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決められない!ことから逃げられない!

投げると気楽になる話。

なにかを決めることがとんと苦手な性格です。

自分のことならまだしも、相手の予定ががっつり絡んでくることで「これがいいんだけど!」と呼びかけること自体、数えるほどしかないかもしれません。

およそ協調性があるという名の「きらいなものは特にない」派なので、似たような性格であるとお互いに熟知している間の友だちや家族にしか「これがいい」と言えなかったりします。

めんどくせ!

めんどくせえですけど一応理由がありましてね。
一時期、仲の良かった友だちに、ことあるごとに希望を聞いてもらい、それを受け入れられ続けたことがありました。

「ん、わかった、わたしはなんでもいいからそれでいいよ!」

のことばがすごい衝撃で、回を増すごとに負担に感じていきました。
で、逆に希望を聞くと「なんでもいいんだってば」と引かれてしまう始末。
今になってふり返ると、彼女は「意見をまとめてやるから案を出せ」が好きな人だったんだな、と思うのですが、当時はその考え方が受けとめられずに「???」となってばかりでした。

そして最近。
友人と職場の最寄り駅で「ご飯を食べよう」ということになりました。
「これはさすがに店を決めるのはわたしだろうな……」を被害妄想と感じたら人付き合いなんかやめてしまえな展開ですね。

苦しまぎれに4つ候補をあげてLINEで送ると、
次の返信で相手から希望が返ってきて、
気づけばその流れで店が決まりました。

あれ、これ楽ちん!(´・ω・`)

わたしは今も昔も、トランプの手札のようにお互い候補を持ちよって、せーので「はい」と案を見せあって妥協したり「それいい」と話すところからが楽しいひとです。

出発点はまず「これきらい、だけお互いはっきりさせておこう」
なので「なんでもいい」ではあるんだけれど、それは「お互い意見を出しあって、話し合った結果なら『なんでもいい』」のだな、と自分のことながら、最近ようやくすとんと胸に落ちてきたような気がします。

というわけで、「なんでもいい」は「なんでもいいわけじゃないんだけど!」の「言わなくても察してほしい><」とめんどくさいわがままのごねを卒業し、とらえ方が違う人間なのだと割り切ったうえで案を持ちより、すりあわせていくほうがお互い気が楽だなぁと身を持って感じた一幕でありました。

複数案はあるけどどれも似たようなラインナップじゃん、と弱いところを突かれたら、それはそれで戦闘開始のゴングなのであります。

むつかしいっすね!(´・ω・`)

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