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ルノアールの熾火

Kさんは得意先の営業で、定年後に雇用延長していたので60代前半だっただろうか。私は30代半ばで、長く営業を担当していた人物の退社によりお鉢が回り、Kさんと仕事することになった。専門性が求められるポストが急に交代したためKさんは戸惑ったはずなのだが、長年の経験に裏付けられた対応でおくびにも出さなかった。

私たちA社の製品はD社に直接納品される。物流はA→Dなのだが、商流はA→B→C→Dといった風に卸が数社入ることが多い。各社が営業努力で築いてきた権益をスキップして侵すことは御法度であり、業界独特のしきたりが定着している。このような中間業者は帳合と呼ばれ、KさんはそんなB社のベテラン社員だった。

受発注や納期の調整、営業活動、規格書の作成やクレーム対応、価格改定などがKさんとの主な業務内容で、時に難しい局面をともに乗り越えながら個人的には緩い関係であり、業界の体質と時代の空気を反映していた。よく飲みに誘われて「壊れかけのradio」を繰り返し歌わされたり、B社の女の子とデートさせられたりした。

昼過ぎ、執務中に電話がかかってくる。「ルノアールにいるんだけど出て来れない?」。Kさんは電車を乗り継いで私の勤務先の最寄り駅で「喫茶室ルノアール」に入ってから電話してくるのが常だった。「Kさんに呼び出されたのでルノアールに行ってきます」と営業事務に伝えると、歳の離れた友達みたいだと笑われた。

仕事の話はほとんどしない。Kさんと仲が良い息子や娘、推しの芸能人を追いかけている妻、仕事帰りに寄る将棋会館の話をしながら、珈琲をお代わりする。グレーの髪を整髪料で丁寧に撫でつけ、いつも潤んでいる眼の下には大きく艶やかに膨らんだ半球の袋があり、自分が今言ったことが可笑しくて照れ笑いしている。「再雇用で給料下がったんだから、仕事しすぎちゃいけないんだよ」。そううそぶいては私を呼び出すのだった。

3年ほど一緒に仕事をして、私は会社を辞めた。異なる業界に転職したため、Kさんと仕事をする機会はなくなった。自然と付き合いは途絶え、風の噂で再雇用を終了してKさんは退職したと聞いた。

数年後、思い立って私はB社の女性社員にメールした。Kさんに会いたいので連絡を取ってもらえませんか。一緒に食事に行きましょう。私はKさんの個人携帯番号を失っていた。彼女はすぐに連絡を取ってくれた。

後日、彼女からメール返信があった。Kさんは来れません。私は彼女とふたりで食事することになった。居酒屋のカウンターで彼女はKさんから届いたという葉書を見せてくれた。

私は今、高齢の母親とともに細々と暮らしています。食事のお誘いは遠慮させてください。若い人たちで楽しんでください。

あっさりと手短にしたためられた拒否を前にして、私はショックを受けた。あの日々は何だったのだろうと。

しかし、すぐに思い至った。私からまったく連絡を取っていなかったではないか。今まで多くの関係を切り捨ててきたではないか。

アルバイトしていた居酒屋の夫婦、海外で寝食をともにした同僚、こいつは営業に向いていませんと社長に直言してくれた上司、腹を抱えて笑った後輩、地方での生き方を指南してくれた先輩、ぶっ倒れるまで走った部活の仲間、長旅をともにした友人、親族、家族。

悪いことではなく、間違いでもない。招いたことは内実の表れであって、誰かが残してくれた熾火を私が消したのかもしれない。

人恋しいと思い、ひとりになりたいと思い。
会いたいと思い、隠したいと思い。

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