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定価格の社会 コンビニのおかげ?

 近年、マレーシアをはじめアジア各国では品物の定価格が一般的になっています。これはどうしてでしょうか。

 僕がアジアに来始めた20年前、世の中の価格というのはあってないようなものでした。

 タクシーに乗れば、メーターは倒さずに言い値を言ってくる、市場に行けば値段の交渉をするのが当たり前。屋台でも値切ればどうにかなった記憶があるし、レストランでも交渉の余地がありました。値切り交渉は何かアジアでの共通の決まりごとという感じがあったのですが、ここ10年ほどはどこかで値段の交渉をして割り引いてもらうという行為がなくなったと思います。

 それはどうしてでしょうか。

 先日、下川裕治さんの『アジアの友人』を読んでいたら、「アジアの二重価格は正しい!?」という記事がありました。この本の出版は1999年。なかなか示唆に富むお話が多いのですが、ここではローカルと日本人との間に二重価格があるというお話し。下川さんは、

 ほしいものが手に入るという利便性がひろまっていったが、アジアのコンビニにはもうひとつの要素が加わっていた。それは定価販売という概念だった。僕はさまざまなアジアの街でコンビニを利用しているが、あのカウンターで値切っているアジア人を見たことがない。彼らは品物に貼られた価格で素直に買っているのである。彼らにとって、コンビニは、値切りには一切応じない所、という認識が定着してしまったようなのである。

 この指摘はハッとさせられたのです。
 
 セブンイレブンがマレーシアに進出したのは1984年で、本格的に全国に展開し始めたのはここ20年ほど。今では全国に1000店舗ほどが展開しています。また、サークルKというコンビニのほか、最近では日本のファミリーマートも進出。全体的に日本のコンビニとはだいぶ違いますが、それでもかなり社会の中に浸透しています。僕がマレーシアに来た頃から各地にでき始めたため、徐々に値引き交渉というのがなくなってきた時期と重なるのです。コンビニの浸透とともに社会全体で固定価格の概念が浸透していったのではないでしょうか。定価格の概念が社会にも浸透していったためでしょうか、そこでは下川さんが指摘するように確かに値切っている人を見たことがありません。数年前にハイパーマーケットで「割引はしません」という手書きの看板をみたことがありますが、そのときはスーパーでも割引を求める人がいたのでしょう。

 さらに、最近は新型コロナの影響でオンラインでの販売が主流になり、プラットフォームでは定価がしっかりと記載されている。配車サービスのGRABでも先に料金が掲示され、みなそれに納得した上でオーダーのボタンを押しますが、そもそもプラットフォームの中に「値切る」というボタンはなく、もはや「値切る」という行為自体は封殺されてしまったような気がします。

 昔のアジアでの買い物はある意味で値切るという行為が楽しかったのです。しかし、もはやそれがほとんどなくなったということは、店員と顧客のコミュニケーションが少なくなったということも意味します。買い手は割り引いてほしいためにしつこく割り引きを要求しますが、売り手はその商品を理解しているため、そのメリットなどを滔々と説明したりする。ある意味で「知的なやりとり?」が面白かったりもしたのです。今は、客がディスカウントを求めるよりも売り手がどちらかというとその時の事情に応じて割り引いて大大的に売るようになり、その価格に納得すれば買い手が黙って買う。値切りをする人が逆転してしまったのです。

 定価格は確かに買う側としてはラクです。納得すれば、そこでお金を出して買うだけで、店員との会話はいりません。タグの金額をみて「あっちのほうが安い」ことを発見したら、黙ってその店に行って買えばよろしく、買い手はもはやそこで値切る必要もない。

 この値切り行為がなくなって果たしてよかったのか悪かったのか。僕にはその判断がつきません。ただ、昔旅行していたときのことを思い出すと、値切りも旅の醍醐味の一つであったと思います。

 この現象はマレーシアだけでなく、インドネシアもタイもベトナムもカンボジアでも同じ。昔ながらの伝統的な市場は今も一部には健在ですが、値引き交渉はおそらくこういった一部でしかもうお目にかかれないのかもしれません。そういった意味でもこのコンビニの存在はアジア社会に大きな影響をもたらしたといっていいでしょう。

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