適応障害初期(急性期)のはなし
前回の投稿に引き続き、今回は適応障害初期のお話しです。
症状初期のことを、「急性期」と言いますが、私がこの急性期にどういった症状が出ていたかについて共有させていただこうかな、と思っています。
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適応障害と診断を受けたのが昨年の夏頃だったのですが、1番最初に現れた症状としては“寝ることができなくなる”でした。続いて、倦怠感や発熱(高くとも37.5度の微熱)があったのですが、その後、どういうような状態だったかを振り返ります。
診断を受けて最初の3ヶ月くらいは本当に辛い状況でした。ただ、その時の記憶は正直あまり鮮明には残っていません。もちろん、辛い日々を過ごしていた記憶はあるのですが、詳細な記憶が抜けてしまっているような気がします。
これも急性期の特徴のようで、この時期はあまり記憶に残らない状態だと言われることもあるようですね。
診断を受けてから2ヶ月くらいの間は、「休むってどういうこと?」と全くわかりませんでした。それまでは、仕事に忙しくしていましたし、仕事をしていない時間は家事に自己研鑽に時間を使っていたので、ただただ休むには何をすれば良いのか全くもってわからなかったのです。
今振り返ると、診断を受けるそれまでの間も体も頭も休ませられていなかった状況だったのですから、かなり酷い状態だというのは客観的にわかるのですが、その当時は本当に分からなかったです。
そして、先生や周りの人から勧められた、例えば、五感に意識を向けて脳を空っぽにするということを少しずつ始めたり(アロマを焚いて嗅覚に集中してみたり、ベッドに横たわってどこの体の部位の感覚が一番あるかなどに集中してみたり)、あとはただただ寝ることをしていると、時間の経過とともに休むことが徐々にですができていったのだと思っています。
休むことができ始めた時からが一番辛かった時期でした。これは大袈裟ではなくて、ご飯を食べる時以外は睡眠を取っている状況でした。ベッドに横たわっているだけでとても辛かったので、完全に睡眠をとることで、不安で押しつぶされそうになった気持ちや病気になってしまった現実から逃げられていたのだと思います。
今考えるとびっくりなのですが、一日20時間弱は寝ていましたね。
風邪の時ってテレビ見たりとか、本を読んだりとか、人と話したりは基本的にできると思うのですが、(私の場合ですが)適応障害と言われて3ヶ月くらいはほぼ何もできない状況でした。
その後、やっと、家族と少し話したり、テレビを観たり、近所に散歩へ行くことはできるようになりました。
この急性期の期間っていうのは、たっぷりと体と心を休ませてあげることが本当に大切です。
今ではその大切さが身に染みてわかるのですが、その当時自分がどういう風に思ったかというと、焦りがかなりありまして、会社を休んでいるのだから、身になることをしなきゃいけない、そうでないと、仕事も置いていきぼりになってしまうし、人間的にも終わってしまう、というように思ってしまっていました。
もちろん、客観的に見て、そんなことを思う必要はないのですが、不思議なことに当人は分からないのですよね。
今その時の私に伝えたいことは、焦るのも不安になるのも当たり前だということ。それでも、しっかりと自分の体と心に従って休んでほしいということです。
先生にも周りにも、「今は本当に休むことが大切だから、何も考えずにただただ寝て食べられるのであれば食べてっていうだけで十分なんだよ」と言ってもらっていたんですけど、そう言われてもあまり鵜呑みにできず、ただただ焦りが最初は特にありました。
あと、加えて伝えたいことは、今の辛い状態が永遠に続くことはないということ。霞んだ空が少しずつ晴れるように、症状も少しずつ穏やかになっていくということです。
私を含めですが、今わたしの周りには、とても辛い状況を経て、日々自分のペースで楽しく過ごしている人がたっくさんいます。
だから大丈夫。
不安や焦りも当たり前。
それでも、今は苦しいけど耐えて、穏やかに毎日過ごせますように。
そんな思いで私は今日一日も過ごしています。
サポートいただきまことにありがとうございます。 読者の方の日常を少しでも彩ることができるよう、精進して参ります。 引き続き、よろしくお願いします🍀