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ディール、ディール、ディール

 先日飲みに行った先でいろいろと話をしていたら「ロシアの企業ってすべて国が持っているんですよね」ということを言われて文字通り仰天してしまった。過半数を政府が保有しているものも資源関連では多いが、そういう会社でも一部の株式は上場されている場合が多く、ロスネフチ株など日本の証券会社の外貨建口座で買うことができ、私も自分で買ったことがあるというような話をして(いまは制裁のためにルーブル建ての取引はできなくなっている)、もはや共産主義ではない、むしろ日本のほうが資本主義陣営のふりをしながらETFを通じて日銀が上場株式の過半数を持っていておかしいんだと説明したが、いまだにロシアのイメージはそんなものかと思って外国人と話すよりもカルチャーショックを受けてしまった。

 最近そんなことが多いので大変苦労するのだが、一方で私が英語やロシア語を通じて入手している情報を、草の根的に布教していく活動(活動と呼ぶほど仰々しいものではなく、日常会話の中でだが)にも意義があるのだと考えるようになってきた。さらに、インターネットがあるにせよ(むしろそのために)いまだに人々の認識には多大なる情報の非対称性が存在し、つまりそこには商機があるということだ。

 しかし、企業でも個人でも、借金を抱えていたり外部から資本を調達したりしていると、その調達した資本の運用に追われてそういう細かい商機を取りにいくことができなくなってしまう。私のように気まぐれ野良ニート商人として生きて無借金でいれば、資金の続くかぎりサイコロを振り続けることができるし、手元資金がなければそれこそどっかから調達してきてプロジェクトとしての立ち上げだけやって、あとの運営は他人に任せてよい。サイコロを振れさえすれば、アラブの石油王と知り合いになって末代まで食えるだけのカネが一つの取引で儲かるかもしれない。そんなことをずっと考えて生きている。タレブの言うオプション性とはそういうことだ。

 31年間生きてきて、私はただそういう取引を企てて契約を結ぶことだけが好きで、コンスタントに同じようなことをやり続けることができない体質なのだとようやく理解した。パソコンのパーツを、CPUはこれ、GPUはこれ、メモリはこれ、ストレージはこれ、OSはこれ・・・というように選んでいって自分のPCを組み立てるように、現物株式とデリバティブを組み合わせてポジションを組むのが面白かろうと思っていたのに、日本市場では個別銘柄を原資産としたオプションは取引されておらず、日経225指数のオプションしかないから、これもやがて飽きてしまった。ただディールメイクするのが好きなだけなのだ。ディールメイカーといっても日本語ではなじみがないので、あえて日本語で言えば商人とか周旋屋とかいうことになるのだろう。こういうのをぴったり言い表す言葉がないのはなぜかといえば、支配者にとっては民衆がある特定の職業に従事し続けてくれるほうが、支配にとって都合がよいからだろうと思っている。小学校や中学校で将来の夢を書かせたり、実際にその職業に従事することになった話を美談として流布するのも同じ趣旨に出たものだろう。

 高校の頃から、入試本番の日に合格点を取る答案を書けるかどうかだけが肝心要であって、まいにちまいにちマメに出席したり勉強したりする必要なんかないんじゃないかと思っていたし、採点に何の影響力も持たない高校の教師と仲良くしている受験生なんかバカじゃなかろうかと思っていた。大学入試もペーパー一発ならスパっと決まって、高校とソリが合わなくとも大検取って筆記で入れるのに、AOだの推薦だの、来る日も来る日もバカ教師のご機嫌伺いをすれば晴れて大学生になれるという、こんな奴隷化がまかり通っていればそりゃアホらしくてやってられんだろう。

 ほんらい経済活動や社会活動はもっとドライに利害関係の一致によって展開されればよいもので、そこに過剰に主従関係や情緒的関係、浪花節を持ち込むから七面倒なことになる。思いやりとやらで注射まで打つようではとうてい理解できないことだろうが。


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