自分の中の心の闇との向き合い方記録はじめます。

2020年6月21日(日)
夏至、新月、日食・・・・というトリプルスーパーデイ(らしい)日

この日のちょっと前からメンタルを崩した。
いや、正確にはこの人生の長きにわたり、デフォルトは崩れ気味であった。それが、心理学やスピリチュアルや、真理の探求・・・・などなどで、色々と試行錯誤をして、過去においては

「ただ存在しているだけでとにかく苦しい」
      ↓
「ただ存在しているだけで、心穏やかで至福感に溢れる」

まできていた。きていたのだが。


スピリチュアル的な意味合いも、なにもかも、「定義づけ」自体が『とってつけたものにすぎない』と思っているけれど、そしてその『とってつけたものにすぎない』ものに溢れる世界=様々な定義づけに溢れる世界が、この二元の世界で地球で宇宙である、と解釈している。要はエゴの世界である。

そして”本来”の世界は、非二元の場所。


この二元の世界で、様々な定義づけに溢れる世界で、
上記トリプルスーパーディは、浄化的な意味合いもあるらしいけれども、水星逆行中(現時点でもなお)にあった。水星逆行中は、コミュニケーションが滞ったり、過去のことに焦点が当たったりということがあるようで、まさに『過去の昔馴染みだった感情』が、私はまだここにいる、おいていくな〜〜〜っと、まるで地獄絵図の中の地獄の火の海みたいなところから必死に手を伸ばす亡者みたいな感じで、アピールしてくる。

どんな感情かというと、とにかく苦しい。生きているのがつらい。消えてしまいたい。周りが怖い。周り関係なく自分の中からドロドロした嫌なものが湧き出てくる感じ。不足に目がいく。自分がダメ人間な感じ。何もしたくない。不安と恐怖ばかりが出てくる。とにかくひたすらに傷つく豆腐メンタルになる。


至福感あふれる状態は「愛」(ロマンスのことではない)の状態で、ONENESSなので、その真逆である。つまり【分離意識】真っ只中である。


周りの見性経験がある方あどをみていると、落ち着いていらっしゃるし、安心感があるのね。この世のものはすべて幻だと分かっているから、そこに左右されないし、それに傷付いたりもしない。

これは知識で知っているのと、どこか深いところで体感したのでは違うなあと。当たり前か。


そうすると、あの時感じた心の穏やかさや至福な感じも、二元、二極の世界でただ「幸せー不幸」「穏やかーざわざわ」などと感じていただけなのか・・・とがっかりしたりして。

ワンネスの体感をしたと思ってもいなかったから、当たり前なんだけど。

それに・・・こうやって「じぶんが」したと思っている時点でエゴの仕業なんだろうね。



とにかくこの1週間近くは、とにかくキツかった。まだ名残はある。
本を読む気も、大好きなおやつをつくる気力もなく、とにかく何もしたくない!くるしい。しにたい。きえたい。どうしたらいいかわからない。この思いがとにかく溢れ出てくる。


2週間くらい前に同じような気持ちに久々になった時は、「あ〜昔これはよく感じていたなあ。いいよ、おいていかないよ。よしよし」とその子を包むようにしていたら、す〜っと統合されたように消えていったんだけども、今回はそれも効かず・・・


もがき苦しみながらも、身を任せていたら、すこ〜〜し今日は浮上した。


コロナ自粛中にたまたま図書館から借りていた本に『神の使者』(ゲイリー・R・レナード著)という本があった。(自粛のおかげで長期にわたって借りれたことになりじっくりと読めた。なんせ500ページを超える本であったため、ありがたい。)欧米では特に人気らしい「奇跡のコース(コースインミラクル)」をベースに著者がチャネリングのような形で現れた高次の存在との対話形式で書かれた本で、非二元がベースにあるし、とても興味深く読んだ。

ある時瞑想をしながら、そうだ彼の言っていることを日常生活に当てはめながら記録として新たなブログか何かに書いていくのはどうだろう?っと閃いたものの、放置していた。

今は『神の使者』を読んだ時にメモしたものを振り返ったり、Amazonプライムで見れる彼の別の本『愛は誰も忘れていない』を今読んでいる途中であると同時に、「奇跡のコース」の日本語訳でwebで公開されているものをベースに自分でやってみようかなと思ってやってみている。まだ今日は2日目だがね。

そしたら、また今日瞑想中に、あの苦しい時の気持ちも含めてやはりブログなどに記載しておこう・・・と湧いてきて、自分のために記載していこうとおもっている。

いざ記載しようとすると、書くことが浮かぶような浮かばないようなだけれども。やってみる。






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