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おばあちゃん、ありがとう

先日、祖母が亡くなりました。

喪失感が大きくて、寂しくて、悲しくて、
でも気持ちが少し落ち着いて来たので投稿させて頂きます。

このような投稿に良くない思いをされる方がいらっしゃいましたら
申し訳ありません。

***

「なんとなく、いつもと違う感じがする。」
そう叔母から連絡があり、数時間後には新幹線に乗り込んだのですが、
その途中、祖母が亡くなったとのこと連絡を受けました。

連絡を受けた瞬間は、「亡くなった」という5文字が頭に入ってこず、
少し経ってから、最後に会うことができなかったことを理解しました。

おばあちゃんに会ったら何を話そうか、
弱っていたとしても泣かないように気を付けよう、
とばかり考えていたので、まさかの現実を受け止めることが難しかったのです。

病院に着くと、祖母は私の想像以上に小さくなっていて、
でも安らかに眠っていました。
9月の敬老の日の時にプレゼントをしたブランケットがおばあちゃんの膝までかけられていて、病院でも大切に使ってくれていたことを知りました。

祖母が癌の治療を辞めたのはほんの数週間前。
「辛い思いをせず、家族が眠る天国へと行きたい」との本人の意思で治療を辞めたのですが、周りが思っていたよりも早くに祖母は逝ってしまいました。

祖母は本当に強いです。
癌だと分かって、自分の命が長くないと知った時、辛かったことでしょう。
私には、その気持ちに寄り添えても、それを理解することはできません。
でも、その辛さを受け入れて、自分の人生を振り返り、周りの人に感謝をし、「自分は幸せだったのだ。もうやり残したことはないのだ。」と言っていました。

まだ話ができる時に、祖母は私に言いました。
「あなたはとっても幸せね。若くて、周りにも恵まれていて、優秀で、素敵な人と結婚をして、仕事もかっこよくできていて。そして、何よりこれから楽しいことが沢山待っているのだから。おばあちゃんは、あなたがとっても羨ましいわ。」

このように電話口で言う祖母に、私は必至にバレないように涙しました。

その時の私は、祖母と比べてしまうとどうしても自分の人生を精一杯生きている実感が持てなかったからです。

まだまだやりたいことが沢山あって、でも長くはない祖母。
やりたいことが良く分からなくてモヤモヤした日々をなんとなく過ごしているけど、将来が待っているであろう自分。

こんなふうに思ってしまい、
祖母に対して何故かごめんねの気持ちが溢れてしまったのです。

エネルギッシュでお喋りで、
お洒落でキラキラと明るくて、
そんなおばあちゃんの身体は、病院から家に運ばれ、葬儀場に運ばれ、
なんだかどんどんと小さくなっている気がしました。

でも、悲しさに負けず、おばあちゃんをみんなで囲って話していると、
自然と口角が上がってちょっと笑っているようにも見えました。

「おばあちゃんは、孫には老いた姿を見せたくなかったんだよ。おしゃれで元気な姿を記憶していたままでいてほしかったんだよ。」と親に言われ、
納得してしまいました。

おばあちゃんらしい、最後の時だったのかもしれません。

私のおばあちゃん像は、
明るくて元気でいつもお洒落で素敵な女性です。

祖母の一生に恥じないように、
私も毎日を大切に生きていかないといけませんね。

人の命は本当に本当に尊いです。
人生なんて長いようで短いです。
精一杯好きに生きた者勝ちです。
やりたいことがあるなら、やった者勝ちです。
感謝は人に伝えられる時に伝えるべきだし、
笑顔でいることをもっと大切にするべきです。

おばあちゃん、
どうか天国から私たちを見守っていて下さい。
たまにお話ししにお参りに行くからね。

おばあちゃん、ありがとうね。


サポートいただきまことにありがとうございます。 読者の方の日常を少しでも彩ることができるよう、精進して参ります。 引き続き、よろしくお願いします🍀