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幸せにならなければいけないという呪縛

はじめに

私は物心ついた頃から、自分は将来幸せになることができる自分は将来幸せになるべきであると心のどこかで漠然と思ってきた。

勉強だって運動だって特技だって、突出して自分に自信のあることはなかったと思うのだけれど、なぜか「将来幸せになれる」という自信は不思議と持っていたし、「自分は幸せになるべくして生まれてきた存在なのだ」と思っていたのだ。

理由

そう思わせた大きなきっかけは恐らく障害のある弟の存在であろう。

どうしていつも家は騒がしいのか、どうして自分の教科書に落書きをされるのか、どうしてお母さんと一緒に出掛けることができないのか、どうしてお父さんは弟に怒るとこんなにも怖いのか、

幼いながらも、世の中の不条理の存在をしっかりと感じとってしまう瞬間が多々あった。子供は本来もっと自由にきままに我儘にしても良いのだが、私にはそういうことができず、ある意味大人に早くなってしまった子供であったのだ。

だからこそ、大人になって社会に出て自立して家庭を築いたら、そんな不条理から逃れられて幸せになれると思っていたし、冬来たりなば春遠からじ的考えが染みついていて、辛い経験をしているからこそ、その分自分は将来幸せになるべきなのだと思っていた。

生い立ちを簡単に振り返ってみる

幼稚園生以降を振り返ってみよう。

幼稚園ではあまりネガティブな記憶がないから、それなりに楽しい日々を過ごしていたのであろう。年長のお遊戯会では、白雪姫の劇で主役の白雪姫を演じた。クラスメイトと先生からの推薦で白雪姫をやることが決まった覚えがある。その時は嬉しかった記憶があるので、昔はそれなりに目立つことを好いていた子供だったのかもしれない。ただ、本番で少しミスをしてしまって、両親が記録にと撮ってくれたビデオを見返すことがとても嫌だった。

小学生の6年間は、私にとっては暗黒時代であり、あまり楽しかった思い出はない。特に、小学校中学年の頃は、たまに仲間外れのようなことをされていた。モテていた男の子が私のことを好きだという噂が流れ、私が女子から仲間外れの的となったのだ。陰口をたたかれたり、直接からかわれたりで、それが結構嫌だった。また、当時の担任の先生と馬が合わなかったのか、先生とは全然話さない、かつ、引っ込み思案な子だったので、担任の先生が保護者面談の時に、「何を考えているか分からないような子」と言われたらしく、そう見做されたことがとても嫌だった。そのため、一貫して小学校には嫌々行っていた子供であったと思う。

中学と高校は自由を重んじる女子校だったのだが、多分このあたりから徐々に学校に行くことがそこまで苦ではなくなっていった。学校との相性が良かったのだと思っている。中学2年生あたりは、クラスメイトに馴染めていない感覚があり、あまり良い思い出はないけれど、それでも中学から高校までの6年間はわりと楽しい日々を過ごせていた。たまに、仮病を使って休んだ日もあったり、(小学校の苦い思い出からか)クラスで浮いた存在になっていないかビクビクしていた時もあったけれど、本当に心置きなく付き合える友人関係もここでは沢山培えた。

そして、大学生活は学校生活で一番楽しかった。
自分の好きなように過ごせて、周りの人といつも一緒に行動をしていないと何となく変な目で見られるような雰囲気もなく、自分の世界が広がっていて、毎日なんとなくだが充実した日々であったと思う。

私はただ単純に、いつも誰かと一緒に行動することが苦手だったのだと思う。そして、自分が浮かないようにと、周囲から自分がどう見られているのかを気にしすぎていたのだと思う。

そして、社会人になり、もっともっと充実した毎日になった。
直近数年は置いておいて、社会人になって数年なんかは会社に行くことが楽しみだったりわくわくだったりしていた。

友人との会話で、「いくつくらいの時が一番楽しかったか?」という話をすることがある。「小学生の時なんて、何も考えず、ただただ楽しい学校生活だったな」というようなことを聞くことも多いが、私は断然人生の後半戦が楽しかったなと思っている。

大人になって分かったこと

大人になるにつれて分かってくることもある。

社会人になって、仕事面において言うと、自分の幸せを掴みとることって相当難しいのかもしれないと思うようになった。現段階では、まだまだ自分が思い描いていた理想の自分にはなれていない。

社会人になって6年目。
これからも長い社会人生活が続くといえども、なんとなく社会で働くとはどういうことかが自分なりに分かってきていて、年月があれば自分の理想になっていくのかといえば、そんな確証なんて全くない。

家庭面について言及すると、私は一昨年結婚もした。幸せな家庭を築くことを思い描いてきたけれど、日常生活を送っていれば、大なり小なりトラブルや喧嘩は付きものだ。その度にへこんで落ち込んで、自分の幸せな家庭像を築くことは容易なことではないかもしれないと落ち込んでしまう時だってある。

仕事面でも生活面でも、色んなことを鑑みて、自分で自分の期待に応えられていない気がしてならず、そのギャップに苦しもがいているのかもしれない。

幸せとはなんぞや

じゃぁ、幸せとは一体全体なんぞやについて。

別に、幸せが何かもあまり分かっていないのだけれど、本当に心から愛せて安らげる家庭を築けていて、自分の裁量でできてやりがいの持てる仕事をもてていて、キャリアアップも常にできていて、親孝行も十分にしていて、地位や権力もあって、外見も綺麗で、心身共に健康で、友人にも囲まれ、周囲の人に優しさを配れていて、平穏な毎日を暮らしていて、旅行にも沢山行けて、美味しいものを食べられていて、自分は存在するだけで価値があると思えていて、

そんな状態であれば幸せなのかな、と思いつつ、そんな「幸せ」とは、相当ハードルが高くて、人生における幸せのハードルを無意識にでも高く設定してしまっているからこそ、現実世界で生きているうえでギャップが生じて、その結果自分で自分の首を絞めているのではないかということに気が付きつつあるのだ。

もっと「幸せ」に対するハードルを下げてもいいのだと思う。それ以上に、そこまで「幸せ」に固執しすぎず、「自分は将来幸せになることができる」、「自分は将来幸せになるべきである」というような抽象的でよく分からない考えも、一旦手放してみて良いのだと思う。

おわりに

最後に一言。

そんな呪縛から少しでも自分自身を解放して、自分らしく、自分を大切に、一つ一つのことを幸せであると感じられるように、もうちょっと気楽にワクワク生きていきたいな、とふと考えている今日この頃です。


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