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食べるチョコレート以前のチョコレートは、どんなものだったのか?

今年パリでは、コロナ後、普通にSalon du Chocolatが開催されたが、いないのは日本人だけとパリの知り合いからメールが来た。

そこで、ショコラに思いを馳せ、こんな本を読んでみた。

「チョコレートの歴史」(人類学者でもあり、食物史研究家、アメリカ人のソフィー・D・コウさんとその夫が著者)

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大航海時代にスペイン人によって発見されたアステカ帝国やマヤの民族は、カカオとどう向き合っていたのか?カカオは本当に南米で初めて見つけられたのか?などに言及しており、なかなか興味深い。

これを読んだ結果、
今まで私の中でのいくつかの謎や疑問が解けた。

謎その1.スペインにカカオを伝えたのは、コンキスタドール(征服者)フェルナン・コルテス(エルナン・コルテスとも)だというは本当か?

この本によると、その証拠となる文献はない。コルテスはアステカ(メキシコ中部で栄えた国)を1521年に征服し、スペインにたくさんの戦利品を持ち帰ったが、その中にカカオが含まれていたという記述はないそう。確実に明記されているのは、1544年、マヤ族(ホンジュラス、グアテマラ、メキシコ南部部の先住民)がスペインのフェリペ皇太子を訪問した際に泡立てたココア(750年に描かれた絵にもココアを泡立てているシーンが見受けられる。ココア=泡立てて飲むものだった!)を献上したということなので、これが初めてスペイン人がココアなるものを食した最初かもしれない。

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(カカオポットを割ると、中からカカオ豆が。白いピュルプに覆われています)

謎その2
現在私たちが食べている板チョコは、1828年、オランダのヴァン・ホーテンが、カカオからカカオバターとココアを抽出することに成功したことがきっかけとなり、イギリスのフライ社が1847年にココアと砂糖、カカオバターと混ぜて、世界で初めての食べるチョコレート、つまり板チョコを作ったと伝えられているが、では、それ以前のチョコレートとはどんなものだったのか?

以前の製造方法は以下
1, 鍋に入れて熱でカカオ豆を乾燥させる。
2, 別の容器に入れてふたをして2時間おきにかき混ぜる。
3, 翌日、石の上に乗せ、めん棒でおしつぶして殻をとる。
4, 鍋に広げて、石をあたためて、その上ですりつぶす。
5, 砂糖を加えてさらにすりつぶし、紙を使ってロール状にしたりレンガ状にしたりして
乾燥させる。

というもので、一応塊になっていて、船に乗るときなどに持ち運べたらしい。それを溶かしてココアとして飲んでいた。つまり、この時点ではカカオバターはカカオに含まれているだけこの塊に残っているので、乾燥させていたと言っても、パリっと割れる今の板チョコとは様子が違うと思います。

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(カカオの実は、木に直接なります)

このように、すでに1847年に板チョコが作られていたにもかかわらず、地中海に面した周囲から孤立した地域(南フランスやスペイン、イタリア)では、その頃でも昔ながらの石のメターテ(カカオを潰すための作業台)を使って仕事をしていたという。その多くはユダヤ系のスペイン人かポルトガル人だったとか。

そういえば、バスクに最初にチョコレートアトリエを作ったと伝えられているのは、スペインから亡命したユダヤ系のポルトガル人だったらしいので、彼らはこの作業に長けていた!とつながりました。

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(カカオ豆を乾燥させている。コロンビアにて)

以下はおまけです。

1.ヴァローナのマンジャリって、サンスクリット語で花束っていう意味だそう。その華やかな香りから?

2.Jean-Paul Hevinのケーキにグアヤキルという名前のチョコレートケーキがあるが(今年はそのクリスマスケーキも)、そもそもグアヤキルとはなんぞや?
それはですね、南米エクアドルの都市の名前。18世紀にスペインに運び込まれたカカオ豆は、この地からのものがほとんどということで知られている。大量生産がかなった土地らしい。イコール、それらは希少なクリオロではなくフォラステロ種ということになります。

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*カカオ豆の種類には、大きく分けると3種類ある。希少なクリオロ種、多産なフォラステロ種、これらの掛け合わせのトリニタリオ種です。

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