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silent hill 333

1か月前、このことについて書いておこうと思った。書きたいという欲求ではなく、書きなさいという指令でもなく、書かなければという使命でもない。

何かが足りない。だから先行して『カウンセリングを受けてみた』という発酵不良のガス溜まりのような記事を3編にわたりnoteに書いた。書く資格はあるのか、己に問うために。

人を殺した人について、面識のない人について、軽々しく語ることは慎むべきだろう。しかし、ひとりの宗教2世として、書くことをお許しいただきたい。(3,300字)


2年前の7月、山上徹也は安倍晋三を殺害した。情報は錯綜し、宗教がらみだとされながら教団名は当初明かされず、後に旧統一教会だと報道された。

奈良県警は「安倍氏がこの団体とつながりがあると思い込んで犯行に及んだ」と記者会見で述べた。容疑者は「思い込んで」と本当に言ったのか。NHKは「暴力は許されません」と繰り返し言った。そんなことは分かってるよ。一介のアナウンサーがどこから目線で言っているのか。

日を追うごとに山上容疑者の背景が明かされ、安倍元総理と旧統一教会の関係が掘り出された。さらには自民党と教団の蜜月、そして宗教2世の存在にまで光が当たることになる。

私は、山上容疑者とは異なる教団信者の2世である。それでも新興宗教またはカルトという括りで、私の足元にまで波は押し寄せた。率直な感想として、ひとつは遅すぎる、ひとつは事件が起こらなければ明るみに出なかったという無力感だった。


事件直後、YouTubeには決定的瞬間を捉えた動画がアップされた。すでに削除されて見ることはできない。安倍元総理に向かって斜め右のやや高い位置から撮影されていた。

山上容疑者が背後を横断すると見せかけて右に曲がる。歩きながらショルダーバッグから手製の黒い銃を取り出す。歩きながらすぐに構えてぶっ放す。轟音と白い煙が立ち込める。

山上容疑者は構えたまま同じ速度で歩を進める。安倍元総理が振り返る。2発目をぶっ放す。安倍元総理は上半身を折りながら2、3段のステップを降り、崩れ落ちる。山上容疑者はタックルを受けて組み敷かれる。

両者の動きが、ワンショットで完璧に収められていた。驚いたのは、山上容疑者の落ち着きっぷりだった。違和感なくエリアに侵入し、2発目まで慌てるそぶりがまったくない。銃は2発しか撃てない構造だった。


さまざまな憶測、見解、論評が世に溢れた。しかし、本人の声が聴こえない限りは、本当のことの端緒はつかめない。山上容疑者は「silent hill 333」のアカウント名でTwitterを発信していた。アカウントはすでに削除されているが、アーカイブがネット上に残されている。

2019年10月13日から2022年6月29日まで、1,364ツイート。最新のものから遡るように読んでみたが、早々に挫折した。しんどい。ウクライナ侵攻や集団的自衛権、在日差別などさまざまな社会的事象に触れて意見している。そこに旧統一教会や安倍元総理に触れるツイートも垣間見られる。

ざらりとした、攻撃的な調子である。最近のSNS、ヤフコメに見られる文体と変わらず、深い洞察や知性を感じられない。無機質でささくれ、殺伐としている。本人にとってどうでもよいことをわざわざ感知しているように見える。

犯行をほのめかせるようなツイートは、私が読んだ範囲では見られない。意図的に隠したのだろうか。もうその頃にはガレージを借り、銃の製作を始めていたと思われる。


犯行の動機は何だったのか。社会を変えるためではなかったと私は思う。自らの存在を知らしめるためでもない。教祖や教団幹部ではなく、なぜ安倍元総理だったのだろうか。憎しみは抱いていただろう。しかし、最もセンセーショナルな方法で社会にインパクトを与えるため、とは思えないのである。

もっと個人的な、自分自身でももうわからなくなってしまった精神の崩壊。父が自殺し、母が入信する。経営していた会社を畳み、財産をすべて教団に献金する。学業優秀であったが進学できない。山上容疑者という建造物にミサイルが着弾し、大きなダメージを被る。

兄と妹に金を残そうと生命保険を自らにかけて自殺未遂。兄の自殺。食うために働くが社会に適合できない。爆撃で最初に大きく開いた穴から壁や柱がぼろぼろと崩れ落ちていき、決定的に壊れてしまった。

子どもだった頃に時間が止まった。Twitterは、いろいろな知識を身につけ頭脳は回転しているものの、書いているのは子どものままの山上容疑者ではなかったか。

安倍晋三を殺さなければならない。ただそれだけだったと思うのである。もう壊れてしまっていたのだから。


救ってくれなかった社会への不信は相当なものだったと想像する。殺すと決めたとき、生きては帰れないと覚悟しただろう。今も拘置所にあって、生きていることを不思議に思っているのではないだろうか。

山上容疑者が救われるために、周りはどうすればよかったのだろう。厳然と存在する宗教団体を無力化することは難しかった。ひとつ消えてもひとつ生まれる時代で、求めたのは他でもない民衆自身だった。

法整備による効果は極めて限定的だと思う。山上容疑者を追い詰めたのは、社会の無関心、見てみぬふり、そんなこともあるよねぇという矮小化、乗り越えられない本人の責任を問う風潮である。子どもの人権を謳いながら、誰も介入しなかった。


宗教2世という括りで、被害者意識を平準化することはできない。私にも弟と妹がいるが、異なるのである。それでも山上容疑者と私には共通点が見いだせるように思う。

境遇を語ることはなく、隠し続ける。差別を受け、わかったようなことを言われるからだ。母の狂信による被害者であるが、母も被害者であるという感覚をもつ。教団による被害に加えて、入信前の母の絶望に思いを馳せる。

山上容疑者が事件を起こし、母親は教団に謝ったという。我が子よりも教団かと指弾されたが、何も驚くことではない。私の母でも同じだっただろう。原理主義、絶対的信仰とはそういうものである。

母も被害者だとしても、母を赦す理由にはならない。母はすでに大人であり、山上容疑者はまだ子どもだったからである。母が面会を求めても山上容疑者は会わないという。当然だと思う。

社会への不信、不適合、子ども時代の成長阻害、過去への執着、右も左も愚民ばかりという思考回路は、おそらく私と似ている。


私はまだ人を殺していない。彼と私を分けたものは一体何だろうか。進学に伴い家を離れたとき、解放による無上の歓びを得た。ひとりになれた解放感、野性の呼び声があまりに強かったため、私は生き続けられている。山上容疑者は、その解放感さえも得る機会がなかったのではないか。

もうひとつ、学校が救いの場所だった。信仰と暴力に支配されても、不登校にはならなかった。同級生は私の境遇や何かがおかしいということを知っていたと思う。しかし、分け隔てなく接してくれた。私は学校という逃げ場所を得たのである。その後も、社会生活を通じて友人を得た。


1977年、日航機ハイジャック事件が起き、乗員と乗客が人質に取られた。福田赳夫総理は「一人の生命は地球より重い」と言って身代金を払って解放した。しかしそれは、現実を見る限り詭弁である。社会と呼んでいるものの維持が最優先であり、山上容疑者は許容範囲内のノイズに過ぎない。社会は、差別も黙殺も織り込み済みなのである。

彼が発砲した瞬間の映像は、彼と社会が一対一になったような感覚をもたらした。2発目は特にそうである。その場にいた全員が、煙幕から現れた彼を見ていた。私は、山上容疑者を偶像化するような動きにくみしない。ただ、破壊された者が破壊することがないよう、子どもを破壊しない大人たちであって欲しい。

山上容疑者は今、重力のない世界にいるのだと思う。永山則夫『無知の涙』のような手記を残すこともないだろう。彼のなかで完結している。沢木耕太郎『テロルの決算』のようなノンフィクションが著されるだろうが、彼が語らなければ意味はない。


夏休みが訪れ、子どもたちは海に山に、きゃっきゃとはしゃいで遊んでいる。子どもたちも、子どもであった人たちも、どうか幸せであって欲しい。そう思えれば、私も幸せなのだろう。


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