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長編小説『エンドウォーカー・ワン』第2話

 小麦畑の一件から数か月後。
 季節は移ろい、あの時の熱気が恋しく感じられる時期。
 大陸南部のサウストリア国大穀倉地帯であるイルデ州は繁忙期を過ぎ、農業などに携わる者たちは越冬の準備を始めていた。
 変わらぬ営みの中、水面下では北のノーストリアが侵攻を企てているという噂がSNSなどを賑わせている。

「父さん。あの噂って本当?」

 近郊の小麦畑を一望できる丘の上でベルハルトとその父親が視線も合わさずに佇んでいた。厚い灰色の雲からは時折雫が落ち、彼らの髪を叩く。

「まだ他の人には言ってはいけないことだが――約束は守れるな?」
「うん」

 少年が父親の顔を見上げ、厳しい父の横顔を見つめてうなずく。
 その顔は酷く痩せこけていて尖った刃物のように鋭利であった。
 母親が亡くなってからというもの春風を思わせる温かな空気は吹き飛び、厳冬のような険しい表情を浮かべることが多くなっていた。
 職業軍人ということもあるのだろうか。我が子へ注ぐ視線もどこか冷たい。
 いや、それが意味するのは深い愛と後悔故にだろうか。
 母親と同じ優しい青が灯す意思は悲壮なまでに強く、信頼する父親の次の言葉をじっとただひたすらに待っていた。

「ベルハルト。私は愛する妻――お母さんに最期さいごまで付き添えなかった」
「うん」
「その選択を今でも後悔している。街を守るためとはいえ、お前に辛い役目を押し付けた。本当にすまない」
「……うん」

 寒々しい空気を纏った父親の言葉が僅かに湿り気を帯びる。
 それはベルハルトとて同じ思いだ。
 泣き虫で、だけど負けず嫌いで。
 周囲に虐められていた彼の理解者は父と母と、そしてイリアだけだった。
 少年はあの優しい時間を思い出し、目頭にツンとした刺激を受けて思わず顔をしかめた。

「魔獣とは違う脅威、ノーストリアが南への侵攻を計画している。インターネットの噂は尾ひれがついているが、事実だ。この街にも早ければ数週間内には手がおよぶだろう」

 そう簡潔に語るベルハルトの父親はいたって冷静だった。
 あの時と同じ決意に満ちた眼差しに少年は思わず息を飲む。

「私は死地へ赴くわけではないよ。母さん――ゾラに報いるためにも戦い、必ず生き残ってお前の元へ帰ってくる。決して一人にはさせない」

 きっとその姿はどこの家庭でも居る父親だったのだろう。
 青い短髪が木枯らしに吹かれてなびく。
 ベルハルトの青の奥底にあるような深い青は静かに我が子を見つめていた。

「そんな顔をするな。私が約束を違えたことが今までにあったか?」
「いや、だけど……」

 少年は口をつぐむ。

「いい子だから」

 父親がベルハルトの赤髪をくしゃりと撫で、慈しむように目を細めた。
 冬支度を始めた空気が二人の間を遠慮気味にそっと通り抜ける。

「……」

 少年には父親が今生の別れを述べているようで、湧き上がる思いを必死に堪えていた。

――ベルハルト。いい子ね。

 それは額縁の中の人となった少年の母親ゾラの最期さいごの言葉。
 彼の中で両親の声が重なり、もろい感情のせきを崩した。
 また置いて行かれる。
 幼い彼は迫り来る未来に打ち震え、それでも過酷な現実に抗うように両手を強く握っていた。

「ベル。いいか、誰かの心臓になるんだ。そうすればお前はきっと強くなれる」

 ベルハルトの父親が赤髪を撫でまわす手を離したかと思うと、少年には理解できない抽象めいた言葉を真っ直ぐの視線に込めて放つ。

「え……?」

 少年がその意味を問おうとした次の瞬間、足元が僅かに揺らいだかと思うと二つの大きな影が彼らを覆う。
 ベルハルトがはっと振り向くと、そこには全高4メートル以上はありそうな巨人が二人佇んでいた。

「リカルド少佐、時間です」

 スピーカーから若い男性の声が響き、ほぼ同時に遥か上空の航空機が爆音を後に残して北西方面へ飛んでいく。
 角ばった直線を多く表している機械仕掛けの巨人は今から戦地へ赴かんとばかりに完全武装だ。
 人間の頭を模しているのだろうか。頭部のセンサーが夕暮れを硬く弾き、まるで目のようにも見えた。

「ベルハルト。この街を頼むぞ」

 少年の父親リカルド・トロイヤードを受け入れるかのようにひざまずいて手を差し伸べる人型兵器。
 彼はベルハルトにそう言い残すと硬い手のひらに飛び乗り「ハル、上げてくれ」と機械に向けて叫んだ。
 すると人型のそれは手をゆっくりと胸部にあるコクピットに近付け、ハッチを開閉してリカルドを機内に飲み込んでいく。

「父さんっ」

 ベルハルトがリカルドの機体へ向けて叫ぶが、耳をつんざくような大型輸送ヘリのプロペラ音に掻き消されてしまう。
 人の動きを精密に再現する金属のマニュピレーターは少年に向けてどこかおどけた様子で敬礼をしてみせる。
 やがて土埃を辺り一面に撒き散らしながらヘリの地上数メートルのところで滞空し、太いワイヤーを複数垂らした。
 人型兵器の二機は大地を揺らしながら歩み寄り、それを掴むと自機に接続していく。

「父さん!」

 ベルハルトは二度叫ぶ。
 モーター音やらで轟音ごうおん鳴り響く中、彼のか細い声が届く訳はない。
 だというのに、飛び立つヘリに吊るされながらリカルドの機体は少年をい
つまでも見つめていた。

  • 執筆・投稿 雨月サト

  • ©DIGITAL butter/EUREKA project


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