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菰野町の僧兵まつり

比叡山延暦寺の焼き討ちを調べている中で、僧兵という言葉が出てきました。そして思い出したのは、三重県菰野町で開催される「僧兵まつり」。毎年10月に開催されていますが、2020年はコロナの影響で中止になりました。この「僧兵まつり」について調べてみました。

菰野町の湯の山温泉にあるお寺、三岳寺(さんがくじ)。平安時代初期、最澄によって開かれました。当時は湯の山ではなく、鈴鹿山脈の国見岳にあったのですが、織田信長による比叡山焼き討ちの3年後、信長の命により、ここも焼き討ちにあいました。数百人もの僧兵たちが勇敢に戦ったのですが、三岳寺だけでなく、伊勢国にあった数多くの寺院が消滅してしまいました。その後、江戸時代に、菰野藩三代目藩主の土方雄豊が、現在の場所に薬師堂を建立したことにより再建、比叡山の支配下の寺となりました。

菰野町で毎年開催される「僧兵まつり」は、この焼き討ちで勇敢に戦った僧兵たちの勇姿を、今に伝えるために行われています。

僧兵の装束に身を包んだ男たちが、600kgにもなる大きな神輿に松明を100本ほど付けて練り歩く火炎神輿は、三重県下最大の炎の祭典とも言われています。その火炎神輿に先立って、綺麗に飾られた、女性だけの「かえでみこし」も練り歩くそうです。

ちなみに今は、こんな折り鶴伝説によって、恋結びの寺となっています。

「江戸時代、上方の大店の一人娘と使用人の男性が恋に落ちました。でも、身分の違う二人。結ばれぬ恋に思い詰め、「この世で添い遂げられないなら、せめてあの世で・・・」と湯の山にある滝に身を投げようとしました。すると一人の僧兵が現われて、「温泉にでも浸かれば気持ちが変わるかもしれんぞ」と励ましました。二人が温泉に入ると、なぜか気持ちがほんのりと溶けていきました。翌朝、その僧兵にお礼を言おうと三岳寺に行きましたが姿が見当たらず、せめてもの感謝の気持ちとして鶴を折り、寺に奉納しました。すると折り鶴はひらひらと空を舞いました。            それから数年後、幸せになった二人は、三岳寺を訪れ、住職にその話をしますが、もう寺には何十年も僧兵はいない・・・とのこと。あの僧兵はいったい・・・・。」

今でも、永遠の愛を誓って、折り鶴を奉納する恋人たちが多く訪れているそうです。


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