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『エンドウォーカー・ワン』第52話

「……ぅー」

 後日。
 先発隊に遅れてオストリアへ単身現地入りしたイリア・トリトニアは不機嫌だった。

「イリア先生、お菓子ありますよ」
「魔女殿、安物で申し訳ないが茶もどうだい」

 フォリシアやレスティアがソファに沈み込んでいたイリアの前に茶菓子を置いていく。
 彼女は流行りを一回り外れた野暮ったい服装だったが、それでも容姿端麗な女性が苦い顔をしているのは隊全体の士気に関わると思ったのだろうか。隊員たちがローテーブルに一人、また一人と供え物のように甘味の包みを置いていく。

「もぉっ、そういうのじゃないって言ってるでしょ!」

 それらを腐らせておくには勿体ないと言わんとばかりに頬張るイリア。

「でも食べるんだ……」

 隊員の一人が呆れ顔でぼそりと呟く。
 最初の虚勢は何処へやら。すっかり一般人と化した魔女は気管にチョコパイを詰まらせ、慌てて手元の茶を飲み込んでは目を白黒とさせていた。
 彼女が居るだけで張り詰めていた空気が幾分か緩む。
 それはまるで何もかも凍り付く厳冬を乗り越え、心待ちにしていた初春のようで、僅かな時間花咲かせてその場にいる皆の心を解きほぐした。

「やはり魔女の機嫌が悪いのはアレか。国際平和監視機構の奴らが極秘任務とかで急に姿を消したから?」
「まー、そうだろうな。あちら側からは火器やパワーローダーといった装備の供与されたが、情報伝達が円滑に行われているとは言い難い状況だ。ましてやこの通信障害の嵐の中では尚更、な」

 ノーストリア情報部の士官たちがイリアの周りを包み込む穏やかな空気に目を細め、遠巻きに見ていた。

「一つの施設を制圧するには十分すぎる装備に人員だが……これが罠だったらどうする」
「罠? 誰が誰をはめようというんだ」

 疑り深い同僚に、青年が訝し気に返した。
 彼らはみな戦火の中で育ち、争うことの虚しさ、憎悪という感情の恐ろしさ。そして戦いとは今を生きるための手段だとして生き永らえてきた。
 休戦協定を破り、数十年ぶりにサウストリア併合を果たしたノーストリアだが、戦勝ムードにあるのはごく一部の恵まれた愛国者・・・たちだけで、多くの人間は思考を奪われて付き従うだけの機械仕掛けの人形と化している。
 そんな情勢でも、灯は消えてはいない。
 覇権主義の現政権に対し、若者を中心に異を唱える者が先の戦争が宣戦布告なしに行われた侵略行為ではないかと噂が立っている。
 言論の自由が許されていない北では表立って活動できないため、彼らはネットワークの深海に身を潜め、時を待った。
 鍵を握るのはハンドラー……いや、第二次、三次南北戦争で活躍した「サウストリアの亡霊」リカルド・トロイヤード。
 その人生は波乱万丈であり、多くの国を渡り歩き、行く先々で数々のトラブルに見舞われてきた。
 情勢が動く度に常にその姿があり、彼の遺伝子を引き継いだベルハルトもまた「戦場の鬼神」としてその名を知らしめる。
 光が強ければ影はより濃く落ちる。
 トロイヤード親子の活躍により戦火が拡大し、早期終結するはずだった戦争が長期化した――そのようなことから彼らを「アルター7の災厄」と呼ぶ者もいる。

「大きな声じゃ言えないが……上はもはや現政権派の忠犬だ。自分たちの立場を揺らがせる反勢力派と、それに与する勢力を一網打尽にしたい腹積もりじゃないか」
「リカルドを餌に引き寄せたと? 馬鹿な。お前も昨日の衛星画像を見ただろ。作戦地域において軍隊や武装勢力の動きは全く見られない。考えすぎだ」
「しかし――」

 二人の若い男性士官たちの議論が熱を帯びてくるのを待っていたように、一人の大男がぬっと何処からともなくピザの茶色の箱を両手に現れた。

「なあ、ピザ食わねぇか」

 年の頃は30半ばだろうか。
 筋肉隆々の厳つい外見と、全身に響き渡るかのような低い声に反し、人懐っこい笑顔を浮かべていた。
 そしておもむろにピザの箱を開けると、渋い顔で話してた士官らの鼻先に突き付ける。
 熱されたトマトのと甘酸っぱさと、バジルの爽やかな香りを目の当たりにして二人は思わず生唾を飲み込んだ。

「トーマス上級大尉。これは?」
「見た通り、ピザだよ。俺たちノーストリア人好みのオーソドックスなトッピングにしてきた。旨そうだろ、ん?」

 何故か得意げに語るトーマスの下では焼きたてのピザ生地の上で融けたチーズがじゅわじゅわと踊っている。

「そういう悪い考えが浮かぶ時ってのはよ、大概ハラ減ってるんだ。高カロリーで旨いモン食えば元気になるさ」

 二人は思わず顔を見合わせる。
 オストリアに着いてからというもの、まともな食事を摂ったのは数えるほど。
 それ以外は量販店などで購入したパン類が主食に乾燥スープなどで飢えをしのいでいた。
 大陸の北端に住まうノーストリア人にとって食事とは生を繋ぐ以外の意味などなく、質素極まるものだ。

「ですが、大尉。南北の――いえ、世界の命運を担うと言っても過言ではない我々がそのような贅沢を……」
「いいから食え。仕事をするのは腹が膨れてからのハナシだ」

 トーマスは渋る二人の手に紙皿を持たせ、その上に黄金色の糸を引くカットピザを乗せていく。
 作戦行動中は嗜好品を口にしてはいけない。などという規則は存在せず、断る理由が見当たらなかった二人はそれをおずおずと口に運び、噛みしめた。

「……旨い」

 食材の濃厚な味わいと、それ殺すことなく調和させるための調味料が深い味わいを作り出している。
 彼らは携帯食で栄養面はカバーできていたが、これほどまでに身体に染みる食事は久々だった。
 先までの言葉は何処へ消えてしまったのか、若者たちはまるで飢えた犬のように一心不乱に食らいつく。

「はははっ、どうだ。旨かろう。ほら、他の皆の分もあるぞ」

 トーマスの豪快な笑い声と共に、イリアたちが芳醇な香りに引き寄せられるかのように自然と群がる。

「一体何の記念日だっていうんだよ?」
「いいじゃないか。所在が明らかになった今、あとは目標を確保するだけだ。英気を養っておくのも大切な仕事の内だろ」
「またお前……そう言ってサボろうとする」
「はははっ。まー、そう固いこと言うなって!」

 その男性士官は少年のようなからっとした笑みを浮かべ、同僚の肩を力任せに激しく叩く。

「未来を憂い、立ち止まるならば、俺は少しでも今を楽しみたいね。お前は?」
「俺は――」

 青年は一旦言葉を飲み込み、まだコブの一つもない真っ新な手を握りしめる。

「俺も、今を生きたい。そして、胸を張って故郷へ戻りたい」
「そうだな。必ず生き残るぞ」

 男性たちは互いの肩を小突くと、騒がしさの中へと消えていった。



  • 執筆・投稿 雨月サト

  • ©DIGITAL butter/EUREKA project

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