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なにやってるの? in Phayao Center

 や〜〜〜っと投稿、ぼくはどこで何やってるんだい、と。バイト先のお客さんとかに聞かれてもテキトーにお茶を濁していました、やや小っ恥ずかしくて。先延ばしにしてたら2ヶ月経ちました。
 あんまり興味ない人は付録だけでも見てね。


パヤオセンターとは?

 日本人スタッフとして北タイの児童保護シェルター「パヤオセンター」に滞在しています。まだスタッフの一員とはとてもいえませんが。2025年の2月末までいる予定です。帰るころにはお札が変わってるらしい、浦島太郎みたいでちょっとワクワクする。
 北タイで深刻な女性や子供の性的搾取の問題を受け、彼ら彼女らを保護する目的で建てられたのがパヤオセンターです。今いるパヤオ県はタイ最貧地域の1つで、昔から人身売買の「青田刈」が頻繁に行われていました。30年前、小学校を卒業した子どもたちがバンコクやマレーシア、そして日本等に売り飛ばされていました(日本は人身売買の受入大国だったりするわけです)。特に山間部に暮らす少数民族は独自の言語を持ちタイ語が話せなかったりタイ国籍を持っていなかったりして、そのターゲットになりやすかったのです。人身売買のリスクの下にあったり、貧困や家庭内暴力等さまざまなケースで人権が守られない状況にある子どもたちが共同生活を行っているのがパヤオセンターなわけです。ざっくり。センターの詳しい取り組みについては今後noteで発信していきたいと思います。

はたけ 学校行く前にみずやり

何やってたの?  in Japan

 次は僕が日本でなにをしてたのかという話。
 元々僕は多文化共生、異文化理解、異文化交流といった分野に興味がありました。単純に、自分の知らない世界を知っている人たち(つまり自分以外のすべての人、他者)と話すことが好きでした。その延長だったんだと思います。それで山梨県立大学国際政策学部に入学しました。「価値観・文化・身体的特性・精神的特性・考え方のクセ等、自分とは異なった存在である他者との共存をいかにして実現するのか」というのが自分の勉強の核、というかテーマになっています。2年前、山梨県立大学国際政策学部から人間福祉学部に転学をしましたが、これは全く変わっていない。国際政策で学んでいた事と人間福祉で学んでいる事は地続きであると実感するばかりです。
 人間福祉学部に転学部した僕は、最初の授業で教わったソーシャルワーカーの定義にいたく感動しました。それがこれ↓

ソーシャルワークは、社会変革と社会開発、社会的結束、および人々のエンパワメントと 解放を促進する、実践に基づいた専門職であり学問である。

ソーシャルワーク専門職のグローバル定義 (https://jfsw.org/definition/global_definition/)

 すげーーーと思いました。国際政策学部で社会問題だったり国際問題について学んできたけれど、その解決に向けて実際に行為している人たちがソーシャルワーカーなんだと確信しました。だから私の思い描くソーシャルワーカー像は、「抑圧からの解放を目指し行動する人」なわけです。抽象的だねえ。でもこの核があってこそソーシャルワーカーなんだと思ってます。

何するの?  in Thailand それから大学で

 30年前からタイ北部の地域でソーシャルワーク活動を展開し続け、本当にその地域社会を「開発(Development)」してきたPhayaoセンター。行政や学校、警察、病院等とコミュニケーションを続け、地域のネットワークを構築してきたコミュニティソーシャルワークのプロフェッショナルです。そして子どもとの関わりのプロでもある。福祉と開発と教育(関わり)のすべての領域においてプロです。国際と福祉の2学部に両足突っ込んでワチャワチャと──溺れかけながら──勉強している自分にとって、パヤオセンターはこれ以上無い実習の場なわけです。
 子ども達と共同生活を送りながら、彼ら彼女らとの関わりのあり方を学ぶ。抑圧からの解放の手法を学ぶ。福祉を行い得るその根拠、哲学と倫理を学ぶ、感じる。これら3つが、これからの1年間の大きな目標として掲げられます。

 先にもちょろっと述べたように、人間福祉と国際政策の両学部の学びは地続きです。福祉の学びと国際協力の学びは軌を一にするものであると思います。国際協力を実践している人はソーシャルワーカーであるというか。人間福祉学部で学ぶことは、そのまま国際協力につながっているはずです。しかし、国際政策学部の中にいてソーシャルワークという言葉を聞くこともなければ、人間福祉学部の中にいて国際協力・開発という言葉が聞こえてくることもありません。でも、どちらの学部の学びも根底には同じ倫理があると思うのです。
 まだ私の中でもきれいな言葉にまとめられていません。「福祉の学生が国際に、国際の学生が福祉にちょっとでも触れてみたりするとスゲ〜おもしろいことが起こるような気がするんだよな〜せっかくキャンパス同じだし」ということが言いたい。というか、自分が国際と福祉に両足突っ込んだらめっちゃおもしろかったからみんなもどうすか!っていうだけです。かなりドタバタあっちいったりこっちいったりして迷走気味ですが。多趣味多動、興味の対象がいっぱいです。どうしよう、卒業できるのか。

大村財団のこと、周りの大人のこと

 タイ行きたいにしてもお金がないぞ!と右往左往していた1年前、たまたま廊下でばったり遭遇したY先生にたまたま挨拶してみたところ(当時ほぼ面識なし。なんで話しかけたんだっけか、すごいな俺は)何やら山梨県と大村財団が「人材育成基金」というありがたい事業をやっていると聞きつけます。それがなんと応募締切の丁度1ヶ月前、超特急で準備をして小論文、計画書、プレゼン、面接等をやりきり奨学金獲得にこぎつけました。やったー!
 留学は人のおカネで行くに限るとは母の言葉。その時はまた変なこと言ってるな、としか思いませんでしたが「他人から見ても価値がある、出資したいと と思えるような留学をしなさい」という意味だったんだろうな、多分。このチャンスを現実のものにしてくれた大村財団、推薦文や面接指導等全てにおいてお世話になったY先生、お父さんお母さん、本当にありがとうございます。(そして自分の準備が遅くご心配とご迷惑をおかけした諸オトナの皆様、申し訳ありませんでした。。。)

 学部変えちゃえ!と思って変えたこと、行ってみたい!と突拍子もなく思うこと、偶然の立ち話が決め手になってこの留学が実現したこと、めっちゃ俺っぽいなー。ここまで繋げてくれた周りの大人にも感謝です。

 タイで感じる事、考える事、これからこのnoteで共有していこうと思います。とりあえず2ヶ月継続が最初の壁、がんばります

付録 自戒メモと写真

  • note更新月1で頑張る

  • 毎日タイ語音読

  • 借りっぱなしのチリトリとほうきを返す

  • 歯医者予約

  • SIMカード更新

  • 銀行にでんわ


チューバッカみたいな犬
この田舎町にも数年前にセブンができました。ウーム、グローバリゼーション。。。
センターのねこちゃん
かなり嫌われてるのですぐ逃げられる
ビザ取りで行ったラオス
最高〜
帰省する子どもら。この1ヶ月子どもたちは帰省してて非常にさみしいです
アカ族の村の子と、食べこぼし回収ねこ
アカ族のおばあちゃんと、日陰いぬ
おばあちゃんカッコいい〜〜〜〜
噛みタバコをいただきましたが劇的に苦かったです。あと歯が真っ黒になった
アカ族の村長さんと村の子たちとおかあさんと、いぬ
泊まらせていただいたおうちの方と、ねこ
通学 日本の自転車のおふるなので〇〇県警とか〇〇高校のステッカー貼ってある


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