榛が知的障碍を持っているという事実を目の当たりにした千歳は、どういう感想も持たなかった。
別に千歳の感受性が死んでいるから、というわけではない。
現状、一緒に歩いて行動することはできることを冷静に分析しての考えだった。
ただそれだけで現状の役割は果たせている。
挨拶をしたり、通常の行動や協調性のある動きは取れている。
そもそも論、知能の出来を考えれば朝学校に来るということができている段階でそこまで困り感はないだろう。
そう考えると、コミュニケーションに少々の問題はあるだろうが、果たしてどんなことで困るのか、具体的なことはわからなかった。
とはいえ、どうだろう。
具体的にどう接すればいいのかがわからない以上、不安要素があるのも事実。
ずっと黙っているし、まあ、そう言う意味では無難な対応を心がけているとも取れなくもない。
まだまだ問題はグレーゾーンだ、何もわからないに等しい。
千歳
「なんだか、こんな感じで大丈夫? 俺、ずっと黙ってるけど」
榛
「えっと、はい、大丈夫です」
千歳
「分かったよ」
千歳はずっと黙っていることにした。
なんと消極的なのだろう。
このままでは定型的な挨拶と連絡だけで終わって、関係性は何も変化しないだろう。
わからないものには、触れない、関わらない、近づかない。
が、その対応が大きな問題を生むことは、千歳は嫌というほどわかっていた。
千歳
「今日の朝、何食べました?」
榛
「パンと、コーヒーです」
千歳
「今日のお昼ご飯、大きなピザ食べてましたね。美味しかったですか?」
榛
「覚えていないです」
千歳
「どうしてあんなに豪華なピザを?」
榛
「おいしそうだったので」
千歳
「ふーん」
おいしそうだからでかいピザをいきなり食べるのか。
なかなか欲望に忠実だな、と思ったが、千歳の食べる300円のカレーと比べて値が張るだろう。
そんなものどうやってお金を払ったのやら、と考えると、さすがの千歳も嫉妬の感情が芽生えたことは言うまでもない。
まあ、おいしそうなものを食べることはいいことだと千歳は自分に言い聞かせる。
二人が警備していた区域は、海沿いの公園と街の間を通っている道だった。
こんなところで悪いことをしようとしている人が果たしているものか怪しいところだが、警備員が定期的に目を光らせているというだけで、適度な抑止にはなる。
犯罪は起きてからでは遅い。
そういえば、現実では警察がパトロールと称して自転車の登録番号をチェックしたりして『私たちは活動していますから悪いことをしてはいけませんよ』とアピールしていたな。
あれには犯罪抑止効果がすごい高いのか。
なるほどな、千歳は自分が今ハリボテなのだな、と思った。
本当は知能の劣った女の子とお近づきになりたいだけで、心の底から仕事をしようだとか治安を守ろうだとかそんなことは考えていない。
逆にそんなことができたなら、高校と言う場に通うことはないだろう。
千歳
「もうすぐ、決められたルート終わるね」
榛
「あの……手帳を見たと思うんですけど、私、病気があります」
千歳
「そうですね」
榛
「平気ですか?」
千歳
「そうですね、多分平気です。こうして話せていますし」
榛
「そうですか、よかった」
榛の表情が柔らかくなった。
どうやら、うまく話せたらしい。
千歳
「榛さんは普段何をされているんですか?」
榛
「そうですね、学校に通ってます。あ、これは千歳君もそうですね。私たち、同じ学校に通ってるんですよね」
千歳
「そういえば、そうだね。こうやって仮想現実で会ってると見知らぬ人が多いけど、自分たちは同じ学校で同じ授業を受けるクラスメイトなんですよね」
ゆえに、好感度を稼がなければ終わる、それは世の理。
好感度を上げないで自然に接することはできなくはないが、青春が虚無へと還る。
榛
「あの……お父さんに仕事をしているとき、辛くなったら給料で何を買いたいか妄想するといいって、教えてくれました。千歳君は何を買いますか?」
即物的だな、とも思ってみたが、知的障碍者を相手にそれを言うのも虚無主義が過ぎるな、と思ったが、千歳は素直に答える。
千歳
「妹のために、おいしい料理を」
榛
「ふふっ、千歳君私のお父さんみたいなこと言いますね。私のお父さんも、私のために何か買ってあげたいからお仕事頑張れるって言ってました」
千歳
「そっか、素敵だね」
千歳は初めての給料で何を買うのか俗物的な妄想をしてみた。
今までは生活保護で最低限のものしか購入することができず、夏場にミネラルを補給するために通った200円の回転寿司くらいしか贅沢がなかった。
千歳と同じ境遇にいる人のためにあえて書くが、夏場など大量に汗をかく場合、魚類などからミネラルを補給しなければ、確かな死がリアリティをもって襲ってくる。
それなので、千歳は百々に寿司でも食べさせてあげようかな、と考えたりもした。
榛は、千歳と同じで家族を大切にしているんだな、とも思った。
父親においしいものを食べさせてあげようと考えるあたり、心優しい人柄なのだろう。
が、しばらく無言が続いた。
おかしい、榛を尊重して話せたはずなのだが、どこかで引っかかってしまう。
もう少し踏み込んで話そうかな、と思ったが、その日のパトロールルートはどうやら終了で、一日目のアルバイトは終わった。
拠点に戻ると、特別支援クラスのメンバーが全員そろっており、それぞれの報告を終えて今日一日はこれで解散ということになった。
今日は特に事件が起きるわけでもなく、静かな一日だった。
まあ、とはいえ放課後をアルバイトで奪われた身としてはほかのクラスメイトとどうやって仲良くなるのか考慮する必要もあるわけで。
誰かと仲良くしたい人はその場に残った。
千歳は、さっさとログアウトした。
クラスメイトと仲良くなる必要はあるものの、妹の百々のことがある。
学校のメンバーとばかり仲良くしていられない。
現実に戻ってくると、日が沈んでいた。
なんだ、このむなしさ。
VRゴーグルの向こうでは太陽が輝いて大地を照らしていたのに、部屋は真っ暗だ。
この、圧倒的喪失感、直に体験するまでは味わえなかった。
ひとまず千歳は暗い部屋に明かりを灯し、そして部屋を出るために明かりを消した。
夕飯を食べよう。
仮想現実ではどうあがいても食事をとることができない。
人間が生物である以上仕方のないことか。
リビングに行くと、百々がコンビニのお弁当をテーブルに並べて待っているのだった。
百々
「お兄ちゃん、お疲れ様。初めての仕事はどうだった?」
なんだこいつ、仕事について尋ねてくるとか、母親みたいだな、と一瞬思ったが、中学生の百々も早ければ数か月後にはアルバイトを始める。
何かアドバイスみたいなものを投げかけることができれば、素敵な夕食になるだろう、と思って千歳はこういった。
千歳
「何も、難しいことはなかった。正直、ソシャゲの周回のほうがはるかにストレスを感じるよ。まあ、現実ってこんなものなのかな?」
百々
「ふーん」
百々は興味津々だった。
幼いながらに仕事をするということを気にかけているのだ。
千歳はふとコンビニのお弁当を見た。
かなり豪華だった。
毎日こんなものを食べているが、百々は必ず豪華なお弁当を買ってきて用意してくれる。
まあ、とはいえな、ある程度のごちそうを食べなければ栄養不足で死んでしまう。
そんなことは言うまでもないだろう。
千歳
「今日、学校どうだった?」
百々
「あんまり楽しくなかった。みんな、ネットに映ってる人に夢中だもの」
千歳
「百々はあんまり好きじゃないよね、そういうの。俺もだけど」
百々
「なんだか、私とお兄ちゃんが暮らしている世界とは違う世界で生きている人みたいで、なんだか異世界を見てる気分になっちゃう」
千歳
「まあ、異世界人だよね。よくて異星人か。よくわからない人たちだよ、本当に」
百々
「お兄ちゃんは学校楽しい?」
千歳
「いいや、あんまり。生まれてこのかた、楽しいとか感じたことないからね。学校ではいつ楽しいと感じてないかばれて、追い出されるか割と気にしてるよ」
百々
「大変だね」
千歳
「お互い様」
二人の会話はやたら大人だった。
どういう理由でかは知らないが、千歳と百々は通常の子供よりもはるかに厳しい環境で生活している。
そういうわけだから、常に頑張っていなければ生き残ることすら困難で、子供のような純粋無垢な心は、16歳13歳にしてどこかに置いてきてしまったようだ。
百々
「私のお仕事、このままいけば普通の会社の普通の店員になるんだって。いろんな人に話しかけて、話をするみたい」
千歳
「ふーん」
夕食は15分程度で終了した。
ただ食べて、報告をして、一日が終わる。
千歳は次の日に備えて眠るのだった。
朝目が覚めると、機械的に身支度を整え、ヨーグルト一杯の朝食をとると、特別支援教室に通うのだった。
学校に到着すると、榛が変わらず先に学校へ来ていた。
どうやら、遅刻だけはしないように気を付けているらしい。
感心だな、と千歳は思った。
かくいう千歳も中学校は何度か遅刻したことがあり、それでも成績やそのほかの素行がよかったから見逃してもらえただけだ。
千歳
「おはよう、榛さん」
榛
「おはようございます」
その日も授業が始まった。
そして放課後。
千歳は昨日訪れたバーチャル空間の拠点に降り立つ。
家に帰ってすぐにやることなくここへ来たのか、最初は千歳以外誰もいなかった。
次に拠点に来たのは梓だった。
千歳
「こんにちは、梓さん」
梓
「あ、千歳君、おつかれさまー。いつもはやいねー。まじめに仕事してる感じかな?」
千歳
「ほかにやることがないだけ。授業も学校で勉強する時間で把握できるし、不自由してない」
梓
「あははー、羨ましいな。私は学校での勉強がいまいちだから仕事に逃げてる感じなのに」
千歳
「それはそれで真面目ですね。いいんじゃないですか?」
一瞬だが、梓の表情が固まった。
千歳は褒めたつもりだったのだが、どうやらあてが違ったらしい。
千歳
「ごめん、何か気に障ること言ったかな?」
梓
「ああ、うん、ごめん、こっちこそ。変な感じ伝わっちゃったかな。あはは」
結局、場の空気が汚染された。
梓はその空気に耐えられなかったのか、千歳とは距離をとってしまった。
いったい何がいけなかったのか。
千歳は考えてみたが、真面目だ、と言い表したのがいけなかったのか。
考えれば考えるほど可能性は出てくるが、梓との会話を取り消すことはできない。
どうしてだろうな、こういうことを千歳は幾度も体験している。
が、しばらくして梓は千歳に歩み寄ってきた。
梓
「なんだか、千歳君って別の世界から来た人みたいな感じがするなあ。例えるなら、外国人。私は異世界なんて信じてないけど、千歳君には常識が通じてない感じがある。って、言っても平気かな?」
千歳
「あ……うん、平気。確かに常識は分からないかな。隠してはいるけど、個性は消せてない感じがあるし」
梓
「ふーん、個性的かあ。今の世の中に一番必要とされてないことだね、それ」
千歳
「そうだね……一昔前だったらよかったかもしれないけど、人間、いつかは仕事をして社会に取り込まれないといけないからね。個性を光らせても、大人になれないんじゃ意味ないし」
梓
「私がよく見てるアニメは個性的な人がたくさん出てくるけど、現実はそうじゃないからね」
千歳
「俺は個性的だって? 自分としては普通だと思うんだけどな」
梓
「異常者は自分の異常性に気づけないんだって、知ってた?」
千歳
「おいおい、異常者扱いはやめてくれ。いや、ここは変な学生が通う学校なんだっけ? 一応異常者なのは確かか」
梓
「うーん、千歳君はそういう異常じゃないと思うよ。単に違う世界で育っちゃっただけで、いい人なのは間違いないし、でも、やっぱり変。変わってる」
じゃあ梓は普通の人なのかどうか尋ねたかったが、野暮だなと千歳は思った。
だからあえて普通とは何なのか尋ねなかった。
しかしながら、自分が変に見えるのは間違いなくそうだろう。
親なしで育ったからな、千歳は。
どうやって愛情表現すればいいのかわからないし、クラスメイトと仲良くしたくてもどこかに溝があるような気がしてならない。
梓との間にも、異世界人といわれてしまうほどの溝があるのだ。
これをどうやって埋めたらいいのか考えると、やはり途方もない努力が必要なのだな、と思わざるを得ない。
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