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目標のセンス

この記事は2023/09/01に配信を行なったメルマガの転載です。


こんにちは。株式会社エスノグラファーの神谷俊です。

8月が終わり、9月が始まりました。幼稚園や小学校が始まり、生活が次の季節に向かって進んでいます。私たちの家でも、この週末にプール納めを行う予定です。すでに秋の旅行の計画も立て始めており、1年が密かに、しかし着実に経過していることを感じます。

皆さんはいかがお過ごしでしょうか。今回のコラムでは、「目標のセンス」をテーマにしているので、ちょっと長めにお話ししたいと思います。

目標設定の方法論の話ではありません。自分らしく生きるためにどのような目標を掲げるか?について話します。私たちが企業のご担当者と打ち合わせを重ねる中で、目標のセンスが良い人たちについて話したいと思います。

自らを追い詰める目標からの解放

よし、問題は分かった。

解決方法も見えた。

でも、それを進めていくと皆が過剰に疲弊することは分かっている。

それ、やるんですか?

やるべきことは見えたが、それを推進すると自分たちのリソースの多くをこれまで以上に注がなければいけない。そのような状況は意外と多いのかもしれません。

私は、調査報告会などの会議の場でこのような場面に立ち会うことが多いのですが、明らかに場の空気がズンと重くなるのを感じます。会社でこのような「空気」が流れたとき、皆さんの会社ではどのような発言や対応がなされるでしょうか。

リーダーの立場にある方がすくっと立ち上がり、「これは大変なミッションかもしれない。しかし我々はやるべきだ!」と声高らかにメンバーを鼓舞する。メンバーの皆さんもそれに尽き動かされるようにモチベーションを高める。そのような展開になるという企業もあるでしょう。

あるいは、問題であることを理解しつつも「また後日検討しよう」と言って、会議はお開きになり、その後はなんとなく問題意識が風化し、いつの間にか忘れ去られてしまうという企業もあるかもしれません。

私が先日経験したパターンは、どちらでもありませんでした。

重い空気が流れたあとに、ある社員の方が口を開きました。

「うちの問題点はわかったけどさ、この問題を解決する事は“私たちらしい“のかな。この問題を解決するためには、相当な手間がかかるよね。このコストをかけることで、問題は解決するかもしれないが、その頃にはチームや組織は崩壊してると思う。そこまでやる?」

このコメントを聞いたメンバーの方々は、ほっとした表情に戻り、饒舌に話し始めました。別の対策を考えようと前向きに議論を進めていったのです。その後の打ち合わせでは、当初以外のやり方について、多くのアイデアが出されました。

先のコメントがビジネスや経営の観点から見て、正しかったかどうか?は分かりません。それはビジネスパーソンとしてイマイチな判断ではないか?と考える人もいるでしょう。

しかし、少なくとも発言者自身やそこで働くメンバーの方々の「人間らしさ」に貢献するものであったように思います。また、地に足の着いた持続可能な施策を検討する姿勢を促していたようにも感じました。その意味で、健全な判断であったように私は思うのです。


その目標は自分らしいか?

これまでの人類の産業史を振り返ってみると、誤った目標設定によって人間が壊されてしまった事例は数多くあります。ノルマやKPIによって人が「機械化」していく事象は産業革命期に問題視され、その後も飲食業のチェーン展開や、営業現場などでもその問題点が指摘されてきました。

人間は目標を提示されると、それに向かってまっしぐらに進んでしまう生き物です。計画通りにやらなくてはいけない。目標を達成しなくてはいけない。そんな切迫感から自らの心身に鞭を打ち、ストレスを抱えながら歩いていく。残念ながら、そういう側面を持っていることがこれまでの歴史でも証明されてきました。

フィット感のない目標は、持続可能ではない。

私たちはそのことにもう気づいています。生産性や効率性を求め、目標を達成していくことは非常に重要ですが、どのような目標を設定するかが、さらに重要なのかもしれません。

現在、様々な業界で人的資源の不足が問題視されています。限られたリソースで豊かな暮らしを達成していくために、私たちはどのように働くのかが問われ始めています。

私たちは、どのように働き、またどのように生きていくのか。それは目標設定にかかっていると言っても過言ではありません。皆さんらしい目標、部下らしい目標を掲げ、豊かな職場生活を過ごしていただきたいと思います。本コラムが改めて振り返っていただく機会になれば嬉しく思います。

今回は以上です。

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