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風景と私(3)Into the Wild

20代前半、私は初めて車を持った。友人から15万円で譲り受けたスバルの軽自動車で、大阪から持ち込まれたFFの二駆だった。私は札幌に住んでいて、この車を雪道で操るのは至難の業だった。

厚田村は、日本海に面した漁業の村だった。札幌から1時間。かつてはニシンに沸いた海も完膚なきまでに寂れ、灰色の港を見下ろす駐車スペースに立っていつまでも海を見る。吠える暴風に体は弓なりにのけぞる。赤く陽が沈む荒涼とした海に身を置くだけのために、毎週その地点に来て冷たい風の轟音を聴いていた。

8年後、私は長野にいた。夜、労働でボロボロになった肉体をヤマハXJ400に乗せて黒姫に向かう。高原のパーキングに停めると冷えたアスファルトに仰向けになり、夜空を見上げて星座を追う。何年経っても、私の衝動は変わらなかった。

誰も来ない地点と時間、広大な空と大地または海、吹きすさぶ孤独。

ショーン・ペン監督「イントゥ・ザ・ワイルド」を観たとき、自らを観ているようだった。約束された人生に背を向け、放浪の果てにアラスカに辿り着き、飢餓状態の中で毒草を食べ、打ち捨てられたバスで死ぬ。

植村直巳はデナリ(マッキンリー)で遭難し、星野道夫はカムチャッカで熊に襲われ、ブルース・チャトウィンはHIVで世を去った。

かろうじて生き残った山野井泰史は「垂直の記憶」を著し、自給自足を2年2カ月で切り上げたヘンリー・デイヴィッド・ソローは「森の生活」を著して世に知る機会を与えた。

ウィルダネスやノマドの風を送ってくれた人たちは、夭折する。自ら選んだ道であり、天命であり、いたしかたない。

彼らに共通するものは何か。
私に強く訴えかけてくるものは。

Poetry、詩情。
かそけき私にはかなくも力を与えしもの。

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