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『エンドウォーカー・ワン』第54話

 サウストリア解放戦線の襲来から数日後。
 街の一角を吹き飛ばしてしまったイリアらはそこから逃れるように二分し、本来のリカルド捜索班とは別に捕虜や負傷者を後方へ送る役目を担う班で分かれていた。
 都市圏近辺の飛行場より彼らを後送し、再度合流する運びで、明日には到着する予定だ。

「――それで、何か思い出した・・・・・ことはあるか?」

 レスティアが椅子に縛られ、項垂れていた淡緑の女性の顎先をくいっと上げた。
 とある農村から借用した地下室でその取り調べ・・・・は行われていた。
 収穫の季節を過ぎ、草葉の青臭い臭いが残る室内で「ベータ」は敵意丸出しの瞳で睨み付けると「国家の犬が……」と言い捨てると顔の筋肉全体で怒りを顕わにする。

「アタシを何と呼んでくれても結構。ただ、こうして無駄に時間を稼いでも貴女や組織にとって何の得にもならない」
「……無駄? はははっ、君たちは本当に馬鹿だなぁ。ボクが何の勝算もなく大人しくしていると本気で思った?」
「強がりを!」

 別の尋問官がベータの頬を平手で打つ。
 だが、彼女は全く狼狽えることなくパステルグリーンの瞳を病的に輝かせ「目先のことに精一杯で、近付く『軍勢』の足音にも気が付かないだなんてホントに馬鹿だなぁ」と口元を思い切りニタァと歪ませた。

「……まさか、アレが……? ウォッチャー監視者、周囲に異常はないか?」

 レスティアが小型マイクに問い掛けるが「いたって平和ですよ、先輩。最新の衛星画像でも大きな動きは見られませんでしたし」とアレクの欠伸混じりの声が返ってくる。
 彼女の苦し紛れのハッタリブラフだろうか――深蒼の瞳が細められ、口の端を赤黒く汚すベータを睨む。

「ふふ」

 だが、ベータは何も語らずにただ微笑むだけだ。
 それからは主への絶対の信頼――いや、狂信的なものさえ感じ取れる。

「了解。だが、警戒を厳に。動きがあれば逐次報告して」
「どうかしたんですか先輩。あの子がヘンなことでも言いました?」
「良い予感がしたことなどはないけどね。どうも、最悪な目に遭いそうな気がする」
「……了解しました」

 アレクはレスティアの押し殺した声から察し、小型ヘッドセットに埋め込まれたダイヤルを操作して無線のチャンネルを切り替える。

「こちらコントロール。各員状況報告」
「有視界内に脅威なし。街道を行き来しているのも一般乗用車だ」
「衛星回線回復まであと5……2、1。受信」
「どうですか?」

 香しいコーヒーを啜りながら野戦用情報端末を操作していた隊員へアレクが問い掛ける。

「少尉殿、10分前と変化ありませんよ。野鳥に猪、それに農家が点在するだけで――」
 彼はそこまで言いかけ、言葉をぐっと飲み込んだ。
 安物のコーヒーがなみなみと注がれた紙コップを乱雑に机に叩きつけ、端末の狭いディスプレイに食らいついた。

「どうかしましたか?」
「これは……いや、確かにこの一帯には家屋があった筈なんですが……まさか……」
「しっかりしてください。説明を」

 一体何を見たというのだろうか。
 動揺を隠せず、言葉に詰まる隊員の肩をアレクは揺さぶる。

「これを」

 隊員がディスプレイに映し出された地点を指さす。
 そこは幹線道路から数キロ離れた高低差の少ない平野だが、地均し・・・をしたかのように「何か」が北東からこの街を目掛けて真っ直ぐに迫っていた。

「光学カメラ、サーマルともにこれが何であるかは判明できません――大地そのものが迫っているとしか」
「……すぐに付近の偵察ドローンを送ってください。先輩?」
「ああ、聞こえているよ。対象・・をボギー1とし、これを迎撃する。各員戦闘態勢」

 レスティアの張り詰めた声が一個分隊にも満たない隊員たちに行き渡り、ある者は寝床から飛び起き、またとある者は手を付けたばかりの焼き飯を咀嚼そしゃくもそこそこに胃の中へ掻き込んで村の中を駆ける。

「アルファ殿?」
「少しお待ちを」

 イリアは患者の治療中にその無線を耳にし、個人経営の治療院から抜け出ると緩んでいた小型ヘッドセットを正して「こちらアルファ1、現在の状況は?」と呼びかけた。

「未確認の何か・・がこちらへ接近中。ドローンの有視界内までおよそ90秒」
「何か……って、衛星からの情報は?」
「不明。万が一に備えて貴女は南方向へ離脱を」

 マイクのノイズキャンセリング機能でも消しきれないほど現場は怒声が飛び交い、切迫した様子が彼女にびりびりと伝わってくる。

「……仲間を置いてはいけません。それに、その何か・・が敵対しているとも限りませんし」
「まだ組んでから数か月も経ってないのにそう呼んでくれるかい。嬉しいよ」

 レスティアは何故か自傷気味に笑う。
 きっとそれは様々な感情をはらんんでのことだったのだろう。
 最初は戦争の道具として利用されるだけの魔女を憐みの目だけで見ていた。
 そして、その感情は現状を打破するだけの武器になるとも。

「……アタシは」

 レスティアは自らの心の芯が冷えていくのを感じた。
 愛国心や世界平和を謳ったところで結局この子を利用しようとしていた大人たちと同じだ、と。
 イリアという存在をより知れば知るほど、自らの行いに呼吸する度に黒い感情が肺を犯していった。
 常に公正で、清く正しく善き人間でありたい――それがレスティアという女性の悲願。
 だが、この世で生きていく上では純粋なままではいられない。
 組織の中で社会的地位が上がるにつれ、彼女の瞳は世間の軋轢で歪んでいく。
 正しいことをしたくて入ったというのに、結局は母国ノーストリアに都合の良いように印象操作や工作をし、他国の弱みを血眼になって探すという汚れ仕事だった。

「アタシは」

 例えこれまでがそうだったとしても。
 こんな善い人間を作戦中に葬り去れという指示に従う訳にはいかなかった。
 凍土で生まれたての小さな炎が、明けることのない闇夜を照らす。

「自分の正義を貫く」

 無線越しのレスティアの声がやけに鮮明に聞こえた――気がした。

「レスティア……さん?」

 イリアが薄茶けた空を仰ぎ、問い掛けるがそこに返事はない。

「――はヒルフォート級移動要塞。大昔の移民船を改修したものさ。そんな巨大建造技術を持っているのは……まあ、今はいい。問題はあれをどう止めるかだけど――」

 彼女は堰を切ったかのように流暢に語り出す。

「先輩?」
「アレク、そして皆も。騙してて悪かったけど、これも仕事でね。それももう仕舞時さ。これが終わったら全て・・を話そう」
「……了解しました。そこは危険です、移動を。以上」

 アレクの言葉を合図に、静まり返っていた現場に再び声が戻る。
 撤収の準備が進む中、レスティアはベータへ徐に近付くと手足の拘束帯を鋭利なナイフで裂いた。

「捕虜を抱えていても邪魔なんでね。何処となりと消えな」
「はっ……正気? 解放した途端、後ろから襲い掛かるかもしれないのに?」
それ・・を除去しない限りはアンタは何もできないただの女だよ」

 レスティアはベータの胸元に光る鈍色にびいろを指差し、まるで興味が失せたかのようにそっぽを向いて撤収作業に戻ってしまう。

「……っ」

 そのさり気ない動作がベータの魔女としてのプライドをひどく傷付けた。
 だが、彼女とて一介の元軍人であり、この程度の挑発で冷静さを事欠いているようでは今日まで生き延びてこれはしない。
 周囲から無数の鋭い眼光が差し込んでいるのを察し、抵抗心を脱ぎ捨てて「――そう、なら好きにさせてもらおうかな」と欠伸を一つ、凝り固まった身体を解きほぐす。
 隊員たちからは完全に無視されているようだが、意識だけは常に向けられており、何ともいえない不快感が覆い被さる。

「邪魔だっ」

 呆けた様子で棒立ちしているベータの痩躯を隊員の一人が突き飛ばす。
 彼女は捨て台詞をすんでのところで飲み込み、痛む左足を庇いながらその農家を後にした。

「はあ……ボクはこんな田舎で野垂れ死にするのがお似合いって言ってるのかな」

 ベータは土臭い空気を大きく息を吸い込み、肺で十分に堪能すると口から大きく吐き出した。
 あれが動き始めた以上、ノイン・・・は自分を助けには来ないだろう。
 彼の目的はただ一つ。
 「アルター7」を再び・・焼き尽くすであろう、災厄の芽を摘むため。



  • 執筆・投稿 雨月サト

  • ©DIGITAL butter/EUREKA project


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