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『エンドウォーカー・ワン』第32話

「もう付き合っちゃいなよお!」

 ノインの居室でアルファが飲みかけのジョッキをローテーブルに叩きつけた。
 肌白は紅葉し、靴を脱いでカーペットの上で男らしく胡坐あぐらをかいている。

「お前、酒飲んだのか」

 部屋の主は普段のお淑やかな彼女しか知らなかったため、人間らしい一面――というよりも中年男性くさい部位を見てどこかほっとした。

「田舎にいるとねぇ、ネットかお酒しか楽しみがないワケよぉ」

 アルファはジョッキをテーブルの横にずらしてバッグから「携帯」ゲーム機というにはやや大型の端末を操作し、だらんと両腕を伸ばしてゲームを遊びだす。
 就寝前の心休まる読書時間に騒がしい女性が乗り込んできて、内心穏やかではなかったノインだが「それで誰と誰が付き合うんだ?」と本を静かに閉じて言うた。

「決まってんじゃない、あの二人よおー」
「あの二人……?」
「もぉ、みなまで言わせるなぃ」

 アルコールが回りきり、紅色の笑顔を振りまくアルファ。
 この部屋を訪れた時点でぶかぶかのパジャマを着込んでいたあたり、最初からこうするつもりだったのだろう。ここで酔い潰れてくれなければいいが――ノインは頭を抱える。
 そして彼女の言う「二人」が誰のことを差すのか皆目見当つかずでいた。
 最近の流れでいうとレックスとフォリシアのことだろうか?
 いや、かなり本気で喧嘩をしていたし、肩の関節を外されてあの怒り心頭ぶりからそれはないな……青年は未履修の分野に思いめぐらせる。

「もー、ベル・・ったらあの時のこと忘れたのー?」
「何を唐突に――」

 青年の言葉を銀色の線がゆらりと揺れて塞いだ。

「こういうことだよ?」

 静かに身を引く恥じらうアルファの姿がノインに鮮烈に刻まれる。
 光を柔らかく弾く瑞々しい肌。
 二つの大きな紅色の宝石はきらめき、真っ直ぐに青年を見つめている。
 少しだけ乱れた銀髪を手櫛で整えるたび、甘い香りが鼻孔を突き抜け脳を焼いた。
 グロスを引いた透明感のある唇が妙に生々しく感じ、彼は頭に血が昇っていくのを感じる。

「どっ……どういうことだ……」

 彼自身にも理由が分からないが、表情筋が崩壊しかけていたのを察して口元を片手で隠す。
 冷血漢を貫いていたというのに、この女が来てからというもの調子が狂いっ放しだ。
 過去にベルハルト・トロイヤードが彼女に告白したのは記憶としてある。
 だが、明確な返答は得ていない気がした。

「男と女……いいえ、たとえそれが同性であったとしても、恋をすることに理由なんて要らない。あったとしても、それは後付けに過ぎないんだよ」
「それと先ほどの話がどう結びつく」
「ここまで言っても気が付かないなんて、ベルは相変わらず鈍感だなあ」

 見た目麗しい銀色の女性が目の端に涙を浮かべ、けらけらと音を立てて笑う。
 彼女と再会した時からノイン自身にも薄々気が付いていた。
 だが、不確定要素で満ちた現状でそれを認めてしまうのは不誠実だと考えた。
 しかしどうしてこの思いを抑えることができようか。彼はアルファの肩を抱いた。

イリア・・・、俺はベルハルト・トロイヤードとしてお前のことを――」

 ノインは精一杯の勇気を振り絞ってアルファの魅惑的な瞳を見つめる。
 命のやり取りをしている時よりも心臓が早鐘を打ち、熱い雫が頬を伝った。

「……なーんてね」

 灰被りの魔女は細い指でノインの口に封をし、彼が腕の力を抜くのを見てから優しく離れる。
 それが虚構と現実の狭間で生きる二人の立ち位置。
 手が届く位置に居ながら、追い求めても掴むものは何もない。
 ただ、そこに居るだけ。
 長年思い続けた「愛」が佇んでいるだけ。

「全ては私たちをかたるあの人たちと話を付けてからにしよ。それまではさっきのが精一杯」

 アルファは白い歯をのぞかせて少女のように笑う。
 それは黄金色の世界でいつか見た光景。
 イリアと生き別れたベルハルトはそれが浮かぶ度に涙を流した。
 強くなる。
 誰にも虐げられることなく、大切な存在を守れるくらいに強く。

「……イリア、俺は強くなれただろうか」
「頑張ったよね」

 アルファは背伸びをし、くたびれた赤髪を撫でる。
 その言葉が聞きたくてここまで歯を食いしばって駆け抜けてきた。
 多くの友との出会い、別れ。涙の痕を幾重にも作るたびに思いだけが強くなる。
 信じる――自身を過信することでしかベルハルトという男は前に進めなかった。
 この記憶、想いさえもエーテルによって植え付けられたものとしたら?
 背中から深い闇が這いのぼる。

「大丈夫だから、ね?」

 彼の様子を察したイリア・・・が青年の赤髪を慈しむように撫で続け、澄んだ声色で語りかけ続けた。

「……イリア、これだけは言わせてくれないか」
「えっ?」

 闇色に堕ちていたノインが呼吸を正し、光を取り戻した力強い瞳でイリアを見つめた。
 イリア・トリトニアに対してだろうか。
 それとも、共友アルファに対してだろうか。
 彼を構成している肉体、精神全てがそう叫んでいる。

「この先何が待ち構えていようと、必ずお前を守る。この命にかえても」

 突然の出来事に立ち尽くす灰被りの魔女にノインが跪いてこうべを垂れた。
 ――かつて旧世界では「騎士」と呼ばれる身分の者たちが存在したという。
 名誉的称号でありながら主君に忠誠を誓い、騎士道に倣い人々を守護する。
 ベルハルト・トロイヤードが「戦場の鬼神」と呼ばれたように、後にノインという存在もまた「魔女の騎士」として広く知られることになるのだった。



  • 執筆・投稿 雨月サト

  • ©DIGITAL butter/EUREKA project

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