありました。治療費に、レンタルカーにレストランでの飲食費。数日前のそれが最後ですね」

 アレクは長時間の運転で疲れていたのだろうか。
 後ろに倒していた車のシートから跳ね起きると、事前まで目を通していた書類を確認しながら舌が回らない様子で言った。

「そこから先は?」
「残念ですが、分かりかねます。なにせあそこは国際平和監視機構の支部がありますので、我々も動きづらく情報が入ってこないのですよ」

 灰被りの魔女の問いにアレクは「まあ、昨今の人員削減が悪い方向に効いているのですけどねえ」と付け足し、空気の抜けた風船のようにシートに寝転がる。

「生きてるのならそれだけで良いです」

 イリアは後部座席に乗り込みながら淡々と答えた。
 きっと彼は迎えに来てくれる。
 彼女は幼き日にあの黄金色の世界で交わした約束を信じていた。
 次に会った時こそ自分の本当の気持ちを伝えるんだ――白い拳を作りながら奥歯を強く噛みしめる。
 その日の為にも今自分がするべきことをこなさなくては。思いは強く、血の通った赤色の瞳には確固たる強い意志が宿っていた。



  • 執筆・投稿 雨月サト

  • ©DIGITAL butter/EUREKA project


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