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「柿を生ける?」えとふみギャラリーNo.7

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                                                                                          ( ↑  油彩画 F8号)
縁があって、一軒の古い借家に引越したことがある。駅から歩いて7分位、商店街もすぐそばにある便利な所だ。

敷地内の家の周りはぐるっと回れるが、庭らしいスペースはなく、東南の角に少し植木やらが植わっていた。
その中に、10㎝ほどの太さでスパッと切られたばかりの切り株がある。それは柿の木で、ご近所に葉が落ちて迷惑になるので切ったと大家さんが話していた。

この家で暮し始めたのは秋頃だったが、やがて春になるとその切り株から何本も芽が出てきた。みるみるうちに天に向かって背を伸ばしてゆく。もともと木などのことは良く知らなかったのだが、あらためてその生命力に驚き心打たれて、結局出てきた芽の一本だけ残し、他は切りとって様子をみることにした。

やがて何年かすると柿の幹は太くなり、いつの間にか元の切り株は消えていた。よく考えれば、地下の張り巡らされた根は若木の親の代からしっかり生きているので、後方支援としては万全という事なのだろう。私は何の世話をしなくても立派に育っていったのだ。

もともとこの借家は、敷地の境を囲むように高いブロック塀があり、しかも両隣の建物に囲まれていたので風通しがあまり良い家ではなかった。やがて柿の木が大きく育つと、夏は茂った葉が1階の日差しを遮り、そばの濡れ縁には快い風も呼び込んでくれるようになった。ただ秋の終盤には、柿の木特有の紅葉した分厚い葉をどさどさと落とす。夏の間に敷地を超えた枝も日陰を作るので放っておいたが、そのままにしておくとお隣に葉を落とすので、秋口には敷地越えした枝は必ず切ることに気を使った。

私たちの入居とほぼ同時に芽を出し、成長を見てきた柿の木だが、八年位経った頃に白い花が咲き、幾つか実がなった。その実を食べた記憶がないので、多分実が熟す前に落ちてしまったのだと思う、次の年も数を増やして実がついた。その時は期待を込めて食べてみたが、なんと渋くてびっくり。焼酎を吹きかけて渋抜きしたり、干し柿にすれば良いとかは聞いていたが、私たち夫婦は片や夫は柿の木のない北海道育ち、私も東京の街中にすんでいたので、そういう面の知恵のある年寄りがいなかった。

そうこうしながらも時の経つのは早い。入居10年を迎える前に、大家さんのご都合で私たちはこの家を出る事になり、秋口には引っ越しの荷物のまとめ作業に日々追われた。まるで私たちがここを去ることが分かっていたかのように、夏のさなかには白い花がたくさん咲き、やがて緑の小さな赤ちゃんの実が顔を出す。その実は大きく膨らみ、色付いてきた。見ていてとても嬉しかった。色付きの良い物から収穫し、仏壇にお供えしてから食べてみた。店屋さんの物とは比べられないが何とか甘い。油断すると渋いものもある。

結局この柿の木とは10年来の付き合いだ。もしかしたら私たちがいなくなった後、再び切られてしまうかもしれない。としたら是非、記念にこの柿を絵に描き残しておきたい、と思い立った。
はじめ画面をどのように構成するか――実だけをザルに入れる、他のものと取り合わせる、と色々と考えたのだが、もっと柿の実を主役にできないかとの思案の結果、柿を花のように備前の花瓶に挿してみた。ところが柿の実は重いので、枝ごと下を向いてしまうのだ。仕方ない、何とかグッと無理やりだが上に向かせた。

柿とともに私たちの身にもこの10年の月日の中、子供たちの巣立ちなど様々な事があった。その時の重みを感じながら白いキャンバスに絵具を重ねていく。花のような華やかさはないが、花瓶に挿された柿は渋いながらも独特のオーラを出し、稚拙な私の絵筆に力を貸してくれた。
あれからまた10年が経つ。私たちが引っ越した後、柿の木はあのまま切られずに元気でいるだろうか。
描き残した絵を見ると、木との不思議な縁に熱いものを感じる。会いたいなー。

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