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ペテンから身を守り歩き続ける

 昨日の記事は全然閲覧されなかった。日本の金融洗脳教育がいかに成功したかについて書いた記事が読まれないという事実そのものが、日本の金融洗脳教育がいかに成功しているかを物語っている。世界はフラクタルにできている。感動的だ。感動的といえばドル建てのゴールド価格は2,000ドルを突破してなお上昇傾向を見せ、ついに昨日は2,040ドルで引けた。ゴールドマンサックスも12ヶ月のゴールド価格目標を2,050ドルに引き上げた。いまや金利は上昇し続けているにもかかわらずだ。

 私が昔習った体制派の東大経済学では、金利が上昇するとゴールドの価格は下がるというのが常識だった。ゴールドは配当を生まず、経済合理的な投資家はかならず配当を生む債券や株式の方を選好する。配当を生まない貴金属はファイナンス的には評価額がゼロだとさえ言われていた。

 こうした近代経済学のほとんどがウソだと、体制でも認め始めている。ベン・バーナンキはすでに自分の政策の失敗を認めているし、黒田もゴーストライターを雇って日経新聞に言い訳を書かせていて現在進行形で連載している。プリンストン大学のノーベル賞経済学者のアンガス・ディートンも次のように書いている:


自由市場原理主義者の「自由についてのユートピア的なレトリックは、裕福な「収奪エリート」によって運営されている米国に不当な社会的ディストピアをもたらした。
「労働者の損失は、効率的な市場のより大きな『正義』のために犠牲にされている…行き過ぎは異常ではないが、特に資本が法律と政治を味方につけている場合には、まさに規制のない市場が機能すると予想される通りである。」
「自由市場、少なくとも富裕層による家賃追求を許可し奨励する政府がいる自由市場が、平等ではなく、国民全体よりも先に搾取的なエリートを生み出すことは、それほど驚くべきことではない。」

 近代経済学がウソだからといって、貧富の格差がなくなったり国民全員にカネが配られるようになったりするわけでもない。搾取のない世界などありえず、近代の虚妄が暴かれたのちも統治と支配、経済の原理は生き続ける。しかしふつうに生きていくのに何軒も別荘を持っていたり、外車を乗り回したり、ヴィトンで全身を固めたりする必要も別にないわけで、大金持ちになれなかったり大金持ちのふりができなかったりしたからといって人生が終わるわけではない。メディアやインフルエンサーが騒ぎ立てるのとは裏腹に、現実の経済生活は淡々と移ろっていくだけなのだろう。昨日のロシアのソブコムバンクの上場による調達額は約150億円で、西側のIPOだなんだと囃し立てて時価総額何百億だと騒ぐのに比べれば大したことがないようにも見えるが、西側のほうがバカみたいなことにカネを使わされているだけの話だろう。

 シルバーも心理的な抵抗線を越えて25.02ドルで引けた。いままでは24ドル近辺が天井で、なかなか抜けなかったのが、バイデンと習近平がたくさんEVと太陽光パネルを作ると決めたことで買われている。別にEVも太陽光も、それが環境にいいだとか言う話も全部デタラメだが、それが新たな収益機会ならそこに資金を投じ、収益で自分の好きなように生活を設計すればよい。人類の生き方は本来そういうものであったはずだ。洞穴に住んで狩猟採集をやっていた時分からそれは変わらない。変わったのはデタラメを流布する連中が現れてきて、流布の仕方もどんどん洗練されてきていることくらいだ。いまや人々は日々スマホやSNSを見て、体制が流す消費主義や悲観主義に自分から進んで自己教育していくのだから、支配者としてはラクなことこの上ないだろう。

 私の記事は読まれないが金銀価格は上昇している。余談だが、運が良くなるためにはどうでもいいところで不運に見舞われておく必要がある。幸運にもバランスシートがあり、幸運だけ、不運だけがずっと続くということはまずない。多くの人は考えるスパンが短すぎるために気づかないのだが、人生を通算してみると幸不幸は必ずバランスするようにできている。私は自分のポートフォリオや健康に関することで幸運が舞い込むように、その他の領域での不運を甘んじて受けるよう務めている。適当にゲームして負けたり、飲食店で割高なメニューを注文したりするようなことだ。

 良いときもあれば悪いときもある。朝の散歩でさえ、吹雪いていたり道が凍っていたりする。しかし重要なことはいつも歩いているということだ。それ以外のことはまやかしとおまけに過ぎない。今日はここまで。


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