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ネコと和解も何も、結局あちらに跪くより無いという話

雑感あなたこなた 

【ネコと和解もなにも、結局あちらに跪くよりないという話】

 ネコと呼ばれる、恐らくこの星で一番偉い身分の生物とまだ暮らした事のない私が言うのも何だが。

 もう既に…猫カフェなどに連行された私を傍目から見たら「ネコの召使いか下僕だ」と言われるに違いない。

 自分で言うのもなんだが、恐らく抱っこや撫でられる事が嫌いなひねくれたネコにも「人畜無害」の位置には収まる人間である。

 そこは親戚の家にいる、近所のトリマーさんすらお手上げだったチンチラゴールドで証明済みだ。

 やたらネコにちょっかいをかけるタイプのおじさん(家の父)には噛みついたりシャーと威嚇…という様を見せていたが。

 私は抱っこが苦手だからやらないし、“撫でろ”という命令を賜った時だけモフモフと愛でるしちゅ~るはちゃんと献上するので…つまるところ、都合のいいだけの存在として扱われているがどんな人間だろうと等しくネコというのはそういう態度を崩さないので嬉々としてヘイコラしているのだ。

 とにかく彼らが綿毛のような良い毛並みを持ち、マズル(鼻の下のぷっくり膨らんだ部分)がふっくりと膨らんだふてぶてしい顔を人間どもに向けて「エサくれ」という命令形でニャーと鳴いたあと毛繕いをする。

 ずんぐりむっくりのネコさま達でこの星が満ち溢れればいいのに、よく思う。

 人間はどーせロクな事を考えないのでネコの方が明らかに身分は上だと誰かが宣言すればいいのだが。 


 そんな事を改めて私が感じるようになったのは、この所DACの職場からほど近い所にある猫カフェにちまちまと通うようになったからだろうか。

 一時期通っていた猫カフェがあったが。

 横浜市内に前は数店あって、ログハウス調の店内には(コメダ珈琲にも少し似ていて、かつ清潔感もちゃんとあったので安心して長居できた)居心地よさそうに猫スタッフが闊歩している。

 愛想よくふるまう猫ちゃんも居れば、やはり「撫でろ」というスタンスの猫さまも勿論いて下僕のように扱われたい人間にも大助かりの所だった。

 冷たくあしらわれこきつかわれる事を喜ぶ人間が行くカフェ、というと主に秋葉原や最近は新宿区にある可愛いアイドルかメイド風の衣装を着た女の子に接客されるというコンセプトのカフェのある種の業態が頭をよぎるが……。

 猫カフェあるあるかも知れないが、猫スタッフ同士の人物(猫物?)相関を店員さんに伺うのも楽しみのひとつだったりする。

 どっしりと構えているお父さん的存在の子もいれば貫禄がありガタイがいい猫(…と言えば聞こえはいいが謂わばただのデブ猫である)がやんちゃな小さい猫たち3匹にリンチされていたというような衝撃のエピソードや女の子2匹が1匹の割とシュッとしたオス猫をかけて東海テレビで13時半からやっていたお昼のドラマよろしく争っていた話も聞いた。

 文字通り、「この泥棒ネコーーー!」という光景が広がっていたらしい。

 猫の世界も色々あるらしい。

(やたら不穏なエピソードほど何故か人はよく覚えているものである) 


 先程話したDACからそう遠くない(あくまで私基準では、の話だが)猫カフェというのが【猫ちゃんといっしょ】という元町中華街駅からほど近いビルの中にある所だ。

 初めて行った時には、大体のネコさんに対して抱いた感想というのが、

「多分野生を捨て去ったんだなぁ……」

 である程にあるネコは落とし物のようにソファにお腹を見せて寝そべり、誰かに撫でられればうっとりと目を細めて“くるしゅうないぞ”という表情を浮かべていた。

 折れ耳のスコティッシュフォールドを後ろから見てみるとツンととがっている部分がないのでド〇えもんを真っ先に想像してしまった。

 その時ひらひらしている丈の長いスカートを穿いていたからだろうか…お転婆な猫ちゃんは裾を掘ろうとしていた。

 ネコは動くものが気になる習性があるので自然な事である。


 私がネコ好きになるきっかけを作った想い出深い高校時代の通学路の話をしてこの話を締めたいと思う。

 団地が連なり(最寄りバス停のイトーヨーカドー周辺が商店街になっていて、夏場は大きなお祭りが開催されている)最寄りの停留所から学校に辿り着くまでの道筋がちょっとお伽話に出てくるような木々の連なった散歩道になっているからか地域ネコというのがとにかく多かった。

 帰りの通学路でつつじの茂みや木のベンチの上でニャーと鳴いて私に挨拶してくるネコも少なからずいた。

 私の同級生であり貴重な友人の1人はお家にネコ様がいらっしゃるそうなのでカリカリを持って来ていたが私はどういう訳か…ご飯の類は持ってこなかったが(当時はちゅ~るという便利な代物もまだ存在してなかった)人畜無害と判断されたのか、もしくは同類と思われたのか向こうの機嫌次第だったが挨拶され「撫でさせてやる」と寛容であった。

 今も、あのブナや木造りのかわいらしい道しるべの看板を時々思い出す事がある。

 卒業してから一番仲良くしていたネコさんと再会した時、鈴と首輪がついていた。

 恐らく近所に引き取り手が見つかったのだろう。

 向こうも覚えていたらしく、“ニャー”と鳴いて寄ってきたのを忘れない。




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