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12年目の神楽をレンジファインダーで撮る(LeicaM typ240)

 寒空が体の芯まで伝わるころになると、妙にそわそわとしてくる。とはいえ、今年はまださほど寒さは厳しくなく、どうも調子が狂う。しかし確かに時期は来た。神楽の季節だ。

 長いこと通っているところがある。それが隣町の山間部の神社で行われる神楽だ。
 たまたまカメラ雑誌を開いてみたら、そこに同僚が写っている。神楽を舞っているシーンで、へえ、彼はこんなことをするのかと驚いて早速尋ねてみると、親の実家だという。そして今年の神楽はまもなくだと言うではないか。それは見過ごす手はない。行ってみてもいいですか?と尋ね、僕は手持ちのカメラを全て持って行き、山へと入ることになったのだった。
 それから彼は僕の親類と縁を持つことになり、宮司さん達と遠縁にもなったわけだが、そんなこと関係なく、来た人々によくしてくださる。
 年に一度、山に入って、冷えた空気に身をさらし、深夜になるにつれ、ぼんやりとしてくる頭で観る神楽は幻想的でさえある。自分と同じく長く通っている方もおられる。外国人や、東京から観に来られる方もいた。その年その年で空気感が違う。夜中までわいわい賑やかな年もあれば、静かに観るような雰囲気の時もあった。舞手も、かつての山村留学の子供たちが立派になって後を担い、舞に洗練と鋭さが感じられるようにもなった。とはいえ、かつてのどことなくおぼつかなく、幽玄な感じも好きだった。

 今年は昨年の国文祭など各地のイベントで舞う機会があったからか、米良山系の神楽が無形文化遺産に登録されそうという勢いもあってか、カメラマンの数が異様に多い年であった。時間の調整がきかず、小一時間予定より遅くなったとはいえ、それでも早めに着いたつもりだったが、カメラマンがいつも陣取る場所は既に埋まっていた。こうなると昼には来ないともうだめかもしれない。しかしそれも、自分が椅子に座ったまま居眠りをしている間にだいぶ少なくなっていた。

 比較的過ごしやすい日ではあった。が、夜中になるにつれ寒さは増し、何枚も重ね着してしまうと温かなかわりに眠気もやってくる。その眠り心地はなかなかよいものだ。夢心地とはまさにこのこと。山に響き渡る笛太鼓の音を聞きながら眠るのも悪くない。失礼ではあるけれど。


 カメラは今回、X-pro2とLeica M typ240を持っていった。予備として6Dを持って行ったが、使わなかった。
 長い事、カメラは一眼レフ2台に24-105F4と70-200f2.8、そして気分に応じて超広角ズームか魚眼、さらに単焦点レンズをいくつか持っていった。
 プロカメラマンに撮影方法を教えてもらってからは、ながらく標準ズームレンズにストロボをオフカメラという設定で、極力フラッシュは弱く焚き、シャッタースピードを8分の1から、場合によっては30分の1の速さで撮影した。フラッシュの発光部には、その明かりの色と合ったフィルターをかぶせた。こうすると光が微妙に軌跡を描き、動きが出る。
 しかし今回は、今年手に入れたライカで神楽を撮ってみたいと思ったのだった。調べてみても、レンジファインダーで神楽を撮影している人は見当たらないし、うまくいくかどうかも分からないままだったが、X-pro2でマニュアル撮影したときも、それなりに撮れていたので、そこまでまずくはないだろう、と想像したのだった。難しいかもしれないが、マニュアルで、二重合致で撮る神楽はどんなだろうか、と思った。
 結果としての歩留まりがどうかは未確認ゆえまだ分からないが、AFでピントが合わずシャッターが切れない、ということがないぶん、AFよりも難しいと感じることはなかった、と言えそうだ。ライカのISOが低めなので、画質は荒れるが、それはそれで、悪くない粒状感ではある。それに、cannonのフラッシュをマニュアルで使用すれば、オフカメラでフラッシュを焚くことも可能だった。結果、フルマニュアルで撮ればどうにかできたかなと思っている。今のところ。

(少しずつ見返しているが、きちんとヒット!となっているのはやはり少ない。)

 毎年のことではあるが、脇の小屋で出されるうどんそばが、身に染みてうまい。本当に美味しい。作る方が変わり、肉うどんの甘みは絶妙なものであったが、その前のあのうどんのお味もまた格別で恋しくなる。さらに毎年趣向の違う振る舞いもいただく。昨年はスモークされた鶏肉の唐揚げをいただく(たぶんスモークされてた)。あれもまた格別だった。

 今年は久々に会えた方もいた。腰を悪くされていたけれど、それでも元気な顔を見られて嬉しかった。年に一回のことなのに、こうして覚えていてくださることもありがたい。いわんやその彼とは実に4年ぶりのことだった。さらには神戸から来られる生田さん。プロカメラマンさんであるが、こちらの無粋な言葉や質問にも非常に丁寧に答えてくださる。それでいろんな考え方が変わっていく。今回も写真を通して仕事への姿勢を改めてさせてもらった。毎回不躾な自分にもとても丁寧な対応をくださり、平身低頭である。


 今年の三十三番は少し遅い進行で、戸開きが行われる頃にはすでに空が明るく白んでいた。ちょっと遅刻なすった天照大神の降臨であった。そんなわけで天照大神の面をクリアに見ることができた。仮面はどれも味わいがある。その土地の特徴が面には込められているように思う。これを作った先人は、どんな思いで、その面を彫ったのあろうかと思いを馳せる。素人が作れる造形ではないが、かといって極めて洗練されているというわけでもない。地に足のついた、といえばいいのか、野趣あふるる、とでも言えばいいのか、そういう面である。そのようなものが、神楽を舞う神社のあちこちに数多く奉納されているのだと思うと、美術館にはおさまらない、伝統と芸術のはざまでしっかりと根付く美が、地方にあるのだと感慨深くなる。

 また、次の年に、僕はこの山間の集落に足を運ぶだろう。過疎化著しいなか、この神楽がどこまで続くか分からないが、しかし、あの手この手と復活をしてきた神楽である。きっとこの寒空の下で舞う人々の息遣いを感じられるときは長く続くだろうと信じたい。

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