朝目が覚めた。
千歳は簡単な身支度を済ませると学校に向かった。
身支度と言っても服を買うお金がないのか、中学の時に使っていたジャージを使って寝ている。
千歳が通っている特別支援教室には決まった制服がないので千歳は黒シャツに身を通した。
朝の家族団らんはない。
百々は一人でご飯を食べることができるし、身支度を整えることができる。
それは千歳も同じなので、通う学校が違えば、顔を合わせるのは夕飯の時くらいだ。
朝は忙しいから話している時間もあまりないし、せめて夕飯の時は話をしたいと思っているが、果たしてそれで百々との会話が足りているのか、不安になるときはある。
登校中、意外と寝苦しい夜だったな、と千歳は思い、スマホを開いて時刻を確認した。
理由としては、寝巻が窮屈になってきたからだ。
それなので、いつもより登校が5分遅れていた。
これは榛以外の生徒に先を越されるな、と思いながらも、遅刻することはありえない。
余裕をもって登校しているからな。
しばらくして、学校の校舎が見えて来た。
春先で桜が咲いているはずなのだが、なぜだかこの学校の校庭に木は生えていなかった。
それなので、春先らしく桜が咲いている風景を見ることはできない。
千歳が小学生の頃は校庭に桜が咲いているという風景も当たり前だったのだが、中学生のころからだったか、だんだん校庭が殺伐とした風景になりはじめた。
いったいどんな理由が背景にあるのか千歳にはなんとなくわかるが、別に桜を眺めずとも千歳は生きていける人間だ。
そして時間余裕で千歳は校門をくぐるのだった。
が、同時に傷をつけたら輩に殺されそうな黒塗りの車が向こうから走ってくるのを目撃した。
千歳の人生には南半球に住むとされているンドラ族と同じくらい無縁のものだろうと思い無視しようとしたが、あいにくと車は千歳が通ろうとしている校門の前で止まった。
篝が車から出てきた。
篝
「おはようございます、千歳さん」
千歳
「ああ、おはよう」
篝は下半身が不随というわけでもないのに高級車で学校に通っていたのだ。
篝が車を降りると、黒塗りの車はどこかへ走り去ってしまった。
これは、お金持ちか?
千歳
「えーっと……篝さんは家が裕福なんですか? 普段からあの車で送り迎えを?」
篝
「あ、いえ、違います。今日は寝坊してしまって、学校に間に合いそうになかったから。普段は徒歩と電車で学校に来ていますよ。それから、そこまでお金持ちというわけでもありません。最近は土地からの収入も減っていますし、いつ没落するか……」
没落の余地が残されている人間なのか、篝は。
千歳
「そうですか、それは大変ですね」
篝
「そんなことより、私が横須賀で去年撮影した護衛艦たちの写真を見せてあげましょう」
そういうと篝はカバンからタブレットを取り出して千歳に見せるのだった。
篝
「これがぺらぺらぺらぺらで、これがぺらぺらぺらで、これがペラペラぺらで、これがペラペラですね」
千歳
「ふーん、すごいね」
篝
「それからこれが最新の技術でコロナ後に開発された最新のモデルで、ペラペラペラペラで、これが姉妹艦のペラペラペラで」
千歳
「そうですかそうですか、面白いですね。篝さんはこういうの好きなんですね」
篝
「はい、お父様が海軍にお金を支援したり研究開発に出資したりしているので、幼いころから好きです」
また家族か、と千歳は思った。
先日梓は親との関係性を苦しんでいると相談してきたが、どうやら篝は親ガチャ大当たりのようだ。
千歳のような人間からしてみたら雲の上の存在でしかない。
雲の上か、それはそれで大変そうだな、とも思った。
千歳はお金がなくて苦しんでいたが、篝も篝で苦労しただろうな、と思う節もある。
お船が大好きのようだが、篝からはそれ以外の話を聞かない。
千歳
「篝さんって個性的ですね」
篝
「そうですか? 今の世の中では普通だと思います。確かに私のような人は昔、世間から冷たい目を向けられていたと話では聞いていますけど。でも、好きなものは好きですし、それでいいじゃないですか」
千歳
「そうですか。まあ、そういう考え方もありますね」
篝
「千歳さんは何が好きですか?」
千歳
「ええっと、好きなものは特にないですね。強いて言えば、仕事はそれなりに好きです」
篝の表情が若干だが曇った気がした。
いいや、若干ではない。
それこそ、異世界から来た異物を目の当たりにしたかのような表情だ。
千歳
「自分、何か変なこと言いましたか?」
篝
「いいえ、千歳さんって変わった方ですね」
千歳
「そうですか?」
篝
「いいえ、自覚がないなら大丈夫です。人それぞれですもの」
千歳
「そうですか」
会話はやんわりと終わり、その日の授業が始まった。
授業が終わると、千歳はやることがないのですぐに自宅へ帰り、VRゴーグルをつけて仕事場に潜るのだった。
今回は千歳よりも先に篝が来ていた。
その日の仮想現実には篝が持ち込んだ護衛艦のデータがアップロードされていた。
篝
「あ、お待ちしてました、千歳さん。これ、どうでしょう、全部私が集めたデータなんです。少し見ていきませんか?」
千歳
「いいですよ、篝さんはどれがおすすめですか?」
篝
「いえ、千歳さんが好きなものを好きなように眺めればいいんですよ」
千歳
「そうですか、じゃあ」
千歳は近くにあった模型データを眺めた。
これのどこがいいのか千歳にはわからないが、篝が楽しそうだったのでそれに同調しようとする。
篝
「どうですか?」
千歳
「かっこいいですね」
篝
「そうですよね、この艦は主砲ではなく戦闘機を飛ばして攻撃をするんです。こっちは長距離ミサイルを搭載していて、時代を経るごとに船の射程距離がどんどん上がっていくんです」
千歳
「ふーん。面白いですね」
千歳は無難な対応を続けた。
が、それだけではな、とも思った。
篝は話を聞いてあげればそれで仲良くできそうなのだが、なぜだか篝の表情が晴れないのが気がかりだ。
いったい何を間違えているのか。
千歳
「こっちは、どんな船ですか?」
篝
「ええと、それはですね、戦闘用ではなく輸送用です」
千歳
「いろいろありますね」
篝
「あはは、千歳さんそれなりに楽しそうですね」
千歳
「そうですね、それなりに楽しいです」
千歳は楽しくもなんともなかった。
篝の趣味に付き合わされているだけで、千歳にはこれの良さがわからない。
篝と仲良くなるために話を合わせているが、船に興味は何もないのが実情。
話を理解している素振りを見せながら話を聞いている素振り。
とはいえ、持ち前の学力から篝が言ったことは簡単に覚えられる。
が、話を続けていくうちに篝の表情はどんどん曇ってゆくのだった。
なぜか?
千歳にはわからない。
ふとした時、篝はこんなことを話し始めた。
篝
「千歳さんは、大人ですね」
千歳
「え? まあ、そうかもしれませんが。えーっと、なんだ? ここは職場だろ? 大人な雰囲気でいいんじゃない?」
篝
「そうだね、大人の雰囲気でいたいけど、私は、千歳さんを童心に帰したくてこうして船を見せていたの。でも、千歳君は大人の対応するばっかりで、なんだか、お父さんみたい」
千歳
「へー、そうなんだ」
篝
「そう言われて何か思ったことは?」
千歳
「うーん、特にないけどなあ」
篝
「あーあ、年相応じゃないってことですよ。私だって遊びでお船を集めているわけですし、千歳さんも大人の対応をするんじゃなくて好きなら好き、嫌なら嫌って言ってくれればいいのに」
千歳
「あー、確かに嫌ではあるけど、年頃の男の子だからこういうのは好きなんじゃないかなあ、と思って知識くらい手に入れようかな、なんて」
篝
「千歳さんは千歳さんの好きなものを好きと胸を張って言えばいいじゃないですか。千歳さん、何か好きなものはありますか?」
千歳
「えーっと、芸術鑑賞とか」
篝
「好きな画家は?」
千歳
「モーツァルト」
篝
「好きな作曲家は?」
千歳
「ドゥビッシー」
篝
「なるほど、千歳さんはうそつきですね」
千歳
「すまんね、高名な芸術家なんかに興味を抱くと思うか?」
篝
「思わないって。好きなお笑い芸人は? もっと大衆に受けそうな芸人の話をしましょう。こう見えても私、声優はそれなりに好きですよ」
千歳
「あー、声優かー。あんまり知らないなあ。アニメも映画も見ないし」
篝
「うわー、そういう次元の人間かー。これは手ごわいなー」
千歳
「なんか現代文化の外で育った人間みたいで申し訳ないね」
篝
「この前、梓さんがあなたのことを異世界から来た人と言っていましたよ。確かに言いえて妙ですね」
千歳
「俺の異世界人説はそんなに広がってたのか」
篝
「まあ、いいんじゃない。世の中にはいろいろな人がいるってことで」
千歳
「そ、そうだな」
やんわり存在を肯定されつつ否定されたような気がしたが、まあ、学校という狭いコミュニティで生きづらさを感じるほどではないな、と千歳は思った。
次第に放課後労働のメンバーが集まり、今日の仕事がどんな感じなのか説明された。
先生
「こんにちは皆さん。今日は少し特別なお仕事をお任せしたいと思います。皆さんが警備している仮想現実でお祭りが開かれるので、その警備をお願いしたいのです。スケジュールは今週の金曜日の夕方から夜にかけて。何か問題が起きれば対処いただきたいのですが、皆さんは普通に見回りをしているだけで大丈夫です」
千歳
「思うんですが、単に見回りをするだけで一体どんな効果があるんですか?」
先生
「ふむ、それはですね、仮想現実といえどもただの現実ですからね、この空間は警備がしっかり行き届いているんだな、とユーザーに認識してもらえれば、安心してお祭りを楽しんでもらえるのですよ」
そう言って先生はイベントの資料を自身が表示されているディスプレイに表示した。
資料によると桜祭りが行われるようだ。
新年度らしく桜を見てお祝いをしましょう、という旨のイベントらしいが、千歳は学校の校庭の風景を思い出して、そうだ、こうやって現実の住人は花を見て楽しむものだったな、と思い出した。
先生
「皆さんが担当いただくのは入場ゲート一つ、花見会場の巡回を随時です。それからこのイベント自体が課金制なので不正なアクセスを行っていないかどうか確認するモニタリング担当を一人確保したいです。それぞれ入場ゲート2名、花見会場3名、モニタリング1名の人員体制で行いたいです。役職の希望はありますか?」
四季
「私はモニタリングを行いたいです」
先生
「わかりました。では四季さんはモニタリングで」
榛
「私は会場の巡回で」
先生
「わかりました。榛さんは何かあったらほかの人たちを呼ぶようにしてください。それだけで十分仕事になります」
唯
「私は入場ゲートの警備をしたいです」
先生
「わかりました。警備は立っているだけで十分警戒になりますので、くれぐれも無理はしないように」
梓
「私も入場ゲートの警備がいいかな。その方が歩き回らなくて楽そうだし」
先生
「了解しました。ではほかの人は会場の巡回で問題ないですか?」
篝
「異議なしで」
千歳
「まあ、全部似たようなものだしな」
先生
「それじゃあ、今日はこの会議と、現地の下見をして解散にしたいと思います。すでに会場のデーターは完成しているので、皆さん好きに風景を眺めて時間になったら帰ってください。あくまでもこれはお仕事ですが、どんな気持ちで風景を眺めるのかは自由ですので、それでは」
そう言って先生はディスプレイから姿を消して、これからお花見会場に飛ぶアナウンスが流れ、風景は桜が咲いている庭園に移り変わるのだった。
千歳は風景を見る前にこの風景を作ったアーティストの顔を見ることにした。
白玉林檎(ハンドルネーム)、年齢52歳、男性、仮想空間の風景を制作することで会社に雇われており、その美しい風景は見るものを惹きつける。
今回のイベントは白玉さんの初個展であり、遅咲きのアーティストとして世間には周知されているという。
梓
「へーきれいだね、こんな風景、東京じゃもう見れないよ」
梓がそう言って楽しそうだったが、これはあくまで下見だし仕事だ。
千歳はどこにどういう死角があるのかすべてチェックしてその日を終えた。
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