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働くことに生きがいを求めて〜新h君物語。その3。


高校生の時に、読書の面白さに出会ってなかったら、いったいどんな人生になっていたのだろうか?
少なくとも、今回の人生よりはつまらなかっただろうと勝手に推測しています。
それぐらい、この後の私の人生は面白かった。

さてさて、続きを書こう。

この後、加藤諦三の本に出会います。
【高校生日記】です。

偏差値72以上じゃな入れない都立高に通っていた著者(主人公)。こんなに頭がいい人でも劣等感に苛まれることがあるんだ。
これにはほんとに驚いた。
そして、そこに私の中で著者に対して共感が生まれた。なぜなら、私も劣等感にまみれていたからだ。
なぜ私は劣等感にまみれていたのか?

女の子にモテたくて仕方がなかったのに、全くモテなかったのです。
それはなぜか?
実は、小学校から中学一年まではモテていた。
しかし、中二のとき大病を煩い2ヶ月ほど寝込んだ。この間に約20キロ太った。身長160センチで体重が70キロ。みごとなチビデブができあがった。しかも、野球部だったので、髪の毛をスポーツ苅りにしていた。それが、そのまま寝込んで床屋に行けず伸び放題となった。
スポーツ狩りをのび放題にすると、全ての髪の毛が均等にのびてしまう。
まるでハリネズミのようなヘアースタイルと言えば近いかも知れない。または、山賊?山嵐?的な感じ。
今ならヘアーワックスで髪を固めて、「今日から俺は」の伊藤健太郎みたいでけっこうイカしていたかもしれない。
しかし、その当時はただの中二のチビデブ坊主だ。かっこいいわけない。
だから、
せめてもみあげだけでも短くしようと思い、自宅の風呂場で髪を洗った後、カミソリを使って鏡を見ながらカットしていった。
そしたら、左右のもみあげの高さがなかなか揃わない。
何度も何度も調整しながらカットしていった。
すると、あるところで、ハッと気がついた。鏡をまじまじと見つめた。
あろうことか、もみあげを左右ともに耳たぶの上端に近いところまで剃ってしまっていたのだった。
この時まだ髪の毛は濡れていた。
その後、ドライヤーで乾かしてみた・・・
鏡に映った自分のヘアースタイルに愕然とし、
凍りついた!

ありえない、こんな髪型はありえない!
こんな頭で明日学校に行けない!
まるでちびまる子の男子バージョンだった。
例えが良すぎるが、その当時まだまだ人気があったビートルズのヘアースタイルのように、おかっぱ頭と化していた。
マジで休もうと思ったが、親にその理由を述べるのも恥ずかしく、仕方なく家を出た。いつもの倍近い時間をかけて歩いた。このまま地球がなくなってしまえばいいのに、と思いながら歩いた。
学校に行き、クラス全員の笑いものとなった。
そして、その日から、女子にモテない日々が始まった。
小学校の時、背は低かったものの、目はくっきりとした二重瞼に大きな瞳、さらにまつ毛も長かった。だから、そこそこかわいかったのだ。さらに、陸上競技も水泳競技も市の大会に選ばれるほどで、野球もサッカーでも活躍するスポーツ万能男子だったのだ。
ゆえに、そこそこモテていたのだ。
それが、一夜にして、クラス中の笑い者となってしまった。

そうだった。思い出した。
私にとって、小学校の高学年以来、中学高校と、生きがいは、女の子にモテることだったのだ。
それがことごとく崩れ去った。
それと平行して、中学3年の時に一生涯の親友と呼べるような友達ができた。

この友達がやたらに女の子にモテた。中学3年から高校3年位までの間、一体何人の女の子から告白されたのだろう。私が知っているだけで10人は降らなかった。その友人の恋愛経験をたびたび聞かされることによって、彼女のできない自分の境遇を何度嘆いたことだろう。

さて、やっと高校生の私に戻った(笑)

この高校生日記の中の主人公はとにかく劣等感の塊だった。
その原因は他人との比較にあった。
相対評価、これが主人公の毎日を苦しめた。
実は、この主人公は著者である加藤諦三の分身だ。
加藤諦三は、父親に徹底的に否定されて育てられた。親である父親からの自分に対する否定的な言葉にとてつもなく傷ついた。そして、その繰り返しにより、自己の存在を自分でも否定するようになり、自分に自信が持てなくなっていた。
加藤諦三はその後、それを克服すべく心理学を学び続け、早稲田大学心理学部教授となる。そこで、教授として劣等感に苦しむ若者にメッセージを与え続ける存在となっていく。

この時、加藤諦三から学んだ決定的なことは二つある。
「人生は絶対評価で生きること」
相対評価で生きること生きることは苦しみの連続となる。
早い話、他人との比較はするな、自分の人生は自分で評価していきろ。
比較をするなら昨日の自分と今日の自分。
ここで、この絶対評価と相対評価のことを知ったのは大きかった。
まず、親友との比較をやめて、自分の特性磨くことに努め始めた第一歩だった。
大学進学の時も、周りがほとんど経済学部を、目指す中、自分だけ文学部を選んだ。この決断の根本にこの絶対評価と相対評価の考えがあったから、いっさい迷いがなかった。

もう一つは、
「自分のやりたいことを見つけて燃えて生きろ」
経済的安定を優先にして大してやりたくもない仕事につくことはするな。
要するに、大好きな仕事を見つけて、その仕事に情熱を傾け、燃えるような日々を送れ、ということ。
この二つが高校生である私の心にズシンと入り込んでしまった。

ここで、生きがい=大好きな仕事を見つけて燃えるように生きること、という定義が自分の中にできてしまった。

果たして、
ここから、燃えるような人生がはじまるのか?

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