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『エンドウォーカー・ワン』第56話

「……HAヘビーアーマー信号ロスト。敵部隊前進開始」

 仲間を悼む暇なく、過酷な現実はにじみ寄る。

「榴弾砲、撃ってきます!」
「――私がっ!」

 オペレーターの血が滲むような悲痛な叫びにイリアが応え、広場へ颯爽と飛び出すと両手を広げて深呼吸をする。
 寒色の閃光が彼女の全身を駆け巡り、急激な大気圧の変化で強風が生まれ長髪を流す。
 可視化できるほど空気が歪み、一帯を青白い魔法の膜が覆う。
 そこに弧を描いて飛来した無数の榴弾が降り注ぐが、そのどれもが膜に触れた途端、世に存在する物理法則から外れたかのように空中で制止し、信管が作動して巨大な火球を何十と作り出す。
 腹の底を揺るがすような曇った音が響き、赤い光が地を照らす度に隊員たちの士気が削がれていく。
 砲撃は数分の間続き、その間も敵対勢力は距離を詰めてきた。
 だが、双方向から高速で突入する物質の物理エネルギーを奪う魔法の加護下にある以上は敵を有視界内に捉えたとしても手出しをすることができない。

「敵、有視界内」

 遮蔽物として機能しないであろう土壁から双眼鏡を覗き込んでいた隊員が告げる。

 それは太陽フレイヤIIの輝きを受けて大海原のように煌めいていた。
 だが、それは数えるのもいやになるほどの巨大な機械生命体の軍勢。いや、群れ・・だった。
 大地にうごめく無数の金属の足。
 無尽蔵の機械マシンに膨大な排熱が加わり、空気のレンズが歪んでそれらをとてつもなく歪なものへと変えていく。

「イリア! もういいっ、防御魔法を解くんだ!」
「……了解」

 ゆうに50を超える砲弾を防いでいたイリアのは軽く汗ばんでおり、額から頬にかけて冷たい感触が滴り落ち、大地に染みを作る。
 呼吸とて乱されているだろうに彼女は止まることを知らない。
 細い身体を折り重ね、深呼吸すると「露払い役は務めます。取りこぼした小物の対処を」とレスティアに言い残し、魔力で強化された全身を使って前方に大きく跳躍、そのまま急激に高度を上げた。
 魔法・・にもよるが、射出系のものを用いても最大有効射程は凡そ2キロメートルがいいところで、内部干渉系であるならば距離は更に短くなる。
 超巨大な軍勢をほぼ一人で相手にしようというのだ。
 灰被りの魔女は魔力配分を計算しながら滑空していき、距離をある程度詰めると虚空から愛用の杖を引き抜いて構える。
 彼女は空中で姿勢を制御・・・・・・・・して、眼下に広がる銀色の海原を真っ直ぐに捉えた。
 息を大きく吸い込む。痛いほど凍えた空気が肺に流れ込んだ。
 次に全ての空気を押し出す。人としての温もりが大気へ溶け込んでいく。
 そして歪な両手杖を強く握りしめて前へ突き出す。
 腹の底からありとあらゆる神経を伝い、無形エーテルがはしり杖先から放たれる。
 それは形状の不安定な紅色の球体だったが目にも止まらぬ速さで飛翔し、地上にうごめく殺戮機械たちの上空でエネルギーを解き放つと周囲が白一色に染まる。
 急激な気圧の変化に爆心地に向けて空気が吸い込まれ、暫くして止まった。
 刹那、全てを焼き尽くす炎の嵐が周囲を襲う。
 その熱や主力戦車MBT並みの装甲を持つ四脚戦車も瞬時に蒸発させるほどだ。
 無数の機械たちが焼かれ、爆風で何十メートルも吹き飛ばされ、叩きつけられ物言わぬ鉄塊と化す。

「……はぁ、はあ……はぁ……」

 強大な力の行使で憔悴しきった様子のイリア。
 彼女は肩で息をしながら白肌に噴き出してきた珠のような汗を手の甲で払う。
 自身の残魔力は十分だが、この土地の無形エーテルをあらかた使い尽くしてしまったため、再び同威力の魔法を放つには相当の負担を強いられることになる。

――できればこれで退いてくれれば良いんだけど。

 イリアは呼吸に全神経を注いで集中し、構えを正した。
 無尽蔵に湧いてくると思えるこの力――だが、それを行使するだけの体力はヒトには存在しない。
 何故、この星アルター7が非力な人類にこのような異能を授けたのか。
 全人未踏の分野であるこの力を移民たちは「魔法」とし、それを扱う者たちを魔法使い、ないしは魔女と呼んだ。
 それは科学分野における技術的特異点シンギュラリティであり、移民たちは生活水準向上のため研究を重ねた。
 地球で過剰に発達したAI人工知能が暴走し、人類に反旗を翻したことも考慮し、魔法に関する研究は軍事目的を固く禁ずるという条約が制定された。
 だが、人は過ちを繰り返す。

 休息を全く必要とせず、開戦から僅か数日で世界の主要都市を陥落させた機械生命体――通称「レギオン」
 それに対するは核の存在しない世界で新たなる抑止力・・・として生み出された人型戦略兵器。

「先輩。先ほど『レギオン』と仰ってましたが、あれは地球で滅びたはずでは?」

 爆発の閃光と音がかなりズレていると感じるほどの距離で行われている戦闘中、双眼鏡を手にしたまま微動だにしないレスティアにアレクが問うた。

「技術屋連中がアレをAI人工知能の究極進化系だとか言って、密かにこの星へ持ち込んでたのさ。世界に出回っている工作機械やWAWヴァンドリングヴァーゲンを造っているのもレギオン製造ラインを流用した工場だ」

 彼女は遠方で時折輝き存在感を示すイリアを見守るように目を細める。
 アレクは目の前に居る好意さえ寄せた女性が内通者であったことに未だ動揺していたが、理想に燃え、未来を語っていたあの澄んだ瞳を思い出す。
 彼はあの日見た光に偽りはないと信じ、今日までレスティアに着いてきた。
 このような異国の地に足を踏み入れたのは拘束されているリカルド・トロイヤードおよびエターブ社役員の解放、並びに今事件に関する調査が目的だ。

 国際平和監視機構所属だというハウンズ部隊の助力を得、密かに持ち込んだWAWヴァンドリングヴァーゲンで施設を制圧する手筈だった。
 だが、作戦の中核を成す彼らは極秘任務とやらで出払い、今は少ない人員を施設監視班と捕虜の護送班で分散させている。
 魔女ベータを安全に移送するにあたり、定期的に魔力抑制具の管理が必要だったためイリアも同行していた。
 恐らく敵移動要塞の目的はイリア・トリトニアの抹殺――しかし、何故もあそこまで大掛かりな物を用いるのだろうか。アレクは思考を巡らす。

「――先輩、一つだけ教えてください。アレが何かは問題じゃない。大切なのは僕たちは誰と戦っているか・・・・・・・・ということです」

 戦場いくさばにありながら穏和な声色を保っていたアレクが、それを一切かなぐり捨ててレスティアに詰め寄る。
 彼女は覗き込んでいた双眼鏡から目を離し、少しだけ困った様子で後輩を眺めていた。
 轟音響き渡る中、口を真一文字に結んだアレクが息の掛かる距離まで近付いている。
 そこに邪な思いはなく、純然たる正義・・の炎が彼を包んでいた。
 レスティアはいつものように彼のことを少年と言いかけたのを一旦飲み込む。

「アレク。アタシは――」

 彼の前では見せたことのない微笑みを浮かべるレスティア。
 必要な状況以外では化粧こそしないが、整った顔立ちの女性が見せる表情に誰もが心の安寧を得ることだろう。
 彼女は言葉を繋ごうと息を軽く吸い込もうとした。
 刹那。
 彼女の頭に鈍痛が走る。

「……っ」

 レスティアの見ていた景色が一瞬歪み、元に戻ったかと思えばそこには故郷の寒々しいまで澄んだ群青色が広がっていた。

「ねーちゃんっ!」

 空を仰いでいたレスティアは誰かに呼ばれ、視線を地平線に戻す。
 そして、彼女は現世には存在しないはずの者の姿を目にした。

「カイル? どうしてここに……」
「どうしてって。ねーちゃんが途中で飛び出したんだろ?」
「ああ……そうだったかもしれない。ごめん、は少し疲れてるみたいだ」
「それよりもニュース! エーテルの井戸が各地で次々に見つかったんだってさ! これでもう食べる物に困ることもなくなるかも」

 レスティアの弟――カイルが喜びを全身で表しながら言うた。
 この星の加護と言われるエーテル体の出現。
 それは先祖代々からの悲願であり、痩せた北の土地に閉じ込められたノーストリア国民の一筋の希望だった。
 エーテルが豊富な地域では緑が生い茂り、そこに多彩な生態系が生まれて豊かな土地になるという。

 青髪の女性――いや、少女・・の中の何かが音を立てて切れ、彼女はその場にへたり込んでしまう。

「ね、ねーちゃん……?」
「あはははは……いや、もう『頑張らなくていい』と思ったら気が抜けちゃって」
「? ヘンなねーちゃん……それより家に帰ろう。とーさんとかーさんが待ってるよ」
「そうだね。帰ろう・・・

 少女はカイルの手を取り、帰路へとついた。
 祖国ノーストリアの発展を誰よりも思い、果てなき旅路を歩んだレスティア・シャーロットの物語はここで終焉を迎える。

「ただいまっ」

 レスティアは満面の笑みを浮かべ、あの日・・・口にすることのできなかった言葉を家族に告げた。



  • 執筆・投稿 雨月サト

  • ©DIGITAL butter/EUREKA project

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