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挑戦の本質

この記事は2023/11/10に配信を行なったメルマガの転載です。

皆さん、こんにちは。
株式会社エスノグラファーの神谷俊です。

実は、今週6日にコロナを発症しました。現在も自宅で療養しつつ、仕事をしつつ、といった日々を送っています。

この件で、複数の仕事をキャンセルさせていただきました。講演や授業も延期することになり、多くの方にご迷惑をおかけしております。申し訳ありません。

そのような中でも「体調第一で!」と言ってくれる方々の多いこと。良い顧客やパートナーに囲まれていると改めて実感しました。

最近、インフルエンザも流行ってますよね。
皆様、お変わりはないでしょうか。くれぐれも日々の備えを。



「未熟なうちは挑戦できない」という言説

さて前置きが長くなりましたが、
今回のテーマは「挑戦」です。

先日、ある講演で仕事における挑戦の必要性について話をしたところ、講演後のディスカッションで次のようなコメントを耳にしました。

「まだ新人なので挑戦するよりも、言われたことをできるようにならないと」
「自分はまだ未熟なので、もうちょっと仕事を覚えてから挑戦とかは考えようかな」

どうやら彼らにとって挑戦とは、「未熟なうちはすべきではないもの」と認識されているようです。気になったので、少し話を聞いてみました。

「未熟なうちに挑戦すると、どんな不具合がありそうですか?」

すると、次のようなコメントが返ってきました。

「絶対失敗します。もっと実力つけてからじゃないと」
「自分のやりたいことに挑戦するならば、成果を出さないと」

挑戦するならば、成果を出さなくてはいけない。そんな考えが根底にあるのかもしれません。彼らの話しぶりから「挑戦」をとてもリスクの高いものであると感じていることが伺えました。

このエピソードは、様々な観点から考察をすることができますが、今回は挑戦そのものに対する私たちの認識について改めて振り返ってみたいと思います。
 

挑戦は失敗や恥ずかしさを含むプロセス

挑戦とはどのようなものでしょうか?

学習論において挑戦とは、継続的な学習と成長のプロセスを意味します。

前進と後退を繰り返しながら、少しずつ自らを高みへ連れていく。そんな地道な道のりを歩み続けること。それが挑戦というものです。

つまり挑戦とは、未熟で未完成だからこそ取り組むべきものであり、失敗や挫折はその内に含まれているものなんですね。

先述の「失敗するから未熟なうちは挑戦しない」という考えは、「挑戦は難しく大変なもの」「挑戦するからには成果を出すべき」といった観念によって生まれたものかもしれません。

失敗もあり、挫折もあり、紆余曲折の道のりをマイペースに進んでいくことを挑戦と呼ぶならば、新たな経験に足を踏み入れやすくなるのではないでしょうか。

挑戦なんて、いつでも始められる。
失敗しても、悩んでも、学び続けているなら挑戦中と言える。

それくらいの気構えで新たな経験に手を伸ばせると楽しいのでしょうね。

今回は、以上です。

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