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『エンドウォーカー・ワン』第22話

「――通信は以上だ。状況開始」

 ハンドラー調教師がそう告げるとほぼ同時に休止状態だった機体のOSオペレーティングシステムが瞬く間に起動し、大型のメインモニタの他に四枚ある全てのモニタに周囲の映像が映し出される。

「キャリア、固定を解除」

 無線が999スリーナインの耳に入り、彼の機体を輸送していた大型ヘリの固定具が火花を上げて解除された。
 迷彩の施されていない灰色のM9A2グレイハウンドはWAWとしては曲線の多いその身を自由落下させ、ヘリが右旋回して距離を取るのを確認する。

「行くぞ『HALハル』」
「了解しました。ブースター点火、目標まで約距離5000」

 999スリーナインの声と共に音質の良くない多用途スピーカーからHALハルと呼ばれた女性AIが穏やかな声でそう告げた。
 メインブースターが青白い炎を吹き、瞬く間に下手な航空機より速い速度に到達する。
 機体とパイロットにかかる加速度や想像を絶するものがある。しかし青年は少し歯を食いしばっただけで涼しい表情を浮かべている。
 膨大なエネルギー消費量に発電機ジェネレーターはフル回転するが、現在のオーバードブースト状態では消費量のほうが上回る。
 加えて超高温で燃焼することにより、各部のセンサーが次第に危険域を示していく。
 グレイハウンドは森林地帯の切れ間に向けて次第に高度を下げ、接地と同時にスラスターを逆噴射させながら地を滑った。
 黒い土煙が長い帯を作り出していき、樹を何本もなぎ倒し、岩を砕きながらようやく静止する。

「もっとまともなルートはなかったのか?」
「もっとまともな着地はできなかったのですか?」

 人間とAIの声が重なる。

「まあ、いい。時間はこれで稼げた」
「そう上手くいけばいいのですけどね。ノイン」
「『二人』とも、無駄話はいい。状況報告を」

 背面部の隠れていた冷却機構があらわからになり、冷却ガスで強制的冷却する。全力で駆けた猟犬の火照った身体に煙の筋が幾重にも流れ、黒く削れた地面に零れ落ちた。

「こちら999スリーナイン、目標を目視。間違いない、クラス5の魔法使いだ」

 超高解像度のズームカメラが大地を這いずる灼熱の炎の中で動くモノを捉える。
 一帯の広葉樹は「それ」が近付いただけで緑を瞬く間に焦がし、一瞬で水分を奪い、火柱が立ち昇っていた。
 顔を覆っていたベールは激しくはためき、赤の領域でも際立つ光を宿していた。
 彼女は目視できないほどの距離にいながらグレイハウンドを正面に捉え、垂れ下がっていた両腕が持ち上げた。
 それは彼女の痩躯そうくには似つかわしくない巨大で無骨な杖。先端にはきらめく水晶体が嵌め込まれていた。
 突如。
 周囲の色彩を取り込み、赤く揺らいでいたそれが水晶の中で混じり空間が歪んだ。

「前方に魔力反応です」
999スリーナイン交戦エンゲージメント

 切迫した事態でもなおHALハルはのんびりとした口調で警告音とともに操縦士パイロットに告げる。
 彼女に言われるが前に彼は緊急展開用クイックブーストを点火させ、右に大きく飛び退いた。
 刹那、先ほどまでグレイハウンドが存在した空間に機体ほどの大きさの火球が飛来し、目標から外れたそれは樹を次々と飲み込んで遠くの丘で爆ぜる。
 瞬きも許されないほどの速さで地形を変えるほどの魔力量。
 それを対魔特化の一小隊を相手にした後に平然と撃つ、人を超えた存在。
 まさにクラス5は「戦略級」と呼ぶに相応しい者たちだ。

「……へぇ」

 「彼女」は真一文字に結んでいた口元をにやりとさせ、身をかわした所属不明のWAWに微笑みかける。
 構えを解いた瞬間、空間が震え上がり鈍鉛の鐘を突いたかのような濁った音が断続的に響き渡った。

 グレイハウンドが放ったアサルトライフル型40ミリ機関砲による掃射は空気の層によって全て弾かれ、曳光弾が明後日の方向へ流れていく。

「シールド? だが、挙動がおかしい」

 ノイン999は付近を荒地にする勢いで目標に目掛け弾倉を撃ち切った。
 だが、その「少女」の周囲には砲弾による被害が全くなく、これにはさすがの彼も困惑を隠せない。
 通常、魔法使いの展開する防御魔法シールドは衝撃によって可視化され、それが強ければ強いほど魔力を多く消費する。
 そうやって標的を弱らせる手筈だったのだが、彼の奥底から感じたことのない寒気が全身を走った。
 相手の実力が判別できているのならば恐れることは何もない。
 標的に対してではない。彼女とは別の、未知なる者への恐怖。

「あれを見てくださいっ」

 そうHALハルが珍しく焦りを隠せない口調で言うと、何も存在しない無から産まれるように全身を白で塗装したWAWが姿を現した。
 ノイン999にはグレイハウンドをより直線的に洗練化させた後継機のように思えたが、データーベースに照会しても判別ができない。

「あれは――XM1 スレイプニル? 破棄された筈では……」

 指揮所から現地の映像を見、普段は感情の色を示すことのないハンドラー調教師が身を乗り出して画面に食い入る。

「知っているのか?」
「……戦時中に開発されていた実験機だ。クラス5の搭乗者を二名必要とする運用性の悪さから研究は頓挫。データは全て抹消されたと聞いていた」

 ハンドラー調教師の消え入るような口ぶりからすると、厄介どころの話ではないのだろう――ノイン999は立ち尽くしている不明機を前にし、目を細めた。

「こちらエターブ社所属機。不明機に告げる、貴機の所属と目的、並びに先の攻撃について説明を求める」

 青年は自機の兵装チェックをしながらオープンチャンネルで呼びかける。
 グレイハウンドには先のライフルの他、対地対空に有効な多目的ミサイルが4基、あらゆるセンサーを遮断するスモークディスチャージャーなどが装備されており、あらゆる状況に対応可能だ。
 だが、戦闘評価で一騎当千と言われたXMシリーズ相手では話が別だった。

「……下らん。イリアの攻撃をかわしたからどのような者かと思えば。企業飼いの首輪付きか」

 それは酷く冷徹な、だがハンドラー調教師のような淡々とした事務的な声色ではなかった。
 「彼」の声は冷たい雨に打たれ、凍えて。この世全てに絶望し、内に憎悪を積もらせている者の声だ。
 ノイン999には何故だかそれが手に取るように分かった。

「そこにいるのは……ベルハルト? ベルハルトなのか?」

 グレイハウンド経由でハンドラー調教師の声が通信相手に伝えられる。
 冷血漢ではないかと疑いたくなるほど言葉に抑揚がなく、プライベートは謎に包まれている。
 そんな彼が様々な感情を折り重ね、すがるように言葉にしたのだが、ベルハルトだと思っていた相手は「ハッ、誰かと思えば」と無慈悲に笑い飛ばした。

「無能指揮官のハンドラー・リカルドじゃないか。まだ生きていたのか」
「ベルハルト! 俺は……ッ!」

 リカルドと呼ばれたノイン999達の指揮官が必死に食いつく。

「そーか。見逃してやろうかと思ったが――気が変わった。お前の飼い犬は無残に殺してやる。心は痛まないだろう? グラビティウォール作戦では散々使い捨てたからなぁ」

 スレイプニルが地面にひざまずき手を地面に下した。
 それにイリアと呼ばれた女性が軽やかに飛び乗り、解放されたハッチから後部座席へ乗り込んでいく。

「出来損ないの駄犬狩りだ。行くぞ」

 メインブースターが赤い粒子を纏い、スレイプニルをグレイハウンドとの戦いに誘う。
 まさに今、戦いの火蓋は切って落とされようとしていた。


  • 執筆・投稿 雨月サト

  • ©DIGITAL butter/EUREKA project

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