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あきらめるな! あきらめろ!

嫌になって放り出そうとすると「簡単にあきらめるな」と叱咤され、手放すまいとしがみつくと「あきらめが肝心」と諭される。何故だか、そういうものである。

考えてみると、「まだあきらめるな」は若い人へ、「もうあきらめよ」はそうでない人へ向けて言われることが多い気がする。 つまり ”あきらめ” には、人生の残り時間が大きく関わっているということなのだろう。
確かに、まだやり直しがきくうちは簡単に切り替えようとし、もうやり直しがきかないとなれば執着するのが人の心理だ。ところが一歩引いた目には、「先は長いのにもう放り出すなんてもったいない」し、「先は短いのにそんなものにいつまでも執着して時間の無駄」と映る。だから「あきらめないで」と励ましたくなり、「あきらめなよ」と肩を叩きたくなるのである。
とはいえ、わたしは「若いくせに」や「いい歳なのに」で始まる忠告など、右から左へ受け流しておけばいいと思っている。人生の残り時間など、本当は誰にもわからないのだから。

人生といえば、スポーツである。
誰もが勝利を目指し、しかし皆が思い通りにいくわけではなく、夢叶う人がいれば、夢破れる人がいて、追い続ける人がいれば、去っていく人がいる、それがスポーツの世界だ。
そこで活躍する選手たちの栄枯盛衰を、人は、種目名のあとに「人生」をつけて、人間の一生の縮図に見立てて眺める。
わたしがよく眺めているのは「相撲人生」である。

ここに、おそらく誰よりも多く「あきらめるな」と「あきらめろ」を言われ続けてきたであろう、力士がいる。2020年初場所を、十両優勝で飾った照ノ富士だ。今まさに「栄光と挫折、そこからの復活」というスポーツ・フルコースを、コンプリートせんとしている人である。

相撲を知らない人のため、簡単に説明しておくと、相撲は番付というヒエラルキーで成り立っている。
頂点は横綱(2020年初場所現在2名)、その下に三役と呼ばれる大関、関脇、小結(同各2名)がいて、その下に平幕と呼ばれる前頭(同34名)がいる。ここまでが幕内力士で、NHKが本場所中夕方4時から6時まで放送するのは、彼らの取組である。
しかし国技館では、朝8時台から相撲をやっている。それだけの力士が、下にはまだわんさかといるのだ。
幕内の下にくるのが十両(28名)で、関取と呼ばれるのはここまで。15日間の本場所中15戦の取組を闘うのも、この番付までである。以下は幕下(120名)、三段目(200名)、序二段(216名)、最下層が序の口(55名)で、場所中7戦を闘う。
力士たちは、一年に六回開催される本場所で、この700人弱という敵と闘い、勝ち越し(十両以上は8勝以上、幕下以下は4勝以上)を重ねることで、上の番付を目指していく。テレビで見る幕内力士たちが、どれだけの闘いを制してそこに立っているのか、考えると目がくらむ。

モンゴルから日本の高校へ相撲留学した照ノ富士は、2011年5月場所で初土俵を踏んで以来、序の口、序二段、三段目、幕下と順調に昇進し、入門2年後には十両に上がって、関取となっていた。そして、その後わずか半年で、幕内入りを果たした。2014年の、3月場所のことである。

わたしがはじめて彼の相撲を見たのは、その年の9月場所だった。番付は東の前頭筆頭(最上位)、西の筆頭には人気沸騰中の遠藤がいた。白鵬、鶴竜、日馬富士のモンゴル三横綱時代、大関も琴奨菊、稀勢の里、豪栄道の三人がしのぎを削っていた。
前頭時代の照ノ富士が負け越したのはその場所だけで、入幕一年後の2015年3月にはもう、小結を飛び越えて関脇に昇進。その場所でいきなり大横綱白鵬と優勝争いを演じ、残念ながら準優勝となったものの、近いうちに大関間違いなしと、注目を集めた。
そして翌5月場所、期待を裏切らず、みごと初優勝。大関に昇進した。
勢い止まらぬ翌7場所から11月場所まで、三場所をとんとんとんと勝ち越した照ノ富士には、当然のこと、綱取りへの期待が高まった。誰もが、次の横綱は彼だと思っていた。

しかし次の場所、2016年初場所四日目に、鎖骨骨折で途中休場。膝の古傷もあり、次第に影が差し始める。
3月場所は角番大関(負け越したら降格)で迎え、辛くも勝ち越したが、全体に精彩を欠いた。
5月場所、怪我を押して出場、13敗を喫して再び角番に。
7月場所、ぎりぎり白星8の勝ち越し。
9月場所、11敗の負け越しで、三度目の角番に。
11月場所、またしてもぎりぎりの8勝勝ち越し。
2017年初場所、11敗して四度目の角番に。
3月場所、こちらも負傷したまま出続けた稀勢の里との、優勝を争う壮絶な直接対決に敗れる。この死闘で、二人とも怪我を悪化させた。
5月場所、新横綱稀勢の里を加え、四横綱で盛り上がった場所。角番大関照ノ富士は、連敗スタートとなるも、大関陥落を恐れ、癒えぬ膝に無理をさせて出続けた結果、意地で追い上げ、白鵬との優勝争いにまで達する。結果は13勝2敗の準優勝。勝ち越しはしたが、怪我はさらに悪化した。
7月場所9月場所と続けて途中休場し、とうとう大関から関脇に陥落。
翌11月場所も途中休場となり、さらに平幕へ落ちる。

しかし、それが底ではなかった。
怪我だけでなく病にも襲われた彼は、2018年1月場所から翌年の1月場所までの一年の間に、幕内からも落ちてしまったどころか、かつて疾風のごとく駆け上がった道を、十両、幕下、三段目、そしてまさかの序二段にまで、一気に転げ落ちていったのである。

途中、親方には何度か引退を申し出たと言う。しかしそのたびに励まされ、落ちていきながらも、やめない道を選んだ。
その間どんな苦悩と闘っていたのか、想像もつかない。爪の先にかかっていた横綱が、ふいっとすり抜けていった瞬間を、何度夢に見てうなされただろう。あのとき無理せず休んでいればと、手術を受けながら何度後悔に悶えただろう。学生時代飛び級するほど成績優秀で、17歳で大学進学も果たしたという彼には、技術者として歩む道もあったらしい。その幻の人生に向かって、叫ぶ夜はなかったろうか。

落ちるところまで落ちたどん底で、彼は怪我を補うトレーニングを積み、病の治療のため断酒をする。
その成果は、2019年から徐々に表れ始めた。
3月場所、序二段優勝。三段目昇進を決める。
5月場所、三段目49枚目で迎え、6勝1敗の勝ち越しで幕下昇進を決める。
7月場所、幕下59枚目で迎え、6勝1敗の勝ち越し。
9月場所、幕下27枚目で迎え、6勝1敗の勝ち越し。
11月場所、幕下10枚目で迎え、全勝優勝。いよいよ十両、関取復帰を決める。
そして2020年初場所、十両13枚目で迎えての、13勝2敗、堂々の、十両優勝。
これがどんな希望をわたしたちに見せてくれているか、相撲を知らない人にも、想像するのは易しいと思う。

……とここまで書いたところで、豪栄道引退のニュースが流れてきた。長く大関を務め、照ノ富士とも何度も対戦してきた人だったが、今場所角番から負け越して、陥落が決まったところだった。

「引き際の美学」という言葉がある。耳心地のいい言葉だが、美しく引くとはどういうことかと問われると、すらっとは出てこない。
落ちていく姿を人に見せないことだろうか。勝ちに執着する姿を人に見せないことだろうか。いいや、落ちても頑張る姿や、がむしゃらに勝ちにいく姿だって、感動的に美しいはずだ。では、美しく引くとは何なのか。
そんなことを考えていたら、豪栄道が引退会見で発した言葉が報じられた。
「精も根も尽き果てた」と言ったそうである。
豪栄道の相撲人生は、本当に、命尽きて終えたのだ。

凡人のわたしには、彼らのように「◯◯人生」と呼べるもう一つの人生はない。「作家人生」という言葉もあるかもしれないが、まったくぴんとこないのだ。もっぱら頭を使う仕事なので、肉体の衰えに左右されるスポーツとは重ねられないからだろう。いや、重ねるのもおこがましい。
それでもわたしにも、わたし自身の人生がある。今、あきらめようとしているものもあれば、無駄とわかって手放せずにいるものもある。これでいいのか、毎日迷う。迷いながら、何年も時をやり過ごしている。そうする間に、頂点近くからどん底に落ちた一人の力士が、再び栄光を勝ち取ろうとするところまできてしまった。
彼の素晴らしさを讃えながら、実のところわたしはここで、己の情けなさを書いていたのである。

わたしは日本のGIベビーの肉親探しを助ける活動をしています[https://e-okb.com/gifather.html]。サポートは、その活動資金となります。活動記録は随時noteに掲載していきますので、ときどき覗いてみてください。(岡部えつ)