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"どうでもいい"の、その先に

誤解を恐れずに書くと、私は様々なことを「どうでもいい」と思っている、と思う。もっと正確に言えば、「どうでもいい」と感じている。

2019年4月に、三鷹"からだはうす"さんのブレスワーク(詳しくはホロトロピックブレスワークと言うようです)という、自らの深い速い呼吸によって変性意識状態に入っていき、自分の心身に蓄積されたエネルギーやストーリーといった様々な情報に気付くことで、心身のエネルギーを活性化させることを目的とした、私がこの3年ほぼ毎月通っているワークに参加した。

文字だけ読んでもなんのこっちゃ、なんかあやしい、と感じそうなこのワークには、こんなことをやってみたいと思うだけあって、ある意味「普通じゃない」人たちが集まる。

仲間たちの語る今現在までの人生や、親を含めた先祖のストーリーや、それぞれがブレスワークを通して感じることができた内在するルーツのストーリーなど、とても興味深い。

4月は、死にたかったとか殺したかったとか殺されそうになっただとか殺しそうになっただとか、そういった言葉たちが存在感を見せていた回だったように思う。いつものこと、とも言えるかもしれないが。

で、私はどうだったかというと、自己肯定感というものの低さから「このまま生きていては、自分に期待してくれている家族に迷惑をかけるだけだ」という思い込みの域まで達したうつ病により、自ら死ぬことを一旦決意したものの、"失敗"し生き残る、という経験があり、上記のような人の生と死に関わる言葉たちは自分事として想いを巡らせるものだった。

そこで確か、からだはうす高橋実さんが発した言葉からだったように思うけれども、死のうと思って行動をとったことのある人の中には割と、「どうでもいい」という感覚を持っている人が多いのではないか、といった話にもなった。

私がまさにそれだ、と思った。

終わらせるつもりが結局生きることになったこの人生を、どう生きていくか。本来なら生きるために必死にならなければならないだろうところ、そうでもない現在。

40歳まで生きれば十分、と思ってきた自分が41歳になり、あとは余生くらいに感じているのか、どうなのか。

私は極端なめんどくさがりで、すぐにいっぱいいっぱいになるけれども、大抵のことが「どうにかなってしまう」のは、この、「どうでもいい」のおかげなのかもしれない、と感じている。

死にたいとまで思って行動するくらい追い詰められやすかった私がその後獲得した、この「どうでもいい」の感覚は、確実に今の私を支えてくれてもいるが、同時にストッパーにもなっているのを、この記事を書こうとした4月から2ヶ月過ぎた今、感じている。

つい最近、ご縁あって出逢った清水実穂さんに、タロットカードのセッションをお願いした。

私がこれからどんな風に、どんな場所で生きていきたいかを想像した時に浮かぶ光景の源はどこにあるのかを、カードに聞いた。

予想通り、今に生まれた私の使命を全うするため、のようだった。
そのときに出たカード三枚がこちら↓

Facebookにこのセッションについて書いたのを読んだ友人からも「すごいね」と言われたり。

どうでもいいけど、どうでもよくない。
私が気になって気になって仕方のない子どもの社会的養護とグリーフサポートは、もしかしたら社会全体からしたらそういう風に思われているのかもしれない。

私にとっては、どうでもよくなくて仕方がないのだ。

私の中の"どうでもよくない"が"どうでもいい"に打ち克つ時を、そろそろ迎えたいものである。

以下、Facebookに投稿したものをコピペにて。
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先日。清水 実穂 (Miho Shimizu) さんのサンキュータロットセッションをオンラインでお願いしました。
松浦貴昌さんの港区議選ご出馬で応援団員(?)としてご一緒した実穂さん。先週そのお疲れ様会で再会して、3900円でサンキュータロットセッションを人数限定でやっていらっしゃると伺いまして。
「食事を通して子どもなりその親なりが安心できる時間を提供するサービス。困った時に相談できるシェルター的なところ。飲食店プラス支援機能があるもの。持続可能な形で。」そういうものを作っていきたいと思いながらまだ実行に移していない、色々岐路に立っている自覚のある私としては、ぜひお願いしたい、と、早速申し込み。
タロットでどんなことを?と考えた時に、「これからやりたいと思っていることに対していつ何から取り掛かればいいのか」という自分のためらいを扱おうかとしたのですが、そもそも「なぜ私はそれをやりたいのか」ということを尋ねてみることに。
最初の2枚は自然に飛び出て、自分でストップをかけたのは1枚だけ。3枚並んだカードを見て、特に文字の部分を見て、心の中で「やっぱりそうですか」とちょっと笑ってしまうような内容。
ざっとまとめると、「それは自分の人生の最後の仕事、人生の集大成であり、それを見守るまなざしがある、肚からそれが必要だと感じていて、その熱意を出すには肚から光が出ているようなエネルギーを感じていく、使命なのだろうからやってみる、でも、そこには楽しむ気持ちがあっていい」といったことをカードから感じました。
実穂さんとお話をしながら、「プロジェクト化して、一緒に考えてくれる人を募ったらどうか」というアドバイスに至り。
これまで一人で考えて一人でやろうと思っていて、一人で考えていても「自分にはできないこと」に気付くほうが先になってしまっていました。関わってもらうからには仕事としてお願いしたいし、始めてからも仕事として関わってもらえるシステムにしたい、という気持ちが、むしろ動き始めるブレーキになっていて。
やろうとしていること自体は私1人の人生の目的とかから始まっているけれど、だからといって1人でやらなくていい。そろそろ人を巻き込んでいく時なのかもしれない、
そもそも「できるだけ早く"困っている"ことを伝えてもらえる場」を作りたいのだから、自分からそれをやっていかないと。
私の子供の時、今思えば一時保護を受けたほうがよかったんじゃないかと感じる時期がありました。それは私の母が子供の時に社会的養護を得られていなかったことが繋がっていますし、きっとその上の代からも繋がっているものなのでしょう。
私の使命の発端は、母が抱えていたような子供の時からの孤独と寂しさを抱え続けることによる苦難を、グリーフサポートマインドを通じて分かち合えるよう、子供が少しでも安心できる時間を共にしたい、という想い。
そんな中でも私は「両親の愛」をしっかり受けさせてもらったからこそ、この恵まれた贈り物を次の代に渡していきたい。
はっきり言って今の私は「生かしてもらっている」状態で、このプロジェクトを通じてもっと「自分の力で生きている」状態にステップアップすることも同時に目指しています。
ということで、セッションの記録を文字でも音声でもシェアしてくださった実穂さんに感謝しつつ、これからサポートを求めながら動いていきます。

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