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 先生
「おはようございます。明日は皆さんお待ちかね給料日の日ですね。皆さんは給料を何に使いますか?」

 先生はホームルームでそんなことを言った。

 先生
「これも授業の一環です。大人たちは給料で何を買うのか妄想しながら日々の仕事を頑張っています。そのことを隠してしまう教育はよくないと文部科学省も判断しています。今日は皆さんが初給料で何を買うのかお互いに発表しましょう」

 なんて欲望にまみれた授業なのだろう、逆に潔いな。

 先生
「ではまずは榛さんから」

 
「え、えっと……たくさんのケーキと推しのグッズを買います」

 先生
「素晴らしい。次に梓さん」

 
「欲しかった服を買います。着たいのたくさんあるので」

 先生
「100点、篝さん」

 
「船を買うために貯金します」

 先生
「花丸! 四季さん」

 四季
「稼いだお金は家族に預けます。私はお小遣いが5000円から3万円に上がります」

 先生
「素晴らしいですね。唯さん」

 
「貧しい人のために寄附をしようと思います」

 先生
「それもいいでしょう。千歳君」

 千歳
「特に、何も決まってないですね」

 クラスは静まり返った。

 先生
「-20点、もっと欲望を素直に出しなさい。それでは社会人はやっていけません」

 千歳
「そうですか」

 欲望を数値化する先生もどうかと千歳は思ったが、そういう感想を抱いてしまう千歳も愛嬌がないな。

 先生
「千歳君はお金が好きなんですか?」

 千歳
「いいえ、他に好きなものがないだけですね」

 先生
「まあ、これからゆっくり考えてみるのもいいでしょう。それでは今日はこれで解散。明日はお休みですね。ゆっくり休んでください」

 その日は解散になった。

 自宅に戻ると、変わらず百々が待っていた。

 百々
「お帰りお兄ちゃん。今日もお疲れさま。よく頑張ったね。これからもお仕事かな?」

 千歳
「いいや、今日はお休み。もうすぐゴールデンウィークだから、仕事も休みだって。生まれて初めての春休みかな?」

 百々
「そっか」

 今日もコンビニのお弁当を食べて二人は家族だんらんを楽しんだ。

 話題としては百々が学校でやる仕事が決まったこと、雇い主が現れたこと、そういう話題が中心だった。

 千歳は先に仕事をしていた身としてアドバイスをいくつかしたが、毎日現れるタスクをひたすらこなしているだけで仕事は完結だと言っておいた。

 学生がやる仕事に創造性が求められることはない。

 ただ作業をやっていればそれでよいのだ。

 現に千歳はそうなっている。

 夕飯を食べ終わって、金曜日の21時から放送される空に浮かぶ城を見て、千歳はその時を待った。

 仮想現実に仕事でもないのに下り立ち、銀行の支店コーナーへ向かった。

 周囲には誰もいなかった。

 が、ぽつりぽつりと人影がある。

 千歳は現在アバターをオフにして仮想世界を眺めるだけの状態になって、自分の姿を消している。

 0時が近づくにつれて、サーバーの動作が重たくなってきた。

 何が起きているんだと千歳は周囲を見渡すが、何も変化はない。

 アバターで現れている人はそれほど多くはないのだが、なぜだかすごい勢いで銀行のサーバーが重たくなっている。

 そして目的のお金が振り込まれる0時ちょうど、千歳が入金を確認する一歩手前でサーバーがダウンするのだった。

 千歳は仮想現実からはじき出された。

 千歳
「なんだ、みんな考えることは同じか」

 明日にならないと無理だなと思って、千歳は素直に眠るのだった。

 わずかな悲しみをたたえて。


 次の日、太陽が昇るとゴールデンウィークが始まった。

 千歳はスマホで自分の口座を確認すると、社会保険料と税金がひかれた金額が口座に振り込まれていることを確認した。

 少々テンションが上がった。

 そうして、お金をおろしに銀行へ行くのだった。

 大人になればクレジットカードという便利な道具によって銀行へ行かずとも支払いができるらしいが、千歳はまだその段階にはいない。

 だからこうして休みの日に銀行へ行かなければいけないのだ。

 それに、給料が出たら少し散財しろと言われているので、今日はラーメン屋に行こうと心を改めたが、ラーメン屋は未だに現金しか受け付けていないのだ。

 ところで、スマホの通知にこんな文章が流れた。

 特別支援学級ゴールデンウィーク予定表、暇な人集まれ。

 梓が何かしらの企画を立てているようで、特別支援学級の生徒同士集まって遊ぼうということらしかった。

 行先はカラオケ屋さん。

 じゃあ、行くためにお金が必要だよな、と思って千歳は銀行へ急ぐのだった。

 それにしても、給料が出てやることが友達と一緒にカラオケだなんて、梓は普通の女の子だなあ、と千歳は思った。

 ある意味貴重な存在だ。

 千歳は銀行に入ると、銀行の入り口で榛があたふたしているのを目撃してしまった。

 千歳
「あ、榛さん、どうしたの、こんなところで」

 
「千歳さん……実はATMの使い方がよくわからなくて」

 千歳
「あはは、そっか、榛さんは知的障碍があるからわからないんだ。大変だね。じゃあ代わりにやってあげるよ」

 
「そ、そうですか。ありがとうございます」

 千歳は榛から口座のパスワードを訪ねて、お金を引き下ろした。

 その中から手数料を引くでもなく、榛に渡す。

 
「私、一人じゃ何もできなくて。銀行も店員の人に手帳を見せて手伝ってもらいなさいって、お母さんが」

 千歳
「そっか」

 
「それから、買い物に行くときも何を買えばいいかわからないから、お母さんがついてきて」

 千歳
「ふーん、それで?」

 
「一人じゃ何もできなくて」

 千歳
「すごいね、榛さんは。人に助けてもらうにはどうしたらいいのか、全部知ってる」

 
「それって、凄いことなんですか?」

 千歳
「凄いことだよ」

 自分にはない能力だな、と千歳は思った。

 榛は知的障碍者だったが、千歳よりもはるかに上位の存在だ。

 千歳はそう感じた。

 自分の分のお金を引き出して千歳は梓とのトークに連絡を入れた。

 『千歳、参加』

 そうして梓とのカラオケデートが決まったのだった。

 待ち合わせ場所に集まり、周りを見渡すと、集まっていたのは梓と千歳だけだった。

 
「千歳君、今日は来てくれてありがとう。誰も集まらなかったらどうしようって思ってたんだ」

 千歳
「いや、こっちこそ、ゴールデンウィークだけどやることなくて。誘ってくれてありがとうね」

 
「じゃあ、入ろうか」

 そうして二人はカラオケルームに入った。

 梓が歌う曲は、極めて内向的な人間が聴く音楽だな、と千歳は思った。

 音楽としての素晴らしさよりも歌詞の意味、詩としての表現が優れている内容が多い。

 梓の歌い方も繊細で、言葉の意味を大切にしながら歌っている。

 ふーん、梓は意外にも繊細なのだな、と感じながらその内向的感傷という空間に浸る。

 梓の心情、内心が部屋という空間に染み出して、それが千歳にも響いてきているかのようだった。

 響いてきている、いや、染め物にされているといった方がしっくりくるだろうか?

 
「次は千歳君の番だよ」

 千歳が歌う番になった。

 千歳が歌った曲は、

  • 毎日自分を偽りながら生きている人の歌。

  • 愛された記憶がないのに、愛される温もりを知っていた人の歌。

  • 自分を押し殺して空気を壊さないようにしている人の歌。

 
「千歳君、そういう歌好きなんだ。なんだか、大変そうだね」

 千歳
「そうかな? こういう生き方が自然になっちゃってるからなー」

 その人が聴く音楽というのはその人の性格を反映するという。

 千歳の歌った曲は千歳の内面を精密に描写していた。

 梓には、なぜかそれが解ってしまったのだな。


 一通り歌い終えると、カラオケ終了の時間がやってきた。

 帰り道、梓は千歳にこんな話をするのだった。

 
「千歳君って意外と歌うまいね。また来ようね。千歳君の歌、また聴いてみたい」

 千歳
「それはどうも」

 成績が優秀で歌がうまいだなんて、千歳も隅に置いておけないな。

 別に練習したというわけでもないんだが、まあ、普段から音楽を聴いているからな、歌がうまくなるのも納得だ。

 
「私、歌が上手い人好き」

 千歳
「それはどうも」

 
「歌が上手い人って、なんだか生きてるって感じがするよね」

 千歳
「それってどういう意味だい?」

 
「私は、親にいろいろと制限つけられてるから、何もできないんだよね。だから、毎日息苦しい。だけどそれは千歳君も同じで、毎日息苦しいんだなって、そう思った」

 いいや、千歳は淡々と仕事をこなしているだけなのだがな。

 まじめに働いてお金を得る、それだけでいいじゃないか、と千歳は思った。

 思っただけで、それは梓には当てはまらないのだろう。

 帰り道、千歳は帰路に就こうとして、やっぱりやめた。

 なぜだか、家に帰りたくない。

 駅のベンチに座って時間が過ぎるのを待つのだった。

 なぜこんなことをしているのか千歳にも分からないが、千歳がなぜそれをしているのか分からないのでは、この世界に誰も千歳がやっていることを説明できる人なんていない。

 結局千歳は駅を出て夜中の繁華街を歩くのだった。

 そうしたら、最悪なことに先生が白と黒のメイド服に身を包んだメイドさんにそういうお店へと誘われているところを見てしまった。

 あそこは大人の空間らしいが、千歳もな、金だけはあるわけで、そこへ入っていってしまった。

 先生
「おや、千歳君じゃありませんか、どうしてこんなところへ?」

 千歳
「いや、先生が入っていったので」

 先生
「ついてきたのですか。面白いですね。まあ、いいでしょう。千歳君も働いているということは大人だということです。こういうお店に入る権利も当然あるでしょう」

 千歳
「それは、そうですが」

 先生
「あー、チップを払うんで軽めのお酒を2杯。私と彼に」

 先生はお酒を注文して、自分自身と千歳の前にそれを置くのだった。

 先生
「お酒は初めてですか?」

 千歳
「そうですね、初めてです」

 いろいろ考えた末、千歳はこんなことを尋ねてみる。

 千歳
「大人はどうしてお酒を飲むのですか?」

 先生
「そうですね、心が麻痺しているからですよ。子供は心が傷ついたら泣くことを許されますが、大人は泣くことを許されません。当然、笑いたいときに笑うこともできません。そうしているうちに、自分の心がどこにあるのか分からなくなってしまう。だから、お酒を飲んで自分の心を開くのです」

 千歳
「なんですかそれ、よくわからないですね」

 先生
「分からなくてもよろしい。子供というのは安い感動しか分からないものです」

 千歳
「そうかもしれませんね」

 先生
「今のは相当馬鹿にしたと思いますよ? 怒ってもいいのでは?」

 千歳
「馬鹿にしているんでしょうか、今のは? 確かに安い感動しか分からないとは思っていますよ。芸術家でもあるまいし、小説を書けるわけでもない。確かに安い感動ばかり浴びて暮らしていますね、実際」

 先生
「そうですね、千歳君に一番足りないものをあげるとしたら、感受性でしょうか? 普通子供だったら働くのは嫌だとか、もっと遊んでいたいというものですが、なぜだか千歳君にはそういうのがありませんね。周囲とのコミュニケーションもうまくいっていますし、仕事の依頼先からは千歳君が一番就労成績がいいと報告を受けています。ですが、学生生活はそれだけではありませんよ」

 千歳
「何がいけないんですか? 自分は勉強もできますし、仕事もできます。人との交流だって、やれてるのに、何がいけないんでしょうか?」

 先生
「やれやれ。現代の子供の悪いところ全部乗せのような子供ですね、千歳君は」

 千歳
「何が悪いんですか?」

 先生
「まあ、まずはお酒を飲んでください。話はそれからです」

 千歳は目の前に置かれているお酒を飲んだ。

 味は、それほどでもなかった。

 舌に違和感を覚えたが、それが次第に喉に、胃に伝わってくる。

 先生
「どうでしょう? このまましばらく話しましょう」

 千歳
「それで、何が言いたいんですか?」

 先生
「例えば、千歳君はりんごと言われたときに何を思い浮かべますか?」

 千歳
「りんごはりんごでしょう」

 先生
「果たしてそうでしょうか? りんごにも青森のりんごがあれば、長野のりんごがあります。それぞれ違う品種です。ところが、今先生が言ったようにりんごと言ってしまうと、千歳君が思い浮かべたリンゴと先生が思浮かべたりんご、それぞれ違うことがわかりません。この世界に全てにおいて正しいりんごは存在するでしょうか?」

 千歳
「何がいいたんですか?」

 先生
「千歳君が今呑んでいるのはりんご酒です。軽めのね。だから千歳君がりんごの味を知らないはずがない、でも先生が思い浮かべているりんごとは違うかもしれない。それをどう思いますか?」

 千歳
「違いなんてないでしょう。りんごはりんごです」

 先生
「やれやれ、現代の子供の悪いところ全部乗せのような子供ですね、千歳君は」

 千歳
「それから俺は子供ではありませんよ。すでに立派に働く大人です」

 先生
「大人とは? 子供と大人の境界はどこにあるのでしょう? 仕事をしているかしていないかで区別するなら、ここで働いているメイドさんたちはみな遊んでいます。子供たちばかりですね」

 千歳
「何が言いたいんですか? さっぱりわかりません。先生は先生らしく勉強のことを教えてくれませんか?」

 先生
「じゃあ勉強のことを教えましょう。1+1の答えは?」

 千歳
「2ですね」

 先生
「じゃあ、青森のりんごと長野のりんごを足したらいくつでしょう?」

 千歳
「さあ、わかりませんね」

 先生
「もっとわかりやすい話をしてあげましょう。千歳君は何人いますか?」

 千歳
「俺しかいないから一人ですね」

 先生
「違いますねー、国の労働者基準によると、学生の労働者は0.5人としてカウントされる。千歳君は一人ではありません。クラスメイト全員合わせてようやく3人です」

 千歳
「意味が分からないですね」

 先生
「意味が分からないでしょう? これが手加減一切なしの大人の世界です。意味不明で理不尽、正義も不正義もあったものではない」

 千歳
「くだらない」

 先生
「そうです、くだらないのです」

 次第にだが、千歳の片目から涙がこぼれ落ちた。

 先生
「泣いていますね」

 千歳
「そうですね」

 先生
「あまり無理をなさらず。こうして月に1回お酒を飲んで自堕落に過ごすぐらいが大人の嗜みです。ゴールデンウィークが明けたらまた会いましょう」



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