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総選挙直前 マレーシアの政党を紹介 2

 前回は統一マレー人国民組織(UMNO)についてご紹介しましたが、今回はその他の主な政党です。
 
 UMNOと独立以前からいっしょに行動しているマレーシア華人協会(MCA)とマレーシア・インド人会議(MIC)はここでは省略します。この2政党は確かに歴史的に非常に重要なのですが、現在は国民の信用をほとんど失っており、議席数も1~2議席と小さいからです。ここではその他のより大きい勢力の政党を紹介します。

 2018年の政権交代以降、野党が与党になり、その後にその与党が再び下野するという事態が発生しています。政党が乱立しているため、今後も同様の事態が頻繁に起こるのではないでしょうか。今回は次の3党をご紹介します。
 
 ・全マレーシア・イスラーム党(PAS)
 ・民主行動党(DAP)
 ・人民正義党(PKR)
 
全マレーシア・イスラーム党(PAS)

PASの旗

 上記のなかで最も古いのはPASです。PASは1951年にイスラーム教を党是とし、まだ独立していないなかでマレー人の保護などを目的として設立されました。

 この設立された年は重要です。前にお話したように、統一マレー人国民組織(UMNO)の創設者ダトー・オン氏が「独立にはマレー人以外の民族と協力が必要」と認識したことから党員を他民族にも拡大しようと試みました。結果的に失敗しますが、PASが出現した理由はこのことが原因でもあるのです。

 PASはマレー人保護とイスラーム主義を標榜。このため、PASができた当初はUMNOとPASの二重党籍の幹部も多く、両政党の区別がいまいちはっきりしなかったのです。

 1955年には立法会議議員選挙がありました。52議席を争う独立に向けた大変重要な選挙でしたが、結果はUMNO中心の「連盟党」が51議席を占めた一方、PASは残り1議席を確保したのみでした。

 独立後の下院総選挙でも一定の議席を取り、野党として活動する一方で、イスラーム色の強いクランタン州やトレンガヌ州では州議会で長年過半数を制していました。

 そして、1969年の人種暴動がきっかけで、連邦政府は政治的な安定をまず目的として1973年にできた国民戦線(BN)にPASを取り込みます。ここで注意しなければならないのは、PASは設立当初から1971年までは政治活動以外の活動もしており、「全マレーシア・イスラーム協会」という名称でしたが、政治活動に特化するため「全マレーシア・イスラーム党」と名称変更したことです。暴動がきっかけでマレー人の国内での政治的な位置に危機感をもったことがきっかけだったのではないでしょうか。

 しかし、BNのメンバーとなったのも束の間です。1977年にPASのお膝元であるクランタン州議会で州首相の選定をめぐってPASはUMNOと対立。連邦政府は同州に非常事態宣言を発令して、事態収拾に動きましたが、結果的にPASはBNを離脱しました。

 また、1978年のイラン革命にPASの幹部らの多くは共鳴し、PASはマレー人のための政党というよりもイスラム教徒の政党という性格がこの頃から強くなっていきます。以後、党幹部に宗教指導者が増えていったのはこのためです。

 PASはその後、国政で野党が続きました。1980年代にはイスラーム国家の設立を正式に党是とし、急進的な方向に向かい、国民からの支持を失ったこともあります。この党是は現在も変わっていません。

 1998年のアンワル副首相(当時)が解任・逮捕がきっかけで、PASは画期的な政治的役割を担います。それは華人系の支持者が多く、世俗的な民主行動党(DAP)と協力関係に入ったことです。水と油の関係だった両党が提携したことに国民は驚きました。日本で言えば、自民党と共産党が連携するようなものです。

 この協力関係は与党・国民戦線に対抗して「代替戦線」として形成され、野党が提携したのは史上初。アンワル氏が設立した人民正義党(PKR)も加わり、1999年の総選挙でPASは史上最高の192議席中27議席を確保したのです。BNに取られていたクランタン州の州政権を奪取したのもこのときです。

 「代替戦線」は2004年に解散しますが、2008年には野党連合の「人民同盟」(PR)が結成されます。これには上記の3党のほか、一時期、サラワク国民党(SNAP)も参加していました。

 しかしながら、この野党の同盟は一筋縄ではいきません。何せイスラーム国家を目指すPASと世俗的な政党DAP、そしてリベラルなPKRというイデオロギー的には左翼と右翼がいっしょになっており、2015年には野党の政治協力は破綻します。

 2016年に他のイスラーム政党とPASは連立を組み、「繁栄のアイデア」を創設。2018年の総選挙ではトレンガヌ州の州政権を奪還します。

 2020年にはUMNOと「国民合意」という政治協力に入りました。実態はよくわかりませんが、マハティール政権が崩壊した後で与党入り。この前後でムヒディン氏が主導して創設した「国民連盟(PN)」にも参加し、2022年総選挙前まで与党として活躍してきました。

 一貫して華人とどう折り合いをつけるかというところが党のジレンマ。華人の間にも勢力を拡大させたいものの、イスラーム色が強いイメージが浸透してしまっているので、穏健なマレー人のなかでも毛嫌いをされる政党です。
  
民主行動党(DAP)

DAPの旗

 DAPは1966年に正式に創設されました。設立者はマラッカ出身のインド人、デヴァン・ナイール。戦後にシンガポールで活躍し、1954年にリー・クアンユー下の人民行動党(PAP)に参加。その後、マレーシア連邦が結成されると1964年の下院総選挙でクアラルンプール・バンサー選挙区から出陣してPAP党員として唯一議席を獲得します。

 シンガポールは1965年に分離しましたが、彼はマレーシアに滞在。PAPのリベラルな思想を引き継いで、マレーシアでDAPを設立しました。DAPが「シンガポール系の政党」とときおり言われる所以はここにあります。彼はその後にシンガポールに移り、シンガポール議会議員になります。1981年には第3代シンガポール大統領に就任しています。

 DAPは社会民主主義の確立を目指すほか、民族間の公平性や多文化主義を掲げて、マレー人優遇政策の廃止や均等な教育を求めています。党員はさまざまな民族が入っていますが、華人が主です。DAPは世俗的でリベラルな有権者からの支持が多く、都市、沿岸地域、中産階級、労働者階級の有権者から安定した支持を得ています。党の拠点は主にペナン、ペラ、スランゴール、ヌゲリ・スンビラン、ジョホール、マラッカ、クアラルンプールです。

 DAPは社会民主主義を党是としていることからも連邦政府とは一線を画し、一貫して野党の立場でした。2008年の下院総選挙ではペナン州でDAPが参加する連立政党「人民同盟」が過半数を取りました。そのなかでDAPは最多の得票数であったことから特に同州ではDAPが強い地域です。

 1969年に同党から下院議員として当選した林吉祥(Lim Kit Siang)は1999年から党首となり、2022年までDAPを率いてきました。これまでに2回逮捕されていますが、2018年の総選挙では息子の林冠英(Lim Guan Eng)幹事長とともにマハティール氏を担いで政権交代を実現させました。DAPはこの後に説明するPKRなどと「人民同盟」を発展させた連立政党「希望同盟(PH)」とともにそれまでの与党に対抗。2018年の総選挙では42議席を勝ち取り、2020年以降は最大政党として存在感を出していました。

 しかし、2020年にマハティール政権が崩壊してからは再び野党に転じ、PKRと協力しながら現在選挙運動を展開しています。

 
人民正義党(PKR)

PKRの旗

 1999年に当時のアンワル副首相が解任・逮捕された後に社会的正義を全面に打ち出して創設された政党がこの政党です。アンワル氏の妻、ワン・アジザ氏が国民正義党(PKN)を結成し、同年の総選挙では5議席を獲得しました。

 2004年には社会主義のマレーシア人民党(PRM)と合併して、人民正義党(PKR)と改名します。PKRはマレー人が多くを占めますが、党員の加入はUMNOとは違ってどの民族にも開かれています。先のDAPも民族や宗教に関係なく党員になれますが、華人政党とのイメージが強く、華人やインド人の支持者が多くを占めます。この点でPKRはマレー人が中心の多民族党員を許している唯一の政党ともいっていいでしょう。

 党是は社会正義と反腐敗に重点を置き、マレー人優遇策として有名な「ブミプトラ優遇政策」の廃止、貧困撲滅、民族間の経済的不均衡の是正といった綱領を採択しています。

 PKRは2008年の総選挙で31議席を獲得。スランゴール州やペナン州での得票率が多かったのが特徴で、UMNOに嫌気を刺した有権者が流れていった結果でした。スランゴール州議会ではPKRが過半数を制し、同州で初めてUMNO以外の州首相が就任しました。もともとPKRはUMNO出身の幹部も多く、行政手腕は素人ではありません。

 アンワル氏は2015年に二度目の同性愛容疑で起訴され、有罪となってしまったことから妻のワン・アジザ氏が主に党を取り仕切っていました。政権交代が実現した2018年。再び政権についたマハティール首相がアンワル氏を恩赦として国王に進言し、その年の8月には恩赦を受けて釈放され、9月にはヌグリ・スンビラン州ポート・ディクソン選挙区の議員がアンワル氏のために辞職し、ここで立候補して下院議員に当選して、政界復帰しました。

 PKRは2018年の総選挙で48議席を獲得しました。DAPなどとともに「希望同盟(PH)」を率いてきましたが、2020年にはアズミン・アリ議員らが離党し、36人まで激減。このため、PHを首班とするマハティール政権が崩壊し、PKRも下野しました。

 マハティール氏はアンワル氏を次期首相として「指名」していた次期もありました。しかし、いつの間にかその指名もうやむやになり、PKRから多くが離党。党内をしっかりと固められなかったことから「指名」を「解除」したのかもしれません。

 
 上記に挙げた3政党は今後もマレーシア政界で要となる政党です。19日投開票の総選挙でどれだけ議席を取れるかが注目されます。

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