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シャッター半押しという発明。

 シャッターを半押しする、という行為を当たり前にやってきた。
 渡されたα7000で兄の徒競走を撮るときに、父から
「シャッターを軽く押せ。マークが点灯したらシャッターを深く押せ」
 と習った。それが小学生のころだから、それから30年以上、半押しを当たり前のようにしてきたことになる。

 ところがこの半押し、初めてカメラを持つ人にはちょいと分からないらしい。ピントを合わせるためにシャッター半押しするんだよ、と伝えても、全押ししてしまったりする。考えてみると、この半押しというちょっとだけボタンを沈める行動は、暮らしの中の他の行動には見られないものだ。

半押ししながら被写体を追いかける。
ぐるりと円を描く扇子にも。

 ピントを合わせる、露出を固定する、そうした行為のために使われる半押し、これ実はなかなかすごい発明ではないだろうか。M3やPEN Fと言った、これまで使ったことのある電子制御のないマニュアルカメラでも、シャッターボタンは少しばかりのクッションがあって、あるところで、シャッターが切れるようになっている。そのあるところまでのクッション部分に、オートフォーカスと露出固定という機能を与えた人はどんな人だったのだろうか。すごいと思う。だって、こんな曖昧な部分に機能を持たせたのだから。

 どのカメラから半押しに機能が付与されたのだろうか。ちょっと調べたくらいではその正解に辿り着けない。カメラの歴史を語るとき、世界初のAEだとか、AF搭載機だとか紹介はされるけれど、(そしてそのあたりが半押しに機能を付与されたカメラということになるのだろうが)半押しに機能を付与したと言うことももっと持ち上げられたっていいのではないだろうか。今やどんなカメラでも半押しに機能がある。自分でやることが多いライカだってそうだ。半押しにそのような機能を持たせる発明をしなかったら、今のカメラはどうなっていたのだろう。
 いや、半押しは必然だったかもしれない。いずれにしても、この初めてカメラを扱う人が戸惑う所作は、カメラがなんでもしてくれるという今のハイテクカメラの礎になったと言っていいような気がする。

 職場で配布される資料やデータなどを見ると、結構な頻度で、あ、これ僕が以前作ったフォーマットだ、ということがある。そのとき、それが普遍性を持って使いまわされていることにニンマリする。だってそれって、それだけ使いやすくて改善しなくてよかったと言うことだからだ。

 ちょっとシャッターボタン沈めたら、何かが機能するようにしましょうよ、と言うように発明をした人は、そのときどんな気分だったのだろう。そうして半押しがもうずっとカメラの機能として使われて続けていることを知ったなら、たとえそれが当たり前過ぎて誰も注目しなくても、その人はきっとニンマリするに違いない。喧伝されないけれど、確実に必要なものの発明ほど、すごいものはない。だって、それが当たり前にあると言うくらい普通になってしまったのだから。

さくら祭りの会場で、市内の複数の団体が神楽の一部を披露する。桜の下で見る神楽というのもなかなか良い。何より暖かいしね。

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