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『エンドウォーカー・ワン』第53話

 空高く輝いていたフレイヤIIは傾きかけ、群青色のグラデーションが空を塗りたくっていた。

「はぁ~……少し、疲れたな」

 アルコールが入っているのではないかと疑いたくなるほどに盛り上がっている部屋からこっそりと抜け出したイリア。
 彼女はエレベーターで一階に降りると、新鮮な空気を吸いにエントランスから敷地外へと出る。
 湿り気を帯びた空気が身体に纏わりつき、身体中から体温を奪っていく。
 いつもは頭の片隅に追いやっている故郷のイルデ州の寒さをふと想う。
 それは今現在のイリア・トリトニアを作り出した原風景。

――帰りたい。

 灰被りの魔女はそう願う。
 彼女が幾ら泣いて懇願しようとも叶わなかった夢。
 居場所などはあの日から既にどこにもなく、道なき道を一人で歩んできた。
 自らが行かんとしている道の先に未来があるとひたすら信じて。

 だが現実は違った。
 自分が屠ってきた屍はただひたすらに虚しくそびえ立ち、手に掴んだものは軍の宣伝にていの良い「灰被りの魔女」の二つ名。

 彼女はこのような未来は望んでなどいなかった。
 人を愛し、愛されて。少しでも世の中を良くしたくて。
 その聖女ともいえる思想は類稀なる魔法の才と、南北間の休戦協定が破られたことで灰塵に満ちた臭いで覆いつくされる。
 自らが最も忌避している行いだけが賞賛され、何度罪悪感で肺が溢れそうになったことか。
 嫌悪に溺れ、否定を繰り返し、深い自己意識の中へと沈んでいく中、彼女はもう一人の自分を見出す。
 「灰被り」を体現したかのような生命を摘み取るのに何ら躊躇ちゅうちょしない冷徹な――いや、それは純粋であるが故に周囲からは「冷酷」であると映るのだろう。
 イリア・トリトニアの中に生まれた第二の人格が前面へ出ることで、本来の彼女は護られていた。

「……」

 イリアは小さな両手を自らの胸の上で重ねる。
 「彼女」が出ている時も、本人の意識が全くなかった訳ではない。
 命令されるがままに破壊魔法を操り、あらゆる物を消し去った。
 時には敵の士気低下・・・・の為に敢えて惨たらしく殺した。
 彼女の身体にエーテルが迸る度に誰かが死んだ。
 その所業故に北から数えきれないほどの暗殺者が送り込まれ、その柔肌を幾千の刃が切り裂き、アルター7交戦協定で禁じられている大口径弾による狙撃で身体の大部分を消失したこともあった。
 そして、とある事件を機に「灰被りの魔女」は表舞台から姿を消す。
 去りゆく者には永遠の眠りを。

「……ふー」

 薄いグロスを塗った唇の隙間から吐息が漏れ出す。
 大気の中に霧散する白い息だけが今の彼女という存在を証明していた。
 抜けていく温もりに肌寒さが襲い掛かり、イリアは思う。
 幼馴染であるベルハルトに想いを馳せているのは自分だけで、彼のほうはあまりその気がないのではないかと。
 過去にエーテル嵐に飲まれ、意識が混濁していることを加味してもあの反応はあり得なかった。
 自分の家へ招き、雰囲気作りもしっかりとして。そこで互いを意識する健康的な若き男女が揃えばやることといえば一つだろうに。

「わっ、私……なんてこと……」

 イリアはその時の自分の愚行を思い出し、顔へと昇ってきた血潮を遮るように顔を覆う。
 それもこれも。

「……ベルが」

 自分を「好き」だと言ってくれたあの幼馴染が――

「ベルがはっきりしないから悪いんだよ……」

 いつだって冷静で理屈っぽくて。
 年上に対して敬意を払うことなど忘れ、生意気で人のことを何かと見下して。
 だけど。
 大事な時には現れて、守ってくれる。
 それは幼少期に何度も読んだ御伽噺おとぎばなしの中に出てくる騎士のようだった。
 だがしかし、手が届いたかと思えば離れ、何度もすれ違いようやく落ち着いたかと思えばまた姿を消してしまった。

――イリア、信頼する者ほど信じるな。

 入国して早々、不穏な一言を残して。
 付き合ってもいないが、別離して一人残された未亡人のような心持ちの彼女は川沿いに張り巡らされた柵にもたれかかり、街灯をきらきらと弾く水面を眺める。
 あのサウストリア解放戦線に不審な動きがあったと耳にしているが、全ては憶測にすぎない。
 今確かなのは彼らの調教師ハンドラーであるリカルド・トロイヤードがこのオストリアに存在する施設に捕らえられているということ。
 そして彼こそが長年続く「アルター7の災厄」の火種を見つけたとも。
 そうであるならば、今自分が出来ることは一つ。

「……こうして会うのは久しぶりだな」

 彼女が決意を新たに拳を握りしめていると、壁際の影が揺らぎ、一人の長身の男性が姿を現す。
 極めて冷徹に。だが、内に秘めた想いが今にも弾けんとばかりに声を震わせていた。

「……あなたは……ノイン?」

 このごろの周囲からの評価は散々な有様だが、決して愚鈍ではないイリアは青年に宿る黄金色の光をすぐに察し、警戒の色を濃くする。
 彼女が灰被りの名を捨て、ベルハルトの護衛任務にあたる際に接触してしまった・・・・・・人物。それがノインという戦力増強のためだけに生み出された人工生命体。

「はは……今は皆がのことをベルハルト・トロイヤードと呼ぶのに、貴女の目は誤魔化せないですね。ご無沙汰をしてます、イリア様」

 「ノイン」が純粋無垢な笑顔を浮かべ、こうべを垂れる。

「ベルハルトの名をかたって、解放戦線に踊らされて……一体何がしたいの?」

 イリアは魔力を全身に駆け巡らせ、不慮の事態に備える。
 今の彼女ならば、たとえ狙撃されようとも瞬時に防御障壁を張り巡らし銃弾を叩き落とすことなど造作もない。
 同時に、目の前の対象を瞬時に消滅させることなども容易だ。

「……あの時、私は貴女に救われた」

 だが、ノインは肌を震わせるほどの魔力波動を感じながらも懐かしそうに目を細めてみせる。

 数年前、とある作戦中にハウンズ小隊の二番機が脱落したことがあった。
 それは戦車大隊に対し陽動を行うもので、二番機はコアパーツに120ミリ滑空砲の直撃を受け、搭乗員のノインも負傷し機動力は大幅に低下。
 圧倒的戦力差により、僚機は彼の援護に回ることすらままならず、戦闘領域からの離脱を余儀なくされた。
 彼らが稼いだ僅かな時間が大勢の命を救う――そう教え込まれた猟犬たちは自らの命を調教師ハンドラーに捧げ、命令とあらばその身を以てして任務へ繰り出した。
 その勇猛さとは裏腹に、一部では彼らをこう呼ぶ者たちが存在した。

 ――消耗品部隊。

 ハウンズ小隊の隊員たちの多くは戦前より精神疾患を患い、それをバネにして訓練に明け暮れていた。
 時代が幾ら進歩しようとも、一度精神を病んでしまえば不良品扱いされる世の中。
 何度も自称「健常者」との溝を埋めようと多くの人間が奮戦してきたが、時代は繰り返し、今は排斥運動が盛んになっている。
 その要因としては不安定な情勢下にあり、誰かの負担になるような人間は存在してはいけない・・・・・・・・・という優生思考がある。
 それは行き過ぎた多様性が可能性を狭め、思考を細らせていった末に導き出した答えだった。

「死にゆくだけの私が、貴女によって救われたのです。生きる理由がベルハルト様や同僚――そして、そこに貴女が加わってしまった」
「それとあなたがしている所業とどう関係があるっていうのよ!」

 イリアは要領を得ないノインに素の感情をぶつけてしまう。

「……グラビティウォール作戦で流動エーテル体に飲まれた時に未来を視たのです。ベルハルト様の記憶と、アルター7の災厄として消される貴女を。彼の身体は死に、私と一つになった。ならば自分がするべきことは何か――」
「適当なことを並べないでっ。ベルハルトは生きているし、私がこの星の害になるなんてあり得ない。あなたこそ、主人のようになりたいというみすぼらしい憧れを叶えたと思って大きな気になってんじゃない!」
「……っ、言わせておけば!」

 ノインは大切にしていたい・・・・・と思ったイリアから思わぬ反発をされ、瞬時に頭へ血が昇り、携行していた拳銃を目にも止まらぬ早さで抜き取る。
 イリアは銃口を顔に向けられながらも冷徹に「『生きる理由』だったのでは――?」と言い捨てる。
 彼女がノインを救った時の感情などはとうの昔に消え去り、今はたおすべき敵であるという認識しか存在しない。
 だが、ただ消し去るだけでは道理が通らぬ。
 ベルハルト・トロイヤードの名を汚したこと。世界を混乱に巻き込んだこと。
 この男にはそれ相当の代価を払って貰わなければ。
 イリアの瞳に戦場の残滓ざんしが僅かに舞う。

「……こうもあの男に取り入れられているとは思わなかった。願わくば、私の元で保護したかったが……制御できない力ほど危ういものはない。ここで死んで――」

 ノインが黄金色の光を引き絞り、拳銃を構え直そうとした次の瞬間。
 彼が言い終わらないまま二人の間にある空間が大きく歪み、蒼白い炎が奔る。
 それは歪な軌跡を描きながら瞬きも許さないほどの速さでノインの顔半分を吹き飛ばす。
 彼が僅かに顔を逸らさなければ、それは脳に到達し即時に死に至らしめていただろう。
 彼女の意思を示すには、恐怖を相手に植え付けるにはそれ・・しかなかった。

「ぐぁっ……」

 視界半分を奪われ、ノインが呻きながらも姿勢を低くし、牽制射撃を行いながら石畳の上を横へ駆ける。
 小口径の拳銃弾とて生身の人間には脅威であることに違いはない。
 イリアはそれらを魔法障壁で防ぎながら、下半身に魔力を注ぐと前方へ低く跳躍した。
 長い銀線なびき、赤い閃光が奔る。
 常人ならば反応することも出来ず、胴目掛けたミドルキックで大きく姿勢を崩されてしまうところをノインは紙一重で防ぐ。
 だが、それはあくまで牽制。
 イリアは彼を足蹴に、大きく飛び上がると空中に身を躍らせて両手を地上へと突き出す。
 薄月を背に、無数の蒼白い閃光が手に集まる。
 相手を屠るだけの病的に澄み切った赤い瞳が相手を突き殺す瞬間、彼女は機械のように顔を左へ流す。
 鼓膜を何枚か持っていかれそうな炸裂音とともに巨大な火の玉がイリアに纏わりつく。

「特殊焼夷弾……っ。どこから……」

 イリアは魔法障壁でさえ侵食する炎を障壁ごとかなぐり捨て、再展開しながら周囲を素早く見渡す。

「全員、火力を前方へ集中せよ。回収急げ!」

 どうやって今まで探知サーチを搔い潜っていたのだというのだろうか。
 周囲には少なくとも6人の武装した解放戦線の戦士たちが展開しており、銃口から吹き出る燃焼ガスで銃花を次々に咲かす。
 無数の――いや、たかだか数十の鉄片が灰被りの魔女に襲い掛かり、完全に展開されていない薄紫色の障壁に次々と突き刺さる。
 これが生身の人間ならば手足は吹き飛ばされ、胴体には風穴が無数に開いて見るも無残な有様となっているだろう。

「……ノインといい、随分と舐められたものね」

 イリアが失意混じりに言い捨てた。
 障壁がたとえ出力不足だとしても対人火器程度を無力化することなど造作もない。
 鉛を複合金属で覆った銃弾が次々に足元に転がり、鈍い金音を奏でその身を横たえた。
 息もつかせぬ猛攻の中、灰被りの魔女はその身を躍らせ、まるで誘うように細い手を兵士たちにかざした。
 それは銃火に曝されているとは到底思えず、兵士たちの引き金トリガーにかけた痛いばかりの力が一瞬抜けてしまう。
 刹那。何の前触れもなく彼らを取り巻く空気が爆ぜた。
 蒼白い炎に包まれ叫びながら地面をのたうち回る兵士たち。
 高濃度の魔力によって生じた炎がそう簡単に消えるはずもなく、周囲の酸素を確実に消費しながら彼らの意識・・を次々と奪っていく。

「……すみません。ボクが時間を稼ぐので、彼を頼みます」

 彼らの必死の援護の元、負傷したノインを二人がかりで運んでいた鮮やかな緑髪の女性がふとその手を放し、何もない空間から一振りの長杖を抜き取って虚空で振り、イリアに向き直る。

「……ベータ」
「『アルファ』、久しぶり。こうして会うのは終戦以来だっけ?」

 パステルグリーンの女性はかつての戦友ににこりと笑いかけ、並みの人間では心臓の音を失ってしまいそうなほどの殺意を向けてきた。
 見た目麗しい若き女性たちが奥歯をきつく嚙んで全身の血を滾らせ、全身に過剰なまでの魔力を奔らせる。
 かつてハウンズ小隊付きの魔女として着任した「ベータ」は自らに与えられた名に疑問を感じた。
 当時の上官であるハンドラー調教師・リカルドにそのことについて問うと、アルファと呼ばれる先任の戦略級魔女が居るとだけ知らされる。
 その魔女こそがイリア・トリトニアであると判明したのはサウストリア解放戦線に加入してからのことだ。
 ノインはベータという女性を愛したが、日々の言動からイリアに対して執着心のようなものさえ感じることが多々あった。
 それはベータに嫉妬を抱かせるには十分すぎた。
 彼の寵愛ちょうあいを受けべきは自分だけだ――十二分の殺意がベータの杖から迸り、閃光が放たれ場を白く染め上げた。



  • 執筆・投稿 雨月サト

  • ©DIGITAL butter/EUREKA project


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