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私が英語の勉強をやめた理由

 多くの方々が英語の学習に邁進しているなか、私は数年前から英語の勉強をやめました。

 語学の勉強というのはキリがありません。どんなに時間も労力もかけても結局はネイティブのレベルに達するのはほとんど不可能なのです。

 私は現在マレーシアに住んでいますが、今後も欧米に住む予定はないので、彼らのレベルに達する必要性はそもそもありません。それどころか、アジアで生活していく上では適度に英語を話せる程度でよろしく、最も重要なのはそれ以外の言語なのです。

 そもそも英語を勉強したのは、みなさんと同じく中学、高校、大学受験のときです。特に大学受験のときの代ゼミの英語講師の影響はいまでも強く、先生がいなければ英語はできなかったと思います。

 それ以降も英語の勉強は細々と続けては来ました。しかし、アジアで生活し、ある程度のレベルに達すると「もういいか」と思うようになったのです。ただ、「メンテナンス」は必要なのですが(これについては別途書きます)。

 マレーシアは准英語圏の国ですが、欧米で話されるほど洗練された英語ではありません。マレー語や中国語の影響も大きく、初めて聞く方は理解できない方がほとんどです。マレーシアの英語の全体的なレベルにすると、日本の英検でいえば、英検3級あたりでしょうか。となると、そのレベルで事足りるので、そこまでのレベルがあればそれでいいということにもなります。

 日本の英語の参考書には多くの問題集や会話の本があります。私もいろいろな本を買って読んでみましたが、あるとき「そもそもマレーシアで使われる表現ではない」ということに気づきました。

 欧米では聖書やシェイクスピアの名言を会話に織り込ませて使うと知的に見えてかっこいいのですが、マレーシアではそもそもイスラム世界なのでこういった名言は使ったところで理解できないし、知っていたとしても彼らに響かないのです。

 イギリス英語をきれいに話すマレーシア人はいますが、それはほんの一部。かなり崩れた英語を使う人が主流で、欧米の本格的な英語を身に着けていてもほとんど意味がありません。例えば、時制は完全に崩れます。過去も現在もごっちゃになるので、「過去完了」や「未来完了」などという概念は吹っ飛んでいます。冠詞の使い方もぐちゃぐちゃ、というかほとんど跡形もなく削られてしまうので、欧米の英語の頭で聞いているとわからないことだらけになります。以前、アメリカで育った日本人の方に聞きましたが、「ここにいると英語のレベルが落ちるよ」と嘆いていました。

 マレーシアだけでなく、シンガポールやタイ、ベトナム、フィリピンでも崩れた英語で発音も現地化した英語が多く、そこそこの英語が話せれば生活はこと足りるのです。地元の英語話者があまり良く知らない表現を使ったところで通じません。

 こういった理由から英語には極力、勉強をしない、力を入れないことにしました。すでに一定のレベルに達したので。日本的な英語もそこそこ通じますし。

 逆になにかを勉強する時間があるのであれば、アジアの場合では現地語を身に着けたほうがより効果的でしょう。特にマレーシアではマレー語やインドネシア語のほか、北京語、広東語、福建語、客家語、タミール語などが日常会話で使われています。英語が多少分かって、これらの言葉を勉強していったほうが職はあるし、楽しい生活も送れるのです。
 
 語学もそうですが、例えば、英語を身に着けて何をしたいのか、そしてどのレベルを目指すのかというところが肝心です。

 以前に日本の大学生が「英語のレベルを上げたい」と言っていて、「どのレベルが目標なの?」と聞いてもまともに答えられません。どうもネイティブ並が必要と思っていたらしいのですが、そもそもそこまでのレベルは何のために必要なのでしょうか。

 欧米人並のレベルに英語を身に着けたいのであれば、欧米にいったほうがいいですが、そもそも「それも何のためだろう」ということを自身に訊いてみないといけません。アジアで生活することを決めるのであれば、英語にそんなに力を入れず、ほかのことに集中したほうがいいでしょう。

 ただ、中学高校程度の英語のレベルは必要です。日本人向け海外就職のサイトで「マレーシアでの仕事では英語が不要または不問」と時折見かけますが、それはありえなく、やはり高校程度の英語力は必須です。逆にそのレベルさえあれば、仕事があり、生活も十分できるということなのです。そんなに英語ってがむしゃらにやらずとも、アジアでは生きていけるのです。

(写真:ベトナム・サイゴンの町並み)

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