鼻くそ食ってるやついたよね
「なんで小説ってジョーケービョーシャとかするんだ?なくってもいいやん」
隣の席で久慈川はそう言った。お酒を飲んで顔を赤くしている、ふだんの頭の回らなさに輪をかけてバカな言動がきわだった。
確かになくても成立はする、何時に〇〇駅についてどこそこで友人とランチをとった。ただそれだけを書き連ねても読めないことはない。でもそんな文章読んでて楽しいか?ただの日記と同じだ。
作者には冬の冷たさから失恋の辛さを描く人もいれば同じ冷たさから親しい人の裏切りを見出す人だっている、そういう感情の動きを楽しめるから小説なんだろ?
「まぁそうだな、じゃあ酔ってロクに会話もできないオレたちのことはなんて表現するんだろうな?」
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