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伊勢 田辺城

三重県いなべ市にある、ミステリアスな城跡。

築城したのは、木造長政(こづくり ながまさ)という武将。父は伊勢国司をつとめた、北畠家の第7代当主「北畠晴具」の三男。晴具の命で、木造家の跡を継ぎ、分家の木造家の当主となりました。

織田信長が伊勢国に侵攻してきた時、長政の父は信長に仕え、その後、信長の次男、織田信雄の家老となりました。息子である長政も、信雄に仕えていました。

時が経ち。。。小牧長久手の戦いで、信雄が秀吉と和解すると、長政は、それまで居城としていた戸木城(へきじょう 現在の津市にあった城)を廃城とし、信雄から与えられたいなべに田辺城を築城、新たな居城としました。

ただ、そのわずか4年後、秀吉による小田原出兵のため、長政は田辺城を出て、そのまま戻ることはなく、田辺城はそのまま廃城となりました。

ちなみに木造長政は、関ヶ原の戦いの後、福島正則に仕えたようです。

田辺城の本丸は、高さ約3メートルの土塁と深さ約5メートルの堀に四方を囲まれていて、今でもその痕跡はハッキリと残っています。

去年の秋、発掘調査の現地説明会が開催され、87名の参加があったそうです。「大きな土塁や堀を見て驚いた」「城を守るための構造を見ることができて興味深い」などなど、声が寄せられたとのことです。戦国時代の雰囲気がそのまま残る田辺城に魅力を感じる人がたくさんいらっしゃるんですね!

ただ・・・。時代の流れとはいえ、とても残念なことに、本丸北の屋敷跡は、高速道路の工事で整備されてしまいました。それでも、井戸が残っていたり、外堀、内堀、土橋、土塁等が綺麗に残っているので、城好きな人には「訪れる価値あり!」とのこと。

ちょっと面白いのは、入り口にある模擬の門。そこに、タヌキの置物が置いてあります。城内を歩いて行くと、いたるところにタヌキやイノシシなどの置物が置いてあるようです。いつ、誰が、何の目的で置いたのか・・・?

わずか4年で役目を終えた、謎多き田辺城。謎はさらに深まります。

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