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書籍から学ぶ【子どもとスポーツ】

生涯スポーツの時代
-スポーツの現代的認識と国民スポーツの課題-

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平成四年発行の古い本になりますが、
今でも大切な事がたくさん書かれています。
ということは、育成年代の環境や指導は
あまり進歩していないという事かな?と
思ってしまいます。

以下は参考にする文章(内容)です。
・スポーツが上手くなりたい、丈夫な体に
     なりたいという子どもの要求や、
     子どもの体を強くしたいという親の要求は
     私的な個人の利益に属するように見えるが
     将来の社会を担う子どもの体を育てる、
      という意味では社会的な利益となる

・一部の子どもはスポーツに取り込まれ、
    いわゆる少年スポーツの組織化、本格化が
    問題となっている。そして、この中で
    指導者、親が競技会で勝つ事、好成績を
    残す事に大きな意義を見出だし、
    練習のやり過ぎによって使いすぎ症候群を
     起こしたり、大人によるプレッシャーの
     かけ過ぎによる心理的に圧迫され、
     子どもから笑顔が消えた。

・日本では全国大会に出場するためには、
    1日2時間、週6日の練習が最低条件。
     ドイツでは1日90分、週2回~3回。
    日本の少年サッカーチームは、
    大学や社会人の縮小版といった趣で、
    整然とした基礎練習や本格的な
    体力トレーニングに時間の多くを費やし、
    子どもがサッカーを楽しむ時間はほんの
     わずかなのです。

・ブラジルでは遊びの中にサッカーという
     スポーツがあり、そこから競技スポーツ
    としてのサッカーへと進んでいく。
    遊びの中では、その主体は子どもや
    プレイヤーであり、教えられる過程よりも
     自ら学び工夫し、身に付けていく過程が  
     中心となっている。

・日本の子どものスポーツにおいては、
     勝つ事や上手くなる事が主要目的となり、
     いかに早く上手くなるか、という短縮化が
     教育課題となってしまっている場合も…。
     その為、子どもの工夫よりも、『教育』や
     『指導』が優先し、『教育』という名での
     躾の強制や『指導』という名での鍛練主義       的な訓練、しごき、暴力の過程と化す。

・日本では明治以降の近代化の中で
     スポーツが導入され、その移入先が学校で
     あった事から、教育的価値がスポーツに
     付随するものとして発展してきた。
     その教育的な価値とは、ある時は
     鍛練主義的に身体を鍛える事であり、
     非科学的な練習に対しても苦しさを
     根性主義的に耐える事であった。

・ルソー【エミール】より
  『生徒がいつも自分は主人だと思いながら
  いつも貴方が主人であるようにするがいい』
これは子どもには主体的に活動していると
思わせるような指導こそが教育だということである。この簡潔な表現の中に、教育とスポーツの自由、自立性の関係を見る事ができる。

・教育としてのスポーツにおける指導の観点     は、『教えられる』ままにやるのではな           く、『自ら考える』プレーが重要である。
    一見、当たり前で当然のような事実が
   我が国のスポーツの中には確立されていない。

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