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近代パティスリーの神は言った。僕は、2度厨房から逃げた!

僕は行列に加わる。質問されることもなく、誰でも入れてもらえた。そこは天井の低い、大がかりな食堂で、食卓とベンチがあり、、、二列になって待っている人もいる。誰も他の人に目を止めない。若者も年寄りもいたが、主に貧しい人で、特に16から18歳までの青少年が多い。後から僕は知ったのだが、彼らは占領された地域から自転車でやってきたのだ。ドイツ人なら捕らえられて工場や強制労働に駆り出されることを恐れて。
ドイツ文学の巨匠、アルフレート デーブリーンの 「運命の旅 」の中のこのくだりを読んだ時に頭をよぎったのが、近代パティスリーの神、ルノートル氏にインタビューした時、氏が語った一言である。”私は、過去に2回、厨房から逃げ出したことがある。その一回は、戦時中、ドイツ兵が、お前は腕がいいから明日ドイツに連れて行く!と言われた時だ”

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そう、ルノートル氏は当時、ナチスの占領下にあったノルマンディー出身。氏も、こんな風に自転車で知らない土地に逃げていたのかもしれない。
著者は、戦時中ドイツから亡命。フランスの市民権を得るが、フランスでも各地に散らばるドイツ兵の目をくぐり抜けながら、妻子と離散、再会を繰り返しながら逃亡。
サン=ジェルマンにあった陸軍の軍事工場も吹き飛ばされるパリから逃れ、ボルドー、ツールーズ、ル ピュイ、マンドと、時にはぎゅうぎゅう詰めの家畜電車に乗って、不確実な、そして流動的な戦時中を生きる。着いたところで、まずは収容所や避難所を探すのだ。それは学校の体育館だったり、ホテルの廊下だったり、古い家屋だったり。とにかくその日眠ることができればそれでいいという、そんな毎日。

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ルノートル氏が、着の身着のまま逃げ出した。置いてきた仕事は?その時、例えば、折り込んだフィユタージュがあったら、それは、いくつ目の折りだったのか?残ったパティシエが、残りの折り込みを完結しただろうか。私たちは、二つ折りするごとに、印をつけろと教えられたが、それは、あながち形式上のことではなく、緊急の対応ができるようにも必要なことである。と、これは一例ではあるが、そんなことに思いを寄せる。もっとも今は、自分で折るために忘れないように絶対印をつけているが。

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(この生地、冷凍庫から出てきました。いつ作ったのかわからない。でも、4回は折ったことがわかる)
この本の著者は、その後、スペインへ脱出し、ハリウッドへ亡命後、ベルリンへ帰還するが、戦火のフランスを彷徨う生々しい魂の記録は、衝撃的である。

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