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彼は倫敦に住んでいるらしい。

 「忖度」という言葉は、もはや誰もルビを振るまでもなく読める言葉になった。とはいえ、この言葉が使われ始めた頃には、ルビを振るか否かで、編集者の中には、悩んだ記憶のあるひともいるかもしれない。

そんたく 10【忖度】
(名)スル
〔「忖」も「度」もはかる意〕
他人の気持ちをおしはかること。推察。「相手の心中を―する」

 知人のライターは、自称辞書マニア(事実、普通の大学生以上に辞書を持ち、使用していると思う)である。辞書の中には、その言葉の意味を調べるという本来の使い方に適した辞書の他にも、類義語を調べたりする類義語辞典なるものも存在する。なぜ類義語辞典を初め、多くの辞書を持つことになったのかと言えば、ライターの多くは、文字数や原稿用紙の枚数で仕事の発注が来るせいなのかもしれない。つまり、依頼された字数制限の中で「言いたいこと」や「伝えたいこと」をまとめる必要があるので、どうしても語彙は多いに越したことはないのだろう。例えば、ブルースであれば、5文字で済むが、ブルーズと表記すると6文字必要することになる。それならば、いっそのこと英語表記でBluesとしても5文字なので、本来の発音のまま、伝えようとしたいのならば、いっそ、Bluesにしても良いのかもしれない(アメリカでも南部ではブルーズ、それ以外ではブルースと発音しているように聞こえなくもない。あくまでも個人的見解だが)。

 ところで、Bob Dylanのことを今でこそ、ボブ・タイランと表記する人はいないだろうが、日本に漏れ伝えていた頃には、タイランと聞こえ、表記していたのを、故・中村とうようさんが現地で聞いたところ、どう聞いても、タイランではなく、ディランと聞こえたために、ディランと表記したという逸話を読んだことがある。先程の字数で考えるのならば、タイランは4文字、ディランも4文字なので、問題はないのかもしれない。そして、時が過ぎ、現在では、ディラン表記が当然のようになっている。できるだけ、事象を正確に伝えたいという気持ちとは裏腹に字数に制限があることは、雑誌などの媒体を制作するためには、致し方のないところではある。そのために、真意を伝えたいという気持ちを優先するのであれば、真意を変えない程度に同義語に変換することはよくあることでもある。そのような事情を踏まえても、前途の自称辞書マニアのライターが「倫敦」と書き、表記されたのには、思わず、苦笑せざるをえなかった。

 さて、読者の皆さんは「倫敦」をなんと読むだろうか。また、本来の意の通りに読めるだろうか。当然のこと、この漢字にはルビがふられたが(笑)。ところで、この漢字は、ある著名な日本のミュージシャンのニューアルバムの紹介で使用された。余談だが、このミュージシャンは、全世界的なミュージシャンからステージに呼び込まれた際に、HOTAIと呼び込まれたことがあった(少なくとも現場にいた僕にはそう聞こえた)。母国語のみならず、言葉を読んだり書いたりすることは実に難しいことだと改めて感じた一瞬でもあった。

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