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大御所

どんな世界にも、大御所と呼ばれる人がいる。
その世界で長く活躍し、貢献をして尊敬を集め、また確固たる人脈を築いて権力を持ち、第一人者となった人である。
彼のお陰で、その世界は脚光を浴びる。お金も集まる。埋もれていた先人にも箔がつく。その世界に憧れる人が増え、押し寄せ、世界を膨らませていく。

大御所には後光が射している。その威光をたくさん受けて輝けば、出世できる。だから才能のないたくさんの人たちが、成功を求め、彼に1ミリでも近づくことに血道を上げ、すり寄ってくる。
一度輝きだした大御所の後光は、なかなか翳ることはない。本人が道を誤ろうが怠けようが、七光の手下どもが、決して彼の光を失わせたりはしないのだ。
大御所の消滅は、即ち己の消滅。だから必死で曇ったそばから磨き上げ、もっと光れ、もっと輝けと、油をつけスパンコールを撒きよそから照明を当てて、大御所を輝かせる。

つまるところ、大御所は孤独である。
自分の腕が鈍っても、指摘してくれる人がいない。曇りに気づいて点検しようと思っても、手を延ばす前に誰かがメッキしてしまう。
そうして、輝き続けることだけが仕事になってしまった大御所は、もはや、ただの裸の王様である。


今年、『大御所のケンバンド』を何度か観た。自ら大御所と名乗る立派な “裸の王様”、ケンが率いる、珠玉のジャズバンドである。
何が珠玉かというと、ケンから「フレッシュ」と呼ばれている他のメンバー全員が、自ら後光を放つ真のベテラン、一級品揃いというところだ(ちなみに今年最後のメンバーは、スガダイロー/p、林栄一/as、芳垣安洋/dr、東保光/b、という面子。凄いでしょ)。主役の大御所のケンを迎え入れる前に、彼らが一節プレイするフリーは、瞬間で観客の心を捉え、体温も室温も上げて、渦巻くような世界をそこに作り上げてしまう。
それが素晴らしいからこそ、大御所の裸っぷりが際立つ。ガス欠のポンコツトラックをギンギラにデコって走らせている、という風情の彼の佇まいとアルトサックスの演奏が、我々観客を、爆笑させながら考えさせるのである。

芸術とは何なのか?
均衡とは、調和とは、美とは?
権威とは、経験とは、年齢とは、いったい何なのか?

脳を掻き回されている間も、演奏は続く。
そしてあるとき、デタラメと言っていい大御所のケンの演奏と、珠玉のバック演奏との間に、ハーモニーが生まれる瞬間があることに気がつく。間違いなく偶然の産物なのだが、その希少性ゆえ、同時にとてつもない有り難みが沸き起こる。それは確かに、このバンドにしか醸し出せない、ひとつの幸福だった。

観る者の価値観を揺さぶる、という狙いがあったとしたら、十分過ぎるほどに果たしているこのバンドは、これからどこへ向かうのか、あるいはどこへも向かわず迷走を続けるのか、それはわからない。
しかし、いつどこであろうと、彼らがステージに立つとき、聴衆は必ず笑い、そして考えるだろう、どこまでも協和しない不快なメロディーの狭間に、自分が聴いているこの胸躍るものはいったい何なのかを。


ケンがデフォルメして見せたのが駄目な大御所なら、良い大御所とは何だろう。
自ら輝かなくなったとしても、人格と才知とで周囲を牽引し続ける人がいる。本来の大御所とは、そういった人のことではあるまいか。
蓄えた知恵を惜しまず社会のために使い、後進を導き、それによって世を明るく照らす。それこそが、わたしが考える本物の大御所の威光だ。
錆びついて腐りかけた棍棒を背中から抜いて振り回し、あとから来る者たちを脅かして反り返っているような者は、大御所どころか裸の王様の愛嬌さえ持たない、ただのヘドロだ。
この世には、そんなヘドロを神輿に担いでいる人たちもいる。臭いからやめて欲しい。

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