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神様

世界の神々を、入り用なときだけ都合よく召喚して生きてきたわたしにとって、神様との思い出は窮地の思い出である。”ありがたみ”より”つらみ”とペアである。神様を信じて日々祈っている敬けんな人たちからは、さぞかし不埒ふらちな人間に見えるであろう。

しかし、わたしが本気で神様にすがった回数は、さほど多くない。親しい人の病の快癒祈願の他は、ティーンエイジャー期の恋愛成就くらいだと思う。何故ならば、お寺や神社に行って賽銭を投げ入れ、鐘をじゃらじゃらと鳴らしたところで、よほどの辛いことがない限り、願いごとが思い浮かばないのだ。
だからたいてい、手を合わせてただ「こんにちは〜、お元気ですか〜」などとつぶやいている。

個人的な願いごとがないならば、世界平和などを祈ればよさそうなものだが、たかだか五円や十円でしていい祈りでもないと思うし、そもそもこの世に神様がいるならば、世界は常に平和なはずではないか、という矛盾が頭をもたげてしまうので、うまくいかない。

つまるところ、わたしは神の存在を信じていないわけだが、そのような不届きな考えがあらたまったことが、一度だけある。
それは、宇宙飛行士たちの中に、宇宙から地球へ帰還したのち宗教の道に進んだ人が少なからずいる、という話を聞いたときだった。
科学の結晶を駆使し、科学の成功を体現した人が、科学を捨て、真逆の世界に傾倒していったのは、まぎれもなく、地球から遥かに離れたどこかで、神の存在を実感したからであろう。それが一人や二人ではないというのだから、信憑性は高い。
かつて科学が神を殺したはずだったのに、科学が極まったら神が甦ったわけだ。

このタイミングで宇宙に行っていたら、わたしの人生は変わっていたかもしれない。しかし行かなかった。まったく惜しいが、あらたまりかけていた不届きな考えは、あっさりと不届きに戻っていった。
ただその後、映画や小説に触れるときに、これまで以上に神を「あるもの」とする考え方を意識するようになった。案外それを描いている作品がたくさんあることにも気がついた。そうした作品の作者がたいてい西洋人なのは、やはりキリスト教やユダヤ教という一神教の神が、宇宙飛行士の実感した神と同じ、この世を司るたったひとつの存在だからに違いない。とすると、イスラム教徒の作品もあるかもしれない。

今、宇宙開発はますます進み、民間企業が宇宙旅行を売る時代になった。あと何年かしたら、宇宙に出かけた観光客たちの中から、宇宙飛行士のように神を見る人が現れることになる。
そんな人たちが増えたとき、世界はどう変るのだろう。宗教を巡って繰り返されてきた戦争は、なくなるだろうか。それとも激化するだろうか。新たな宗教が生まれ、現在ある宗教が駆逐されるのだろうか。そうなった世界は、平和なのだろうか。

一方で、AI技術やバイオテクノロジーを推進している人間たちは、自ら神の領域に入ろうとしているらしい。新しい生命を作り出そうとしているからだ。
そのうち死なない人間が生まれる、という人もいる。そうなったら人間はどうなるのだろうと考えたら、いきついたのは「もう他に人間はいらなくなる」だった。
いずれこの世には、死なない人間が一人きりになる。
なるほど、それこそが神ということか。なかなか辛そうだ。

先日、良い相性の神社を教えてくれるという人から、わたしと相性のいい神社は「新宿の花園神社」だと言われた。
人生の中で最も多く行っていて、小説の中で描いたこともあり、つい先日も酉の市に行ったばかりという馴染みの名が出て、嬉しくなった。そう言うと、それも縁だと言い足された。
信心はなくても、三丁目やゴールデン街で飲むとき、ふらっと寄って「こんにちは〜」と挨拶しているわたしの神様は、まあまあ幸せそうである。

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