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長編小説『エンドウォーカー・ワン』第1話

「はあ、はぁ、はぁっ……」

 少年の炎のように赤い頭髪が黄金色の海で跳ねている。
 まとわりつくような夏の熱気が少しだけ和らいだ八月の中日なかび
 彼は収穫前の実り豊かな小麦たちを左右に掻き分け、きらきらとした真夏の海のような澄んだ瞳で先に行く灰色の線を必死で追っていた。

「ほらほら、ベルったら遅いんだから。もたもたしてると置いて行っちゃうよぉ」

 少女は時々「ベルハルト」のほうを赤色の瞳で振り返りながら小麦畑を駆けて声を張った。
 長い髪は灰色が差しこんだプラチナで、それは軽やかに後ろで踊っている。
 ベルハルトはそれに導かれるように頬を叩く穂に顔をしかめ「イリアっ、待てよ!」と少女の名を叫んだ。
 黄金色の海原の彼方へと沈みゆく日の光が周囲を紅く染めていく。
 歳を十も数えない二人が出歩くにはもう遅い時間帯。
 少年がやがて少女に追いつき、小さな片手を掴んだ。
 故人を悼むような黒い服装を小麦畑にうずめ、赤と灰の異なる色が重なる。
 イリアに覆い被さるベルハルトの荒く湿った感情が流れ出し、白い肌の上で弾けた。

「ベル」
「イリア。お前は居なくならないよな」

 ベルハルトが思い切り顔を歪める。
 それは葬儀の時には誰一人とて見せなかった顔。
 下になったイリアのことも厭わずに熱いしずくを垂らした。
 彼はイリアを繋ぎ止めるように細い手首を握ったまま放そうとはせず、彼女もまた抵抗らしい抵抗はしなかった。
 そして彼に付いた涙のあとを片手でなぞると「ベル、私のこと。好き?」と柔らかし眼差しで少年の青を見つめる。

「えっ」

 ベルハルトはねこだましでも食らったかのように咄嗟に身を引いて声を漏らす。
 その顔色には明らかに戸惑いが見られる。
 まだ幼い彼女は十も分かってはいなかったが、あながち脈無しではないのだなと表には出さずに心の奥底でほっと胸を撫でおろした。
 あれだけ近い位置にいて、異性として全く意識されないのは彼女のプライドが許さなかった。
 それは彼女が少年に好意以上のものを抱いているからであり、彼にもそうあって欲しいという単純な感情からだった。

「この感情が家族とか親しい奴に対するものか、女に対してかは分かんねぇけど……俺はイリアのことを好きだと思う」

 想像以上の答えがベルハルトの口から聞いて取れ、イリアは思わず小鼻がピクリと動いた。

「……50点」

 少女は夕焼けに負けないほど頬を紅く染め、ぷくーっと膨らませて抗議をする。
 経験のない彼女でも予防線を引かれての告白など許容し難かったのだ。

「ベルのばかっ。どこの世界そんな告白をする男の子がいるのよっ!」
「ここに居るが」
「折角の雰囲気が台無しじゃない」

 イリアの言葉にベルハルトは幾分か冷静さを取り戻し「悪かったな。俺だってこんな感情になるなんて初めてなんだよ」と言うとばつが悪そうに立ち上がり、イリアに手を差し伸べる。
 彼女もまた家族を亡くしたばかりの少年に対して思いやりが足りなかったと反省し、その手を取る。

「言い方が悪かったかもしれない。だけどさっきの言葉は本当だ、俺はイリアのことが好き――なんだと思う」

 今一つはっきりとしない少年にイリアは拳を握り、彼の胸板をぽすんと軽く叩いた。
 そして紅い目を見開き、ベルハルトにぎらぎらと決意に満ちた視線を送る。

「いつか、いつか今よりも綺麗になって見返してやるんだから」
「……その時は迎えに行ってやるよ。約束だ」

 黄金色の海原が風でさわさわと波立っていた。
 赤髪のベルハルト・トロイヤードと灰色のイリア・トリトニア。
 これは二人が織り成す灰被りの御伽噺おとぎばなし


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